つばさ

平和な日々が楽しい

 お彼岸 越山若水9/21

2012年09月21日 | Weblog
先祖、親の徳に感謝したいね。

福井のニュース 越山若水
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記事一覧
お彼岸は春分と秋分の日を中心に、前後3日…
(2012年9月21日午前8時00分)
 お彼岸は春分と秋分の日を中心に、前後3日間、合計7日間をいう。一般にはお寺やお墓に詣でる「彼岸会」を指すが、インドや中国にはない日本独自の習慣らしい▼春分と秋分の日を中日と決めたのは江戸時代後期の天保暦からで、国民の祝日法でも秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日」と定めている▼ところで彼岸とは文字通り彼方(かなた)の岸であり、そこにある理想郷のこと。「河の彼岸は異国なり。其(そ)の国は安楽旦然清浄にして、諸々(もろもろ)の患難無し」と仏教書は説明する▼煩悩に満ちた此岸(しがん)=現世から、彼岸=悟りの世界に到達できるように願う仏事が彼岸会である。そのイメージは仏教が生まれたインド・ガンジス川に似ている(興膳宏著「仏教漢語50話」岩波新書)▼彼岸会は古く聖徳太子の時代に始まり、平安時代に朝廷で定着。江戸時代には年中行事化したとされる。ある意味、日本人が宗教的理想郷を求める「実践期間」ともいえる▼時を同じくして、平成のわが日本では政治的理想郷を模索する「選挙期間」の真っ最中。民主、自民のダブル党首選で相次いで新リーダーが誕生する▼秋の彼岸を彩る花といえばヒガンバナ。きょう掲載の写真のように、燃えるような赤が印象的だ。さて党首選も終盤である。混迷の政治からの脱却を願う国民にとって“悲願花”が咲くかどうか、注目である。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/column/37027.html

シロアリが国庫を 毎日新聞 余録 2012年09月21日

2012年09月21日 | Weblog
気付き、智恵を出す良い機会かも
改善のチャンスに

シロアリが国庫を食い荒らす話が…
 2012年09月21日

 シロアリが国庫を食い荒らす話が中国の清代の書物にある。康熙帝の時代、塩に課す税金を収めた蔵から数千金が消失した。びっくりした役人が捜索すると壁の下に粉末の山がある。掘り出していくと升何杯分ものシロアリが出てきたという▲その大量の粉末を炉にくべると金の塊に戻ったが、なぜか元の金額には達しない。同じ書には河北省の役人が箱に入れた銀をシロアリに食べられるという話もある。もしかして税金にシロアリは昔からつきものだったのか▲さて先日の小紙夕刊(東京)の特集ワイドは「震災復興予算にシロアリが群がり、復興に関係ない事業に使われている」という被災地選出議員の怒りを伝えていた。復興予算で行われる霞が関の耐震工事や自衛隊の武器整備、核融合研究や芸術家の海外公演のことだ▲それに先立つ9日夜のNHKスペシャルは、沖縄の国道工事、東京の国立競技場の補修費、テロやシー・シェパード対策などに復興予算が使われていることを報じ、被災地をあきれさせた。いうまでもなく5年間で19兆円の復興予算の半分以上は増税でまかなわれる▲一方で中小企業や商店の再生への支援もままならず、1年前と変わらぬ光景が広がる地域の多い被災地である。国民が25年に及ぶ復興増税を受け入れたのは、むろん被災地の人の顔を思い浮かべてのことだ。東京にある税務署を耐震化しようと思ってのことではない▲政権交代前は天下り法人を「シロアリ」にたとえ、その退治を訴えた野田佳彦首相だった。今や落ちるところまで落ちた「政治主導」だが、少しは被災地住民のために意地をみせてはどうだろう。
http://mainichi.jp/opinion/news/20120921k0000m070104000c.html

ゼロベース 【産経抄】9月21日

2012年09月21日 | Weblog
0か1 デジタル思考?アナログでも!

【産経抄】9月21日
2012.9.21 03:06
 「近年、ゼロがだんだん多く使われるようになってきたという気がする」。英文学者の外山滋比古さんが2年前、あるエッセーで指摘していた。もともと日本では、数字の始まりは1だった。「一から十まで」という言葉はあっても、「ゼロから」とは言わない。ビルの地上階はあくまで1階だ。
 ▼もっとも、かつて生まれると同時に1歳になった赤ちゃんは、今は0歳である。「ゼロベースで国が責任を持って結論を出す」。外山さんのエッセーは、当時の鳩山由紀夫首相の発言に触発されたものだ。
 ▼沖縄県の米軍普天間飛行場の移設受け入れの是非が、争点となった名護市長選の直後だった。反対派の勝利を受けて鳩山氏は、県外移設を模索する。迷走のあげく4カ月後、自民党政権下の計画とほぼ同じ、辺野古への移設を表明し、沖縄県民と米国政府をあきれさせたのも記憶に新しい。
 ▼民主党政権は、その後も失政を積み重ね、断末魔の声を上げている。最後の望みを託した「原発ゼロ」もまた、看板倒れに終わりそうだ。そもそも「2030年代に原発稼働ゼロ」を柱とした「革新的エネルギー・環境戦略」は、衆院選を意識して有権者の歓心を買うのが目的としか思えない。およそ戦略に値する内容ではなかった。
 ▼経済界や青森県など原発立地自治体が激しく反発し、日米原子力協定を結んでいる米国も懸念を示すと、たちまち腰が砕けてしまった。ただ閣議決定の見送りによって、エネルギー不足が日本没落に拍車をかける、最悪の事態だけは逃れたことになる。
 ▼民主党は、政権担当能力がゼ ロだったと懺悔(ざんげ)して、ただちにゼロベースで国民に信を問う。日本再生の道は、これしかない。

