祖父について (浴衣)
ある年私は自分だけ特別に、浴衣を新調してもらったことがあった。いつもは姉のおさがりばかりだったので、なんだか不思議な気がしたことを今でも覚えている。
ところが最近になって、祖父が私のためにわざわざ生地を買ってきたのだということを知った。しかしなぜ祖父は私にだけそのようなことをしてくれたのだろうか?ますます謎は深まるばかりである。
それは私が幼稚園の時だった。敬老の日に祖父母を招いての参観日があった。
私の祖父は若い頃肋膜を患ったせいであろうか、いつもたんの絡んだような咳をしていた。家族にうつしてはいけないと思っていたのだろうか。それともただ折り合いが悪かっただけなのだろうか。祖父は隠居と呼ばれる離れに一人で暮らし、私たち家族とは接することは少なかった。
だからその日も祖父は来ないと思っていた。だから部屋の後ろいる大勢のお年寄りたちは見ないようにしていた。
お遊戯や歌が一通り終わると、前もって描いた絵を渡す番になった。みんなは手に絵を持って祖父母のもとに走っていったが、私はその場に立ったままじっと下を見ていた。
するとどこかで私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。私は顔をあげて声の方を見ると、そこには祖父がいた。絶対来ないだろうと思っていたのに、一張羅の黒い国民服を着た祖父が立っていた。
絶対に来ないと思っていたものだからどうしていいのか分からずに、私は泣きながら祖父に手に持っていた絵を差し出した。輪ゴムで止められた画用紙をひろげると、黒い国民服を着た祖父の絵が書いてあった。二人で黙ってその絵を見ていた。
甘えることを知らない孫と甘やかすことを知らない祖父は、黙って絵を見るしかなかったのだろうか。
今でも思い出すと泣きだしてしまう思い出があるのだが、それ以外は祖父のことはほとんど覚えていない。
浴衣の生地を買って来たのは、そんなことがあった後のことだろうか。浴衣を着て踊っている私を祖父は見たのだろうか。私は祖父に浴衣のお礼を言ったのだろうか……。まったく覚えていないのだ。