草むしりしながら

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草むしりの「遠くで鳴る雷」

2018-12-17 15:11:37 | 日記
草むしりの「遠くで鳴る雷」

 小川未明の「遠くで鳴る雷」は初成りのキュウリを川に流して、子供が水の事故にあわないように川の神様にお願いしている。私の暮らす地域では毎年初成りの茄子を川に流して、茄子がたくさん成るように川の神様にお願いをする風習がある。この文章はその時の事を書いたもので、たぶん「遠くで鳴る雷を」かなり意識して書いたようだ。

茄子を流して願うこと
 
 雨上がりの朝、茄子を川に流した。初成りの茄子を川の神様に差し上げて茄子の豊作を願うのは、この地域に昔から伝わる風習である。しきたり通りにするのだが、茄子の出来は毎年よくない。それでも今年こそはと思いを込めて、茄子を川に流す。
 
 梅雨に入り水嵩の増した川は、ゴウゴウと激しく音を立てて流れている。「雨が降り過ぎませんように。日照りになりませんように」願うのは茄子の事ばかりではない。
 
 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節に、「サムサノナツハオロオロアルキ」とあるが、心配な気象状況を天気予報が伝えている。自分ではどうすることも出来ないことは、昔から神様にお願いする。その上近年では鹿や猪が出ないようにとお願いもする。「こんなの昔は無かった」と神様も面食らっているのでは。
 
 「しまった、自分の願いを忘れていた」思い出したのは家族の健康を願った後で、既に茄子は川下の流れて見えなくなっていた。神様に願う大望も無くはないが、頼まれてもいない家族のことを優先させてしまう。これも母親の性(さが)というものだろう。
 
 「まあ、いいか」願ったところで叶うものではなし。デクノボウには地道な努力しかない