つばさ

平和な日々が楽しい

高齢でも元気で意欲のある人が働きつづけられる環境を整えなければならない。

2013年08月31日 | Weblog
春秋
8/31付

 「初老」という言葉は最近あまり使われないが、辞書を引くと、もともとは40歳の異称なのだそうだ。たしかに人生五十年の時代には不惑の年回りともなれば老いを意識したに違いない。見た目も気も十分若いアラフォー男女が元気ハツラツの今どきとは別世界である。

▼それでは現在だと何歳くらいなら初老と呼べるか? NHK放送文化研究所の調査によれば男性55.5歳、女性58.4歳だというから、小欄などもその一員である。いささか感慨が湧くけれど、先日の総務省の発表によると初老よりずっと年長の、65歳以上の「老年人口」が今年3月末時点で3000万人を超えたという。

▼かたや15~64歳の「生産年齢人口」、つまり世の中の働き手の数は8000万人の大台を割り込んでしまった。年金を受ける高齢者が急増しているのに、それを支える労働力は減るばかりなのだ。こういう少子高齢化のすさまじさを物語る数字を突きつけられると、ニッポンの危機の深さにあらためて暗然たる思いが募る。

▼社会保障の見直しや少子化対策を、よほど徹底してやらないと大変な未来がやってくるだろう。加えて、高齢でも元気で意欲のある人が働きつづけられる環境を整えなければならない。なにも「生産年齢」を64歳までに限ることはないのだ。「初老」はむかしとは様変わりした。「老年」だって新しい解釈があってもいい。

子どもの命を弄ぶ蛮行をすぐやめさせてこそである。

2013年08月30日 | Weblog
春秋
8/30付

 54、55……。おでこやおなかに無造作に貼られたガムテープに数字が書いてある。外傷はなく、ちょっと見には口を半開きにほうけて昼寝しているようでも、じつはもう息絶えている。10歳にもならないだろう子どもの死体、それが何十も丸太ん棒のように並んでいる。

▼21日にシリアで使われたという化学兵器(神経ガス)の犠牲者の映像がある。反政府側が公開した。見れば「もう憤りだけでは足りない」(仏ルモンド紙)という気になる。憤りより強いもの、つまりは米国などのアサド政権への武力行使が間近だとされる。子どもの死に顔はその空爆に大義を与える大切な要素でもある。

▼シリアの内戦では2年半に10万人が死に、200万人が難民になって国外に逃れた。化学兵器を使ったという話はかつてもあったが、誰が使ったか、結局は藪(やぶ)の中だった。国連は化学兵器について現地で調査はしている。しかし、アサド政権を非難する米英仏と後ろ盾になるロシアの対立ばかり際立ち、何も決められない。

▼そんな中で迫る大国の軍事介入である。空爆があれば、そのためにあらたな犠牲も出るだろう。それでも大義があるとすれば、内戦を一刻も早く終わらせるという正義と結びついてこそである。子どもの命を弄ぶ蛮行をすぐやめさせてこそである。「アラブの春」などと知ったふうに使ってきたが、その何と多難なことか。

時ならぬ「ゲン」ブームのなかで考えさせられることが、なかなか多い。

2013年08月29日 | Weblog
春秋
8/29付

 「ゲン」がない。どこにもない。松江市教育委員会による閲覧制限が問題になった漫画「はだしのゲン」のことだ。騒動をきっかけに読者が殺到し、いま書店では品切れが続出、図書館でもほとんど貸し出し中とあってめったに手にできない。版元は増刷を急ぐそうだ。

▼単行本で全10巻。通読するには骨の折れる大作である。それがこんなに注目される展開になろうとは、市教委は思いもしなかっただろう。いや教委といっても事務局だけで判断し、市立小中学校の図書館で自由に読めないようにしていた。その短慮が、かえって「ゲン」をいよいよ有名にしたのだから皮肉というほかない。

▼この漫画にはかねて表現が過激だ、歴史認識が「反日的」だといった批判がある。一方で戦争の不条理、原爆の悲劇を描いて貴重な作品だと称賛する声がある。つまり問題作なのだが、それくらいの毒は古今の文芸作品にだっていくらでも含まれていよう。そんな懸念でいちいち閲覧制限をかけていたら棚から本が消える。

▼松江市教委は5人の委員による会議を開き、8カ月に及んでいた制限の撤回を決めた。教育委員がようやく仕事をしたわけだが、さてこの人たちはふだん何をしているのか、事務局の暴走を怒っていないのか、という疑問もわいてくる今回の騒ぎだ。時ならぬ「ゲン」ブームのなかで考えさせられることが、なかなか多い。

あいさつは「ご飯食べた?」(チーファンラマ)

