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安宅の関 案内より
智・仁・勇の心で語られる勧進帳とは…
源平壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした源義経は、生来の猜疑心からこれを退けようとする兄頼朝に追われ、奥州」平泉の藤原氏の元へ落ちのびようとしました。頼朝はこれを捕らえようと各地に関所を設けます。当、安宅の関守は冨樫左右衛門泰家。そして文治3年(1187年)3月頃、山伏姿に変装した義経弁慶以下主従が安宅の関にさしかかります。一行の山伏姿を関守冨樫に疑われると、東大寺復興勧進のため諸国を廻る役僧と称し、何もか書かれていない勧進帳(寄付帳)を読み上げ、難を逃れようとしました。しかし再び強力姿(荷人夫)の義経が疑いをかけられると、弁慶はすかさず金剛杖を持って主義経を打ち据えます。冨樫は弁慶の忠誠心に心をうたれ、義経一行だと気付きながらも関の通行を許したのでした。 この物語は美談として能「安宅」、歌舞伎「勧進帳」として長く演じられています。
弁慶の読んだ勧進帳
それつらうらおもんみれ~ば 大恩教主の秋の月は ねはんの雲に隠れ 生死長夜の永き夢 驚かすべき人もなし ここに近頃の帝おわします 恩名を聖武天皇と申し上げ奉る 最愛の夫人にわかれ 追慕やみがたく 涕泣眼にあらく 涙玉を貫く 思いを善路にひるがえし 上求菩提のため盧遮那仏を建立したもう しかるに去んじ 治承の頃焼亡しおわんぬ かほどの霊場絶えんなきことをなげき 俊乗坊重源勅命ナこうむって 無情の勧門に涙を流し 上下の真俗を勧めて かの霊場を再建せんと諸国に勧進す 一紙半銭奉財の輩は 現世にては無比の楽を誇り 当来にては数千蓮華の上に座せん 帰命稽首 敬って申~す~
安宅の関 案内より
智・仁・勇の心で語られる勧進帳とは…
源平壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした源義経は、生来の猜疑心からこれを退けようとする兄頼朝に追われ、奥州」平泉の藤原氏の元へ落ちのびようとしました。頼朝はこれを捕らえようと各地に関所を設けます。当、安宅の関守は冨樫左右衛門泰家。そして文治3年(1187年)3月頃、山伏姿に変装した義経弁慶以下主従が安宅の関にさしかかります。一行の山伏姿を関守冨樫に疑われると、東大寺復興勧進のため諸国を廻る役僧と称し、何もか書かれていない勧進帳(寄付帳)を読み上げ、難を逃れようとしました。しかし再び強力姿(荷人夫)の義経が疑いをかけられると、弁慶はすかさず金剛杖を持って主義経を打ち据えます。冨樫は弁慶の忠誠心に心をうたれ、義経一行だと気付きながらも関の通行を許したのでした。 この物語は美談として能「安宅」、歌舞伎「勧進帳」として長く演じられています。
弁慶の読んだ勧進帳
それつらうらおもんみれ~ば 大恩教主の秋の月は ねはんの雲に隠れ 生死長夜の永き夢 驚かすべき人もなし ここに近頃の帝おわします 恩名を聖武天皇と申し上げ奉る 最愛の夫人にわかれ 追慕やみがたく 涕泣眼にあらく 涙玉を貫く 思いを善路にひるがえし 上求菩提のため盧遮那仏を建立したもう しかるに去んじ 治承の頃焼亡しおわんぬ かほどの霊場絶えんなきことをなげき 俊乗坊重源勅命ナこうむって 無情の勧門に涙を流し 上下の真俗を勧めて かの霊場を再建せんと諸国に勧進す 一紙半銭奉財の輩は 現世にては無比の楽を誇り 当来にては数千蓮華の上に座せん 帰命稽首 敬って申~す~