つばさ

平和な日々が楽しい

「日出(いづ)る処(ところ)の天子…」の書簡で、中国への毅然(きぜん)とした外交姿勢を示した聖徳太子

2013年01月27日 | Weblog
【産経抄】1月27日
 昭和47年9月27日夜、中国との国交回復交渉のため北京の迎賓館に宿泊していた田中角栄首相を突然、周恩来首相が訪ねてきた。「これから毛沢東主席がお会いになります」。予定外の会見だった。田中首相はあわてて大平正芳外相らを伴い、毛主席の邸宅にかけつけた。
 ▼中国の最高権力者はにこやかに話しかけたという。「もうケンカは済みましたか。ケンカをしないとダメです」。翌朝の日本の新聞は、今読めば恥ずかしくなるほどに毛主席の「大人(たいじん)ぶり」を書き立てた。日本国民も日中友好ムードに酔ったのである。
 ▼中国側にとっては計算ずくだった。これを機に、25日の田中訪中以来膠着(こうちゃく)気味だった交渉は中国ペースで一気に進み、29日には共同声明発表にこぎつける。中国が権力闘争を繰り返す国であることや、米国の警戒にも目をつぶっての「前のめり」の国交回復だった。
 ▼それから40年余り、習近平総書記も対日処方箋を毛主席に学んでいるようだ。訪中した公明党の山口那津男代表をじらした上で、会談に応じた。しかも、池田大作創価学会名誉会長の名前を挙げて山口氏を感激させる。中国伝統の日本人懐柔策といえる。
 ▼習氏は安倍晋三首相との首脳会談に前向きな姿勢を見せたという。だが一方で尖閣諸島を「日中双方にとって緊急性を持つ」と述べた。つまり安倍首相が尖閣で頭を下げるなら会ってやろうという態度だ。「関係改善に意欲」とは片腹痛い気さえする。
 ▼中国側の狙いが、親中的な日本の政治家を利用し日本の対中世論を分断することにあるのは明らかだ。それに乗せられるようでは、「日出(いづ)る処(ところ)の天子…」の書簡で、中国への毅然(きぜん)とした外交姿勢を示した聖徳太子が泣く。

寒稽古がつらいほど飛躍は大きく、積雪が深いほど豊かな実りがもたらされる

2013年01月26日 | Weblog
余録: 2013年01月26日 
 今はすたれた風習をめぐる季語を探すのは、歳時記をながめる楽しみの一つである。たとえば今の季節なら「寒声(かんごえ)」というのがある。寒中に行う声の鍛錬を指し、早朝や夜ふけの寒気のなかで大声を発することで芸を上達させようというのだ▲「歌舞をたしなむ者は寒中に三十日暁天(ぎょうてん)に庭場にのぞんで詠唱し、あるいは鼓舞す。これを俗に寒声と称するなり」と江戸時代の歳時記にある。芸事だけでなく僧の読経も寒中の修業が求められた。さぞや昔の冬の早朝はにぎやかだったろうと空想をたくましくする▲小寒から節分までの約30日間が一年で最も寒いとされる寒の内である。今も行われる武道の寒稽古、昔の芸事の寒声など寒中の鍛錬は精神を集中させると信じられた。春から始まる次の一年の飛躍が仕込まれる厳寒期だ▲寒試しというのは昔の東北地方などの天候占いである。昔の人は寒の内に一年の気候が凝縮されていると考え、寒中の天気の推移でその年の気候や作柄を予言した。むろん科学的予測ではないが、一年の豊凶があらかじめ寒中に仕込まれるという発想が寒稽古に似る▲その寒中の日本列島は上空に強い寒気が入り、29日ごろまで冬型の気圧配置が続くという。気象庁は大雪と暴風雪及び高波についての気象情報を出し、日本海側の大雪などに警戒を呼びかけている。寒冬といわれるこの冬だが、さて天はどんな仕込みをしているのか▲寒稽古がつらいほど飛躍は大きく、積雪が深いほど豊かな実りがもたらされる。何も受験生だけに呼びかけたいのではない。厳寒に耐えて春を迎える心の弾みを昔の人に学びたい今年の冬である。

