つばさ

平和な日々が楽しい

シロアリが国庫を 毎日新聞 余録 2012年09月21日

2012年09月21日 | Weblog
気付き、智恵を出す良い機会かも
改善のチャンスに

シロアリが国庫を食い荒らす話が…
 2012年09月21日

 シロアリが国庫を食い荒らす話が中国の清代の書物にある。康熙帝の時代、塩に課す税金を収めた蔵から数千金が消失した。びっくりした役人が捜索すると壁の下に粉末の山がある。掘り出していくと升何杯分ものシロアリが出てきたという▲その大量の粉末を炉にくべると金の塊に戻ったが、なぜか元の金額には達しない。同じ書には河北省の役人が箱に入れた銀をシロアリに食べられるという話もある。もしかして税金にシロアリは昔からつきものだったのか▲さて先日の小紙夕刊(東京)の特集ワイドは「震災復興予算にシロアリが群がり、復興に関係ない事業に使われている」という被災地選出議員の怒りを伝えていた。復興予算で行われる霞が関の耐震工事や自衛隊の武器整備、核融合研究や芸術家の海外公演のことだ▲それに先立つ9日夜のNHKスペシャルは、沖縄の国道工事、東京の国立競技場の補修費、テロやシー・シェパード対策などに復興予算が使われていることを報じ、被災地をあきれさせた。いうまでもなく5年間で19兆円の復興予算の半分以上は増税でまかなわれる▲一方で中小企業や商店の再生への支援もままならず、1年前と変わらぬ光景が広がる地域の多い被災地である。国民が25年に及ぶ復興増税を受け入れたのは、むろん被災地の人の顔を思い浮かべてのことだ。東京にある税務署を耐震化しようと思ってのことではない▲政権交代前は天下り法人を「シロアリ」にたとえ、その退治を訴えた野田佳彦首相だった。今や落ちるところまで落ちた「政治主導」だが、少しは被災地住民のために意地をみせてはどうだろう。
http://mainichi.jp/opinion/news/20120921k0000m070104000c.html

ゼロベース 【産経抄】9月21日

2012年09月21日 | Weblog
0か1 デジタル思考?アナログでも!

【産経抄】9月21日
2012.9.21 03:06
 「近年、ゼロがだんだん多く使われるようになってきたという気がする」。英文学者の外山滋比古さんが2年前、あるエッセーで指摘していた。もともと日本では、数字の始まりは1だった。「一から十まで」という言葉はあっても、「ゼロから」とは言わない。ビルの地上階はあくまで1階だ。
 ▼もっとも、かつて生まれると同時に1歳になった赤ちゃんは、今は0歳である。「ゼロベースで国が責任を持って結論を出す」。外山さんのエッセーは、当時の鳩山由紀夫首相の発言に触発されたものだ。
 ▼沖縄県の米軍普天間飛行場の移設受け入れの是非が、争点となった名護市長選の直後だった。反対派の勝利を受けて鳩山氏は、県外移設を模索する。迷走のあげく4カ月後、自民党政権下の計画とほぼ同じ、辺野古への移設を表明し、沖縄県民と米国政府をあきれさせたのも記憶に新しい。
 ▼民主党政権は、その後も失政を積み重ね、断末魔の声を上げている。最後の望みを託した「原発ゼロ」もまた、看板倒れに終わりそうだ。そもそも「2030年代に原発稼働ゼロ」を柱とした「革新的エネルギー・環境戦略」は、衆院選を意識して有権者の歓心を買うのが目的としか思えない。およそ戦略に値する内容ではなかった。
 ▼経済界や青森県など原発立地自治体が激しく反発し、日米原子力協定を結んでいる米国も懸念を示すと、たちまち腰が砕けてしまった。ただ閣議決定の見送りによって、エネルギー不足が日本没落に拍車をかける、最悪の事態だけは逃れたことになる。
 ▼民主党は、政権担当能力がゼ ロだったと懺悔(ざんげ)して、ただちにゼロベースで国民に信を問う。日本再生の道は、これしかない。