愛国心とは 2012年09月20日木曜日河北春秋

2012年09月21日 | Weblog

2012年09月20日木曜日河北春秋より
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20120920_01.htm
 初の本格的な英語辞書を編纂(へんさん)した英国の文学者サミュエル・ジョンソンに名言がある。愛国心をこう定義した。「愛国心とは、悪党どもの最後の逃げ口上」▼「悪党」を「悪童」と言い換えれば、きのうまでの中国の反日デモにぴったりの形容だ。主に20代の若者た

 ▼文化大革命時の「造反有理、革命無罪」をもじって「抗日有理、愛国無罪」だそうである。反日には正当な理由があり、愛国的行為なら何でも許されるという理屈。これを錦の御旗にした暴動だ▼民主化を求める若者が立ち上がった1989年の天安門事件。愛国無罪の標語はこの時も使われた。要求は戦車に蹂躙(じゅうりん)され、多数の死傷者を出す悲劇に終わり、世界中が怒り、悲しみ、同情した

 ▼この事件と違い、今回の暴動で若者たちが得たのは、世界の嫌悪でしかない。政府が暴力を許しつつ規制もする「官製デモ」の色彩も強く、中国という国の本質をさらけ出したようなデモだった▼「法治国家の確立」を憲法に追加したのは10数年前。法治国家なら、日本企業への狼藉(ろうぜき)による損害は、賠償するのが筋だろう。そして、尖閣領有を主張するなら、どうぞ国際司法裁判所へ。

2012年09月20日木曜日

愛国心とは - はてなキーワード より
http://d.hatena.ne.jp/keywordtouch/%B0%A6%B9%F1%BF%B4



Nationalism ,Patriotism , Statism

個人が生まれ育った国に対する愛着と精神的依存および献身の態度をいう。その中核は愛郷心にみられるように,風土・習慣・文化的伝統にあこがれと安らぎ,懐かしさなどを抱くとともに誇りを感ずる自然の情にもとづいている。社会的な帰属意識や帰属欲求による愛情的充足欲求(マズロー)が一般同胞意識として民族・国家へと拡大すると考えられる。これらの感情は,国際的な競技や戦争などを契機として喚起されることが多い。民族中心主義も愛国心の一形態であるが,血縁的排他的で偏狭な団結心などの集団心理にもとづいた国粋主義として思想的政治的支配に利用されることが多い。
旅研 歴史事典データベース
愛国心とは,人が自分の帰属する親密な共同体,地域,社会に対して抱く愛着や忠誠の意識と行動である。 愛国心が向かう対象は,国 country によって総称されることが多いが,地域の小集団から民族集団が住む国全体までの広がりがある。この対象が何であれ,それはつねにそこに生活する人々,土地,生活様式を含む生活世界の全体である。また愛国心の現れ方は,なつかしさ,親近感,郷愁のような淡い感情から,対象との強い一体感あるいは熱狂的な献身にいたるまで,幅がある。すなわち愛国心は,本来は愛郷心,郷土愛,あるいは祖国愛であって,地域の固有の生活環境の中で育まれた心性であり,自分の属している生活様式を外から侵害しようとする者が現れた場合,それに対して防御的に対決する〈生活様式への愛〉である。どの時代どの地域にも見られるこの意味の愛国心に対して, 19 世紀に成立したナショナリズムは,個人の忠誠心を民族国家という抽象的な枠組みに優先的にふりむけることによって成立する政治的な意識と行動である点において区別される。しかしながら世界が国家を単位として編成されるようになると, 愛国心も国家目的に動員されたり,逆に国家に抵抗する働きを見せたりすることで,国家との関係を深めた。そのうえ日本では,愛国心は近代において権力によって促成栽培された歴史的経緯があるから,日本語の〈愛国心〉には国家主義的な意味合いがつきまといがちである。
「ネットで百科」より引用
ちなみに、国家主義的な意味合いを持つ「愛国心」は、しばしば「外圧」と結び付けられることによって形成され、また維持される。例を上げれば、日本における黒船の衝撃、韓国や中国における日本の侵略の記憶などがある。

日中関係を第三者的に見つめている欧米のジャーナリストの中には、中国の愛国心教育と反日政策が問題解決を難しくしていると指摘する者たちもいる。ある記者は「歴史問題での大部分の中国人の意見は間違った情報に基づいている」と指摘するとともに、「日本を間断なく攻撃しても中国側には何の不利な結果をもたらさないということだ。日本企業は中国に投資し続け、観光客は絶えることなく訪れ、政府は援助資金を依然として提供し続けている。 だから中国にとってこれほど便利な外交戦略はない」と結論付けている。 日本のジャーナリストの中にも「中国が愛国心教育を行うのは理解できるし、その中心が抗日戦に関することになるのもわからないではない。しかしそれも程度問題だ。さらに悪いことに戦後の日本に関する情報がほとんど伝えられていない。日本が民主国家に移行して自由な言論が認められ、自分たちの戦争犯罪を自己批判する本が数多く出版されていることも、日本からの経済援助によって中国の社会資本がどれだけ充実したのかも、多くの中国国民は知らされていない」と指摘している者もいる。
Wikipediaに掲載されていた見解