2013年08月28日 | Weblog


夕歩道

2013年8月28日


 「四本足なら、机以外。空を飛ぶものならヒコーキ以外は何でも食べる」。中国人の食への思いを言う有名な言葉。親しい仲なら、あいさつは「ご飯食べた?」(チーファンラマ)。なるほどネ。
 でも、化学品で作ったふかひれやニセ酒、ニセ食用油など、ニセ食品は深刻。「安全だから」と、富裕層に十キロ一万五千円の日本産米が、爆発的に売れたこともある。値は庶民が食す米の五十倍。
 重慶元トップの裁判で、金満一家の食生活も明らかに。被告の息子がアフリカで買ってきた珍獣の生肉に、被告が「火を通せ」と主張し、父子げんか。中国庶民は「どんな肉」と、興味津々とか。

夢を語ることさえできない国が、まだある。

2013年08月28日 | Weblog
春秋
8/28付

 私には夢がある。50年前のきょう、マーティン・ルーサー・キング牧師がワシントンで人種差別の撤廃を訴えた演説は有名だ。動画サイトでみると、16分あまり。決して長くはない。半世紀の時を超えて今なお胸を打つくだりの一つは、次のように語ったところだろう。

▼「私には夢がある。私の4人の小さな子どもたちが、いつの日か、肌の色でなく人格の中身によって判断される国に住むことだ」。キング牧師の子供たちは1960年前後の生まれで、オバマ大統領と同じ世代だ。キング牧師が高らかに掲げてみせた夢が、黒人初の大統領という形をとって実現した。そんな感慨を覚える。

▼言うまでもなく、人種差別の撤廃を求める公民権運動はキング牧師の演説の後も曲折をたどった。演説の翌年にキング牧師はノーベル平和賞を受賞したが、その翌年、やはり黒人の公民権活動家だったマルコムXが暗殺された。さらに3年後には、キング牧師自身が白人男性の銃弾に斃(たお)れた。人種問題の傷痕は深く悲痛だ。

▼それでも米国が、キング牧師の掲げた理想に向けて前進してきたとはいえるだろう。ひるがえって世界を見わたせば、キング牧師のように堂々と夢を語ることさえできない国が、まだある。特定の民族に対して憎しみをあらわにするヘイトスピーチが、公然と行われ始めた国もある。キング牧師の夢を改めてかみしめたい。

地名とは。「日本人が大地につけてきた足跡である」足跡を消し化石を壊せば取り返しはつかない。

2013年08月27日 | Weblog
春秋
8/27付

 昭和の文芸評論家、山本健吉が戦後日本の三大愚行を挙げたそうだ。旧仮名を新仮名にしたこと。尺貫法をメートル法に変えたこと。そして住居表示法施行による地名の改悪。前ふたつは愚行と決めつけがたいが、地名改悪だけは「その通り」と両手を挙げて賛成する。

▼山本の話を小紙「私の履歴書」で紹介した民俗学者の谷川健一さんが死去した。民俗学は森羅万象をさばくもので、まして「谷川民俗学」という独自の目を持った人だ。為したことのすべてを門外漢が知ることはできぬ。ただ、地名の安直な改竄(かいざん)に憤り、古い地名を守るため力を尽くしたことは記憶しておかねば、と思う。

▼谷川さんは1970年代末から80年代にかけて、市民組織の「地名を守る会」と研究機関の「日本地名研究所」をつくり、このふたつを拠点に行政の施策に抗する活動を続けた。本人は「長年の努力をあざ笑うような奇妙奇天烈な地名の横行」を嘆いていたが、それでも、碩学(せきがく)の行動力が歯止めになったことは間違いない。

▼地名とは。「日本人が大地につけてきた足跡である」「もっとも身近な民族の遺産である」「時間の化石である」「大事にされないのは水と同じである」。谷川さんは言葉を変えて繰り返し訴えた。足跡を消し化石を壊せば取り返しはつかない。92年の生涯は、奇妙な名にあぜんとしながらの喪失感との闘いでもあったか。

新学期が始まるよ、大人も子どもも、体と心をならしなさいと。

2013年08月26日 | Weblog
夕歩道

2013年8月26日


 ツクツクボウシが、鳴いています。夏休みも八月も、今週で終わりです。宿題は終わってますか。絵日記はつけていますか。何々、もう月末まで書いてあるって。いやはや、それはなんとも…。
 今年の猛暑は格別でした。でも、お盆を過ぎると土用波が立ち、空の色、雲の形も変わります。一日が短くなるのがわかります。新学期が始まるよ、大人も子どもも、体と心をならしなさいと。
 ところが、季節外れは国会議員さん。お盆が終わると、百人近くが海外へ視察旅行に繰り出した。費用は一人百七十万円まで公費ですって。宿題は終わってませんね。絵日記もつけてませんね。