孤独に耐え、相手国に尽くし、日本の価値観を伝えた侍たちのなきがらが

2013年01月24日 | Weblog
春秋
2013/1/24
 炎熱の砂漠、多湿のジャングル、氷点下の氷原。地球上のあらゆる極限の地で、この会社の社員は働いている。プラント会社の日揮は、約2千人の社員の1割以上が常に海外の建設現場にいる。その多くが難居住、危険地帯と呼ばれる、常人には想像もできない場所だ。
▼アルジェリアのイナメナスも、その一つだった。そんな危ない所になぜ。そう聞かれて、ある社員は「資源がそこにあるから」と淡々と答えていた。石油やガスは、もう簡単な場所では採れない。遠い国、厳しい気候、治安が悪い社会に飛び込んでいくのはこの仕事の宿命なのかもしれない。社員はリスク覚悟で赴任する。
▼多くの途上国の政府が、日揮という一企業に絶大な信頼を寄せている。日本人の技術者が現地の若者を徹底的に指導して、その国の未来を担う人材を育てるからだ。たとえ資源があっても技術が根づかずに悩む途上国は少なくない。テロで亡くなった社員が教師で、生き延びたアルジェリア人は生徒であったかもしれない。
▼遠隔地に単身赴任する駐在員が口にする一番の困難は「危険」ではなく「孤独」だそうだ。その孤独に耐え、相手国に尽くし、日本の価値観を伝えた侍たちのなきがらが、もうすぐ政府専用機で帰還する。できれば仰々しいフラッシュではなく、静かな気持ちで迎えたい。失われた命の重さと遺族の無念を思い頭(こうべ)を垂れる。

自分の城を守る

2013年01月22日 | Weblog
春秋
2013/1/22
 「自分の城は自分で守れ」とはトヨタ自動車の「中興の祖」といわれる石田退三氏の言葉だ。戦後の労働争議の後に社長に就任し、「無駄金はびた一文出さぬ」と、徹底的なコスト削減に取り組んだ。会社の基盤固めに大いに貢献したのがこうしたケチケチ経営だった。
▼ただ石田氏は、企業の成長のためにドンとお金を出すことも忘れなかった。工場の生産能力が月間5千台のとき、同じ愛知県豊田市内に新たに月産5千台の工場建設を決断する。現在の元町工場だ。1959年に操業を始め、「クラウン」を続々と送り出した。日本の自動車産業を飛躍させる投資だったともいえるだろう。
▼経済の先行きは混沌としているが、コストを切り詰めるだけの「縮んだ経営」になっていないだろうか。上場企業は現預金などの手元資金を約60兆円も積み上げている。企業の将来を考えれば、投資すべき案件には思い切って投資することが必要だ。設備、研究開発、M&A(合併・買収)など、お金の振り向け先は多い。
▼半世紀の歴史がある元町工場からは自動車生産の新しいノウハウが生まれている。組み立てラインが従来より短くて済み、設備投資を大幅に節約できるという技術だ。新興国などでの工場建設や増産に踏み切りやすくなりそうだ。技術革新は自動車産業に限らない。「自分の城を守る」には未来への積極投資も求められる。

人々と時代の元気を分かち合った翼は今、池のほとりで静かにはばたきを終えた。

2013年01月21日 | Weblog
余録:2013年01月21日 
 はるか北方の暗い海に鯤(こん)という巨魚がいる。それがいったん変身すれば、翼長何千里とも知れぬ鵬(ほう)という鳥となる。海の荒れる季節、鵬は風に乗って南の海に向かって飛び立つ。9万里の高さに上り、6カ月の間休むことなく飛び続ける▲「荘子(そうし)」が記す巨鳥にちなむ「大鵬」は、漢籍好きの先々代二所ノ関親方秘蔵の四股名であった。先に使われるのではと気が気でなかったが、期待の愛弟子が十両に昇進して、満を持して言い渡す。だが当の納谷幸喜さんは戸惑った。「ズドーンというあれですか?」▲その3年前、北海道の営林署の力仕事をしていた納谷少年がある日、上司に「きょうはいい」と言われた。するとおじに相撲の巡業を見に行こうと連れて行かれ、あげくに「ここに残れ」と言われて着のみ着のまま巡業の一行に加わった。始まりはそんな時代だった▲その名の通り大鵬はたちまち昇進をとげ、第48代横綱の天空に達する。柏戸という好敵手を得て飛び続けた12年間はほかでもない日本が高度成長の坂道をかけのぼり、目もくらむような社会の変貌(へんぼう)を経験した時代である。その坂道で人々が仰ぐ空に大鵬は舞い続けた▲「巨人・大鵬・卵焼き」は当時の熱気を後世に伝える“不滅の流行語”だろう。ただし当人は天性を評価されるのを嫌った。「僕は天才ではなく、苦労してはい上がる努力型です」。優勝賜杯を受ける時いつも考えていたのは「これで来場所はまた大変だな」だった▲鵬は南方の天の池を目指すという。貧苦や傷病の重力に抗して飛び続け、人々と時代の元気を分かち合った翼は今、池のほとりで静かにはばたきを終えた。