愛国心とは 2012年09月20日木曜日河北春秋

2012年09月21日 | Weblog

2012年09月20日木曜日河北春秋より
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20120920_01.htm
 初の本格的な英語辞書を編纂(へんさん)した英国の文学者サミュエル・ジョンソンに名言がある。愛国心をこう定義した。「愛国心とは、悪党どもの最後の逃げ口上」▼「悪党」を「悪童」と言い換えれば、きのうまでの中国の反日デモにぴったりの形容だ。主に20代の若者た

 ▼文化大革命時の「造反有理、革命無罪」をもじって「抗日有理、愛国無罪」だそうである。反日には正当な理由があり、愛国的行為なら何でも許されるという理屈。これを錦の御旗にした暴動だ▼民主化を求める若者が立ち上がった1989年の天安門事件。愛国無罪の標語はこの時も使われた。要求は戦車に蹂躙(じゅうりん)され、多数の死傷者を出す悲劇に終わり、世界中が怒り、悲しみ、同情した

 ▼この事件と違い、今回の暴動で若者たちが得たのは、世界の嫌悪でしかない。政府が暴力を許しつつ規制もする「官製デモ」の色彩も強く、中国という国の本質をさらけ出したようなデモだった▼「法治国家の確立」を憲法に追加したのは10数年前。法治国家なら、日本企業への狼藉(ろうぜき)による損害は、賠償するのが筋だろう。そして、尖閣領有を主張するなら、どうぞ国際司法裁判所へ。

2012年09月20日木曜日

愛国心とは - はてなキーワード より
http://d.hatena.ne.jp/keywordtouch/%B0%A6%B9%F1%BF%B4



Nationalism ,Patriotism , Statism

個人が生まれ育った国に対する愛着と精神的依存および献身の態度をいう。その中核は愛郷心にみられるように,風土・習慣・文化的伝統にあこがれと安らぎ,懐かしさなどを抱くとともに誇りを感ずる自然の情にもとづいている。社会的な帰属意識や帰属欲求による愛情的充足欲求(マズロー)が一般同胞意識として民族・国家へと拡大すると考えられる。これらの感情は,国際的な競技や戦争などを契機として喚起されることが多い。民族中心主義も愛国心の一形態であるが,血縁的排他的で偏狭な団結心などの集団心理にもとづいた国粋主義として思想的政治的支配に利用されることが多い。
旅研 歴史事典データベース
愛国心とは,人が自分の帰属する親密な共同体,地域,社会に対して抱く愛着や忠誠の意識と行動である。 愛国心が向かう対象は,国 country によって総称されることが多いが,地域の小集団から民族集団が住む国全体までの広がりがある。この対象が何であれ,それはつねにそこに生活する人々,土地,生活様式を含む生活世界の全体である。また愛国心の現れ方は,なつかしさ,親近感,郷愁のような淡い感情から,対象との強い一体感あるいは熱狂的な献身にいたるまで,幅がある。すなわち愛国心は,本来は愛郷心,郷土愛,あるいは祖国愛であって,地域の固有の生活環境の中で育まれた心性であり,自分の属している生活様式を外から侵害しようとする者が現れた場合,それに対して防御的に対決する〈生活様式への愛〉である。どの時代どの地域にも見られるこの意味の愛国心に対して, 19 世紀に成立したナショナリズムは,個人の忠誠心を民族国家という抽象的な枠組みに優先的にふりむけることによって成立する政治的な意識と行動である点において区別される。しかしながら世界が国家を単位として編成されるようになると, 愛国心も国家目的に動員されたり,逆に国家に抵抗する働きを見せたりすることで,国家との関係を深めた。そのうえ日本では,愛国心は近代において権力によって促成栽培された歴史的経緯があるから,日本語の〈愛国心〉には国家主義的な意味合いがつきまといがちである。
「ネットで百科」より引用
ちなみに、国家主義的な意味合いを持つ「愛国心」は、しばしば「外圧」と結び付けられることによって形成され、また維持される。例を上げれば、日本における黒船の衝撃、韓国や中国における日本の侵略の記憶などがある。