世界とは、なんと非情なのか。日本人が巻き込まれる事件だけでなく、無慈悲な物語が絶えない地球なのだ。

2013年01月21日 | Weblog
春秋
2013/1/21
 1972年2月、長野県軽井沢町で起きた「あさま山荘事件」は解決までに219時間を要した。管理人の妻を人質に取り、銃を手に立てこもった連合赤軍メンバーの5人は警察官ら3人の命を奪う。それでも警察は耐えに耐えて、突入するタイミングを探りつづけた。
▼犯人の母親による説得、送電停止、放水と手を尽くした末に、あの有名な鉄球作戦がとどめを刺す。そのかいあって人質は無事救出、グループ全員の逮捕となるのだが、さすがに当時でもあまりの慎重ぶりにいらだつ声はあった。ましてや現下のアルジェリア当局からみれば、これなどは理解を超える日本式にちがいない。
▼天然ガス関連施設がイスラム武装勢力に襲撃された人質事件で、軍がみせた行動は容赦なき掃討だった。テロリストとの交渉などは論外、手をこまぬいていれば敵を人質とともに広大な砂漠に散らばらせることになる――。そういう認識ゆえのアルジェリア式決着なのだろう。代償の大きさの前に、わたしたちは声もない。
▼世界とは、なんと非情なのか。日本人が巻き込まれる事件だけでなく、無慈悲な物語が絶えない地球なのだ。「あさま山荘」の2年前に、瀬戸内海での旅客船乗っ取り犯を警察は射殺した。これが批判を呼び、その後は慎重手法が主流になったという。そうでありつづけられた日本を揺さぶる、アルジェリアの現実である。

目の前に現れる困難や壁を常に自分の力に変えてきた

2013年01月20日 | Weblog
春秋
2013/1/20
 「大鵬さんは、最初から大きくて強かったのでしょう」「天才ですね」。そう持ち上げられるたびに、とんでもないと思ったそうだ。32回の最多優勝記録を持ち、柏戸とともに相撲の黄金期を築いて「柏鵬時代」と呼ばれた。その元横綱・大鵬が、72歳で亡くなった。
▼自分は天才ではなく努力の人間だと本紙連載「私の履歴書」で語っている。戦前の樺太(現サハリン)で生まれた直後は体の弱い子供だった。貧しさの中、小中学生のころから水くみ、まき割り、もっこ担ぎ、道路工事、さらに営林署に就職後は山中での雑草刈りと、生活のために働く中で体がだんだん鍛えられていく。
▼16歳で角界に転身したころは183センチ、70キロ弱の体で電信柱と呼ばれた。大学卒の力士に負けたくない一心で稽古(けいこ)に打ち込む。出稽古で初めて戦った柏戸に全く歯が立たず、以後の目標とした。横綱になってからもケガや病気に悩まされるが、再起不能説を何度も跳ね返す。入院中も病室を抜け出し、夜の公園を走った。
▼むしろ大ケガの後、以前より「淡々とした相撲」を取れるようになったと喜んだ。目の前に現れる困難や壁を常に自分の力に変えてきた。「勝つために稽古し、努力の過程で精神面も鍛えられる。最初から精神ができているわけではない」。なにくそっという根性を最近の力士に感じない。晩年の取材にそう嘆いている。