日中関係を第三者的に見つめている欧米のジャーナリストの中には、中国の愛国心教育と反日政策が問題解決を難しくしていると指摘する者たちもいる。ある記者は「歴史問題での大部分の中国人の意見は間違った情報に基づいている」と指摘するとともに、「日本を間断なく攻撃しても中国側には何の不利な結果をもたらさないということだ。日本企業は中国に投資し続け、観光客は絶えることなく訪れ、政府は援助資金を依然として提供し続けている。 だから中国にとってこれほど便利な外交戦略はない」と結論付けている。 日本のジャーナリストの中にも「中国が愛国心教育を行うのは理解できるし、その中心が抗日戦に関することになるのもわからないではない。しかしそれも程度問題だ。さらに悪いことに戦後の日本に関する情報がほとんど伝えられていない。日本が民主国家に移行して自由な言論が認められ、自分たちの戦争犯罪を自己批判する本が数多く出版されていることも、日本からの経済援助によって中国の社会資本がどれだけ充実したのかも、多くの中国国民は知らされていない」と指摘している者もいる。
Wikipediaに掲載されていた見解



三差路で迷った 春秋 2012/9/20付

2012年09月20日 | Weblog
善悪の岐路。
意地張り強情が判断を迷わせるかも。

春秋
2012/9/20付より
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO46325830Q2A920C1MM8000/
 三差路で迷った易者が通りがかりの牛遣いに道を尋ねた。意地の悪い牛遣いに「人のことが分かるんだから自分のことくらい占えるだろう」と言われた易者が答えていわく、「おっしゃるとおり占ってみたら、あなたに聞けという卦(け)がでた」。江戸時代の笑い話である。
▼迷走する政府のエネルギー・環境戦略にこの話を思い出した。さしずめ、「ぶれない」「決める」の看板を掲げた政府が易者の役回り。牛遣い役は、近いうちにありそうな選挙を左右する民意か。看板倒れの政府の苦肉の策が「民意に聞け」だったのだろう。かくして「2030年代に原発ゼロ」の道を歩み始めたが……。
▼もとより、国の行く末よりわが身の選挙を案じた決断にみえた。いや、それすら買いかぶりで、決断にもなってはいなかったのだ。原発ゼロ戦略は「参考文書」扱いにとどめ、「柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら戦略を遂行する」ときのうの閣議で決めたという。三差路に戻って考え直すということらしい。
▼断っておくが、ここで原発ゼロか維持か、の是非を問うているわけではない。三差路での沈思はむしろお勧めしたいほどだ。問題は、民意におもねって拙速に矛盾だらけの決定をすること。矛盾をつかれると一転、いともたやすく決定を覆すこと。これが偽易者なら愛嬌(あいきょう)もあるのだが、ことは一国の政府の行状なのである。

先憂後楽 南風録'南日本新聞)9/19

2012年09月19日 | Weblog

( 9/19 付 )
 「清風明月は買うを用いず」という言葉がある。清らかな風や明るい月は金を出して買う必要がない。めでる心さえあれば、誰でも楽しめるといった意味である。
 中国・唐代の李白の詩が元になっている。こうした故事成語が味わい深いのは「長い歴史の試練に耐え、無数の人々の共感を得て生き残った中国人の霊魂ともいうべきものである」からだろう(合山究著「故事成語」)。
 大器晩成、馬耳東風、青雲の志など、なじみある言葉も元をたどれば中国生まれである。中国が文字の国といわれるゆえんであり、日本文化に与えた影響は大きい。それだけに、過激化する中国国内の暴動は残念でならない。
 沖縄県・尖閣諸島の日本国有化に抗議する反日デモは燎原(りょうげん)の火のごとく広がり、きのうは100都市を上回った。日系スーパーなどが襲撃・略奪の被害に遭い、工場は休業に追い込まれた。臨時休校する日本人学校も出ている。
 中国はここ数年、日本にとって最大の輸出相手国である。鹿児島産の焼酎や農畜産物も食卓に上っているだろう。経済への影響だけでなく、鹿児島市日中友好協会の交流事業も延期された。一刻も早い収束を願うしかない。
 為政者は世の人に先んじて憂え、世の人が楽しんだ後に楽しむ。故事成語にいう「先憂後楽」である。国民の憂いを利用してはいけないと読めるのだが、文字の国に聞いてみたい。