刑法81条は、「外国と通謀(共謀)して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する」とある。

2013年01月19日 | Weblog
【産経抄】1月19日
 世界はひとつ、なのはディズニーランドの中だけの話である。アルジェリアの事件は、いまだ全容がはっきりしないが、確かな事実を改めて思い知らされた。世界は、とくに中東は、「ヒトの命は地球より重い」と信じていた戦後の日本人が思い描いてきた「世界」とは違うことを。
 ▼アルジェリア軍は、日本はむろん米英にも事前通告せず、テロリストたちを急襲した。拘束されていた人質にも多数の死傷者が出たとの報を受け、安倍晋三首相は電話で抗議したが、後の祭りだった。
 ▼攻撃前に電話していたところで、結論は同じだったはずだ。食うか食われるか。テロリストに譲歩すれば、国そのものが危うくなりかねないかの国の首相の耳には、「人命第一」を訴える安倍首相の言葉は、まったく残らなかったことだろう。
 ▼「命を守りたい」と国会演説で大見えをきったあのヒトならどうしただろう、と夢想していたらなんと隣の国にいた。しかも防衛相から「国賊」呼ばわりされたというから穏やかでない。
 ▼他人に「国賊」だの、「売国奴」などという汚いレッテルを貼るのは、好みでないし、貼る方の品性を疑わせる。鳩山由紀夫元首相も気の毒に、とよくよく中国での言動を追ってみると、国賊もはだしで逃げるひどさだった。
 ▼尖閣諸島を「日中間の係争地」と日本の足を引っ張ったばかりか、でっち上げ展示物満載の「南京大虐殺記念館」を訪れて謝り続けた。共産党支配下にある北京の新聞が1面トップで扱ったのは言うまでもない。刑法81条は、「外国と通謀(共謀)して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する」とある。中国が尖閣に刃(やいば)を向けたときは即、自首するようお勧めしたい。

「一人の生命は地球より重い」。人質の安全か、法秩序の維持とテロの制圧か。

2013年01月19日 | Weblog
春秋
2013/1/19
 ある人は「ミスター・マールボロ」と名づけた。サハラ砂漠の南部一帯でたばこの密輸ネットワークを築きあげたからだ。フランスの当局者は「アンキャッチャブル」つまり「捕まえられない男」と呼んだそうだ。数々の誘拐事件を起こしながら逃れ続けてきたからだ。
▼アルジェリア東部のガス関連施設に対するテロを首謀したとされる男には、いろいろ異名がつけられてきた。密輸にしろ身代金目当ての誘拐にしろ、卑劣な手段でテロ資金をかき集める能力の高いことが、うかがえよう。長らく属していたアルカイダ系の組織を昨年末に離脱したのも、汚い手口が不評を買ったためという。
▼テロリストたちが人質の一部を連れて脱出しようとしたので、軍事作戦を発動せざるを得なくなった――。アルジェリア軍がヘリコプターや特殊部隊を投入して早々と鎮圧に乗り出した理由について、同国の高官はこう語ったと伝えられている。テロリストたちが新たな資金源を手にするのを最も警戒したのかもしれない。
▼とはいえ釈然としない気持ちは拭えない。もっと人質の安全に配慮してもよかったのでは、と。1977年、日本赤軍によるハイジャック事件に直面した福田赳夫首相の言葉が思い浮かぶ。「一人の生命は地球より重い」。人質の安全か、法秩序の維持とテロの制圧か。恐ろしいまでに難しい判断。テロを憎む思いが募る。

街なかを走るバスの語源は、ラテン語で「すべての人のために」を意味する「omnibus

2013年01月18日 | Weblog
春秋
2013/1/18
 街なかを走るバスの語源は、ラテン語で「すべての人のために」を意味する「omnibus」からきているそうだ。1820年代にフランスの実業家が始めた乗合馬車が、現在のバス事業につながっている。当初は公衆浴場を使う客を送迎するために考えたらしい。
▼きょう18日は「都バスの日」。1923年の関東大震災で路面電車が壊滅的な被害を受け、翌年のこの日に東京でバスが走り始めた。非常時に活躍するのがバスだ。東日本大震災の被災地でも貴重な交通手段になっている。JR気仙沼線では昨年末から、鉄道の代わりに専用道を高速で走るバスが本格的に運行し始めた。
▼最近では路線バスを乗り継ぐ旅もちょっとした人気ではあるが、全国的にバス路線の廃止や減便が止まらない。バス停や鉄道駅から遠い公共交通の空白地域は現在、九州の面積に匹敵するという。予約制の相乗りタクシーを導入するなど自治体は工夫しているものの、車を運転できないお年寄りはさぞ不便なことだろう。
▼民主党政権は地域の交通網を維持しようと交通基本法をつくる予定だった。国民が自由に移動できる権利を定めたバス発祥の地、フランスの法律を参考にしていた。安倍政権のもとで前政権の政策の見直しが進むが、この法案はどうなるのだろう。公共事業で新たな道路を造るよりも、住民の足をまず守ることが大切だ。