仏御前と祇王

2012年09月17日 | Weblog
毎年9月16日の[仏御前まつり]には白拍子の舞を奉納し、町内の方々が集まって縁起を読んでいます。
今日、平野啓子氏の語りで 仏御前と祇王 ~二人の女性 その生き方~ を聞き、その感動から南加賀周遊HPより
http://www.minamikaga.com/index.html
9月10日~16日は自殺予防週間
先般、自殺予防に関する講演会に参加した為か、祇王の喪失感、自死(自害)の回避、仏御前の感謝の心にふれる機会となる。平家物語祇王を一読する(青空文庫)

以下HPより

仏御前物語
清盛の寵愛とて、むなしい夢。救いを求めて仏道へ、ふるさと小松へ。
在りし日の仏御前の面影を偲ばせる平安朝作風の乾漆座像。
明日はわが身の祇王の悲しみ。白拍子、仏御前は栄華を捨てて仏門へ。
小松市から鳥越村に至る県道沿いにひっそりと小さな墓がある。原町、仏御前の里。
白拍子(平安末期から鎌倉時代にかけて行われた歌舞。またはこれを歌い舞う遊女。直垂、立烏帽子の男装で歌いながら舞った)仏御前は一七歳にして平清盛の寵愛を受けるが、みずからの栄華にむなしさを知り出家、祇王寺へ。やがてふるさとへ帰り、21歳の短い生涯を終えたという。
穏やかに合掌する姿を写した尊像は、今も往時の美しさのまま。原町では町内の家々が交代で尊像をお預かりし、守り続けてきた。寺社やお堂に安置するのではなく、たとえば江戸時代なら庄屋、のちには信仰篤い家々へと伝わった。そして現在も個人宅の広間に安置されている。朝夕の供養はもとより、全国から仏御前を慕って訪れる人々の案内など、すべては尊像を守る人々の厚情。その信仰心が、なによりも美しい。
仏御前【ほとけごぜん】(1160~1180)
五重塔の塔守の娘として生まれる。幼い時から仏法を信じ、仏と呼ばれる。14歳の春に京に上り、白拍子となる。天性の美貌に加え、舞や歌に秀で、平清盛の目にとまり寵愛を受ける。17歳の秋に出家し、嵯峨野の祇王らの庵を訪れ、ともに仏道に精進。翌年、美濃国を経て帰国の途中、白山麓木滑の里で清盛の子を出産、子は亡くなり、仏御前は短い余生を感謝のうちに過ごしたという。
旧原村に生まれた仏御前は、京都に上って清盛のもとへ。当時、清盛の屋敷には祇王【ぎおう】という白拍子がいたが、清盛は仏御前の美しさ、芸の素晴しさに魅せられ、祇王を追い出してしまう。悲しんだ祇王は妹や母とともに出家、嵯峨野の往生院(現在の祇王寺)へ。清盛のもとで栄華の日々を送るかに思えた仏御前もまた、祇王の姿にみずからの明日を見、栄枯盛衰、むなしさを知る。そして祇王母娘を追って仏の道へと入る。ふるさとへ帰る時にみずからの姿を写した像を形見として残してきたという。その像は仏御前が亡くなって後、祇王寺より原村に贈られた。
実盛の首を確かめた樋口次郎は、ただ一目みて「あなむざんや、斎藤別当で候ひけり」と涙はらはら。実盛の討死【うちじに】から500年後、芭蕉が訪れ「むざんやな」の句を詠む。
仏御前が求めた仏の道は今もなお里人の心へと続く。
「平家物語」に記され、謡曲「仏原」(世阿弥作と伝えられている。「平家物語祇王」を本説とし、旅の僧が仏の原にて仏御前を回向する)の題材にもなった仏御前の一生は短い。「人の世の栄華は夢の夢、楽しみ栄えて何かせむ」と仏教に救いを求め、ふるさとでも仏道に精進したという。
仏御前の里の人々は栄光のなかに人生のむなしさを見た仏御前を慈しみ、ふるさとで過ごした清らかな祈りの日々を語り継ぐ。尊像を預かる家では日々、供花や仏供を整えて大切にお守りする。現在の林さん宅では昭和の初め以来70年。広間を開放し、全国から訪れる人々を迎えている。
仏御前の墓石は人々がなでさすったためだろうか、中央が窪み、すりへっている。病気平癒を願う里人が仏御前の慈悲にすがって祈ったためだという。
実在の人物、それもかつては白拍子として華やかな場にありながら悟りを求めた一生だからこそ、人々は心の拠り所とすることができた。親しみのなかで、仏の道の尊さを感じることができた。
仏御前はいまもなお原町の人々とともにある。800年の時を経てなお、里人を見守っている。
林美江【はやしみえ】仏御前像安置所、小松市原町文化財保存会・千才庵
仏御前信仰とともに800年のあいだ尊像を守る。
仏御前の尊像はお寺やお堂に安置してきたのではなく、800年あまりの間、ずっと一般の家々でお守りしてきました。昭和の始めにうちでお預かりするようになりましたが、それまでは庄屋さんや信仰心の篤い家を転々としてきました。
乾漆像なのでケースに保管したままでは呼吸ができなくて傷んでしまいます。朝にお厨子を開け、夕方には閉め、信仰の対象として大切にお仕えすることが、像を守ることにもなりました。
毎年9月16日の[仏御前まつり]には白拍子の舞を奉納し、町内の方々が集まって縁起を読んでいます。

信仰に支えられた仏御前の一生を、この静かな山あいの地で偲んでください。
※仏御前像安置所は個人宅です。見学希望の方は必ず事前にご連絡ください。連絡先/0761-47-1241

http://www.minamikaga.com/index.html


グランドジェネレーション(大いなる世代=GG) 天声人語 9月17日

2012年09月17日 | Weblog
また、出てしまった 人生訓と説教癖
そう言えば、我が職場~店~もGGによって支えられている。感謝


天声人語より
植物の知恵はいじらしい。強風や雷、水不足のストレスにさらされた大木は、小さくなって出直そうとするそうだ。樹木医の石井誠治さんによると、太い枝を新たな幹にするなど、世代交代がうまくいけば、巨樹は同じ遺伝子を継いで生き続ける(岩波ジュニア新書『樹木ハカセになろう』)▼石井さんと木々を訪ねた。神奈川県の真鶴(まなづる)半島ではスダジイ、クスノキ、クロマツの大樹が江戸時代から年輪を刻む。仰ぐたびに気(け)圧(お)された。「これほどの密生は珍しい」という▼静岡県熱海市の来宮(きのみや)神社。屈指の大楠(おおくす)は瘤(こぶ)だらけで、もはや岩の趣である。その異形に、NHKの幼児劇で見た「かしの木おじさん」を思った。森の長老は物知りで、居眠りしながら主役の山猫たちを温かく見守る▼加齢の理想像だろうが、昨今のお年寄りはずっと行動的らしい。元気で財布のひもが緩い高齢者を、商いの世界ではグランドジェネレーション(大いなる世代=GG)などと呼ぶそうだ▼若いうちは金がなく、働き盛りは暇がない、待ちわびた定年後には気力体力が尽き、残るは人生訓と説教癖。そんな通説を覆し、旅行に音楽会、おしゃれにグルメと、自ら楽しめる幸せな人たちである▼オリックスのマネー川柳に〈かじられたスネ四本が行く足湯〉がある。GGの皆さま、どうか必要を超えて蓄えず、国内の温泉あたりで費やし、日本経済を回してほしい。それが、いわゆる世代間格差を和らげることにもなる。祝日に無粋な説法、お許しあれ。

少欲知足

2012年09月15日 | Weblog
夕歩道(中日新聞)より
2012年9月15日
 家へお経をあげに来てくれたお坊さまに、読経のあとの雑談の中で、たずねたことがある。…近年、西洋では持続可能という言葉がはやっておりますが、東洋にそれに似た言葉はありましょうか?
 お坊さまは、すこし考えなさって、こうおっしゃった。…少欲知足というのがそれに当たりますかな、欲望を少なくして、充足を知ることです。お釈迦(しゃか)さまが入滅にあたり弟子に遺(のこ)した言葉です。
 なるほどそれは無駄を少なくし、節約や節電の勧めにつながる。不謹慎ながらそれをお経のように唱えればジーゾクカーノー、ショーヨクチーソク、ゲンパツ、ヘラソー、ハヤクー、ゼロニー…。


我、我欲の多きこと、意地貼り、強情な心癖に気付かされる。
生かされている今、小さな喜びに日々の幸せを感謝する。素直でいたい。

以下は ことわざ学習室より
http://kotowaza.avaloky.com/pv_yoj203.html


●少欲知足
読み(ひらがな)
しょうよく ちそくは

意味
あまり、いろいろな物を欲しがらず、現在の状態で満足すること。 欲望を全て、消してしまうのではなく、欲張らないで、与えられた現実を素直に受け入れること。

解説
この句は、仏教と道教が融合したような句と考えられます。 少欲は、①眼で見ること。②耳で何かを聞くこと。③鼻で香りをかぐこと。 ④舌で食べ物の味を感じること。⑤体に心地よさを感じること。これら、5つの 事柄は、全て、自分の欲に通じるものであり、この5つの欲をできる限り小さく持ち、 それ以上を欲しがらないという意味で、仏教的要素の強いことばです。また、 知足は、中国の古典、老子の中で表されている言葉で、現在、満たされている状態を 受け入れ、それに満足することのようです。物や異性を欲しがる欲や、有名になりたい欲、 偉くなりたい欲などにも用いられるようです。この句は、もともと、涅槃経にある説法、 「八正道」の一部の内容を、少し変えて、作り出された言葉ではないかと考えられます。

重要語の意味
少欲=「しょうよく」と読み、欲が少なく、今以上のものを欲しがらないこと。 知足=「ちそく」と読み、「たるを知る」という意味で、現状のままで満足すること。 八正道=「はっしょうどう」と読み、お釈迦様が、説かれた、仏教の基本的な実践方法、 ①正見。②正志。③正語。④正業。⑤正命。⑥正勤。⑦正念。⑧正定。

いわれ(歴史)と重要度
中国の仏教の解説書、大乗義章(だいじょうぎしょう)13。   法華経。   雑阿含経。 重要度=☆☆


http://kotowaza.avaloky.com/pv_yoj203.html より




上士、中士、下士

2012年09月13日 | Weblog
雑誌で気に留めた老子

 上士は道を聞きては
 勤めて之を行う

 中士は道を聞きては
 存するがごとく亡(うしな)うがごとし

 下士は道を聞きては
 大いに之を笑う

 笑わざればもって道と為すに足らず
 故に建言に之有り

 明道は昧(くら)きがごとし

 進道は退くがごとし

 夷道はケワしきがごとし

 上徳は谷のごとし

 大白は辱のごとし

 広徳は足らざるがごとし

 建徳は偸(かりそめ)なるがごとし

 質真は渝(かわ)るがごとし

 大方は隅無し

 大器は晩成す

 大音は希声なり

 大象は無形なり

 道は隠れて名無し

 それただ道は
 善く貸し且つ為す


<解釈>

 上士は道を聞くと勤めてこれを行い、
中士は道を聞いても、道などあってなきが如くであり、
下士が道を聞けば、これを笑い飛ばす。
下士が笑わないようでは、そういうものは道とするに足らない。

だから昔の人の言葉にもある。

明るい道は、まるで昧い道のようであり、
進んでいる道は、後退しているかのようであり、
平坦な道は、ねじれた糸の節目のようであり、
上の徳は、谷のようであり、
大いなる白は、穢れているようであり、
広い徳は、不足しているかのようであり、
剛健な徳は、不真面目で軽薄であるかのようであり、
真実の真は、移り変わっているかのようである。
広大な四角であれば、隅というものがみえない。
大器は晩成。(※)
大きな音は、聞いても聞こえない。
大きなかたちは、かたちが無い。


道は隠れて名前も無い。

それただ道は、よく施し生成する。


<雑感>

 ここを読むと、まるで「道」というものは、「人の思う、逆に道
あり 妄想の山」と思えて苦笑してしまう。
それにしても、この章は、「故に 建言に之あり」(昔の人の言葉に
もある)というような部分といい、又どうも全体のまとまりに欠け
ているような内容といい、何か老子らしくないような感じを受ける
のだけれども、要するに、この章で述べられている事は、第一章の
「道の道とすべきは、常の道にあらず」という事と同意と考えて良
いだろうか。

※この中にでてくる、「大器晩成」、これは前後の文脈から考えると、
現代知られているような意味ではおかしくなり、前後の意味を合わせ
ようとすれば、この部分は、「あまりにも大き過ぎる器は全体が見え
ない故、完全な器とは見えない」、というような意味として書かれて
いると捉えるべきなのであろうか・・。よく分からない。


 人には人それぞれの価値観があり、その人の持っている価値観に
よっては、「道」というものも、無用の長物であるかも知れないし、
又、人によっては、「道」に対する知識など皆無であっても、「道」
そのものを生きているような人もいるかも知れない。

「道」を笑い飛ばす人、必ずしも「下士」と言えるかどうか・・。
道にとらわれなくなれば、道を聞いても笑い飛ばすかも知れない。

『いと高きと、いと低きは似た者となる』
『「煩悩即菩提」といえるは、一坂越らん人の眼よりいへる言葉なり』
これらは、沢庵禅師の言葉である。

事象に道そのものの解を求めれば、道は転々としてその姿を顕さず。
   老子 道徳経             -2002年03月18日記-より
http://www.eonet.ne.jp/~chaos-noah/tao/tao_index_3.htm

私見
上記の中に 、大音は希声なりとある。
騒音でしかない。本人は元気良くしているのだろうが、周囲には一人や二人はいるものだ。
不愉快に感じられ、不足に思ってしまうことがある。
君子は人の美を成す:論語をおもいうかべる。

                 

君子に三畏あり

2012年09月13日 | Weblog
雑誌で目にした論語から

[白文]8.孔子曰、君子有三畏、畏天命、畏大人、畏聖人之言、小人不知天命而不畏也、狎大人、侮聖人之言、
[書き下し文]孔子曰く、君子に三畏(さんい)あり。天命を畏れ、大人(たいじん)を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎(な)れ、聖人の言を侮る。


[口語訳]孔先生が言われた、『君子には三つの畏れはばかりがある。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言葉を畏れる。小人は天命を知らないで畏れず、大人になれなれしくし、聖人の言葉を侮辱する。』

[解説]君子の抱く畏怖は小人にはない種類の畏れ(はばかり)であり、君子は『人智を超越した力や権威・徳』に対する敬意と畏怖の念を絶えず忘れないのである。反対に、徳や志といったものがない小人は、天命を畏怖せずに無視し、徳の優れた大人になれなれしくして、聖人の言葉を教訓にしようとする意志がないと言っている。

『論語 季氏篇』の書き下し文と解説:2より