いま消費者は情報の多さに疲れている。マイナスは隠し、能書きは多くという従来の商売とは逆の発想も、

2013年08月26日 | Weblog
春秋
8/26付

 「ようこそ日本一あついまちへ」。そんな急ごしらえの立て看板を前に、記念写真を撮る観光客たち。今夏、国内観測史上で最高となる41度を記録した高知県四万十市の光景だ。お盆の時期、観測地点に近い地元産品の直売所を訪れた客は、平年の6倍に達したという。

▼急きょ開いた、激辛うどんを皆で食べる催しも盛況だったと本紙の記事が伝えている。緑に囲まれ清流が流れる土地であり、暑いといっても蒸し風呂のような大都市の暑さとは、しのぎやすさが違う。とはいえ、暑さは暑さだ。「日本一涼しい」街が観光客でにぎわうならともかく、なぜ暑い街をわざわざ人は目指すのか。

▼暑さ日本一になったとたん、逆手にとってのPRや催し。何やら頭が軟らかく、故郷が好きで、ノリがいい人たちに会えそうではないか。地方の観光振興をテーマに小説「県庁おもてなし課」を書いた有川浩さんも、いま客はその土地ならではの物語を体験し、持ち帰りたいのだと指摘する。暑さや不便さも物語の一つだ。

▼現代の情報過多も味方した。いま消費者は情報の多さに疲れていると野村総合研究所は分析する。商品や解説が詰まった冊子や店舗は買う気をそぐ。その点「日本一暑い」は特徴が明快だ。皆が知っているから、近所や職場でも話の種になる。マイナスは隠し、能書きは多くという従来の商売とは逆の発想も、時に有効だ。

少年ジャンプで連載中、人気が下位に沈んでも、編集長が子どもに読ませたいと判断し連載は続いた。

2013年08月25日 | Weblog
中日春秋

2013年8月25日


 昨年亡くなった中沢啓治さんには「はだしのゲン」の続編を描く構想があった。目の病気で実現できなかったが、広島平和記念資料館の展示室で下書き原稿を見ることができる(九月一日まで)
▼敗戦から十四年後、ゲンは絵の修業のために上京する。理髪店で被爆のことを話すと、店主から「原爆を受けた者に近づくと放射能がうつる」と罵倒される。東京大空襲で親を失った子どもに同情し、財布を盗まれる場面もある
▼絵が描かれているのは一ページだけ。鉛筆でこま割りやせりふを指定する粗いスケッチだが、波乱に富む新生活を予感させる。続編では被爆者差別を描こうとしたそうだ
▼累計部数一千万部超。二十カ国で翻訳されているこの漫画が、松江市の小中学校の図書館で自由に読めなくなった。旧日本軍の暴虐さを描いた一部の描写が過激とされた
▼校長四十九人のうち、制限が必要と答えたのは五人。結果的に政治的圧力に屈する形になった市教委の判断は理解に苦しむ。週刊少年ジャンプで連載中、人気が下位に沈んでも、編集長が子どもに読ませたいと判断し連載は続いた。どちらが教育的だろうか
▼麻生太郎外相(当時)の肝いりで核拡散防止条約の国際会議に政府代表団が英語版「はだしのゲン」を配布したことも。下村博文文部科学相は閲覧制限を認めた。大の漫画好きの麻生さんの考えが聞きたい。

何かをぼんやり眺めていたいと思うことは誰にもあろう。

2013年08月25日 | Weblog
春秋
8/25付

 「人まじわりすると血がにじみますから、未明の水を眺めてしばらくすごしたいと思っています」。釣り好きの先輩作家、井伏鱒二にあてた開高健の手紙にそうあった。このところ文章がつづれずいらいらしているので山上湖に釣りへ行く、と伝えたあとの一節である。

▼書かれたのは1969年(昭和44年)。30代の終わりにさしかかった旬の作家の心のうちをのぞいたような気になるのだが、たとえ血がにじむほどの傷を負っていなくても、とかくに人の世は住みにくい。何かをぼんやり眺めていたいと思うことは誰にもあろう。8月もあと一週間、夏の終わりにそんな時を持つのもいい。

▼開高の手紙をみて思い出したのが八木重吉である。昭和初年に29歳で早世した詩人の作品は短いものが多い。「草に すわる」は「わたしのまちがいだった/わたしの まちがいだった/こうして 草にすわれば それがわかる」で全文。「雲」は「くものある日/くもは かなしい/くものない日/そらは さびしい」。

▼同じ題の詩を幾つも書き、「いちばんいい/わたしのかんがえと/あの雲と/おんなじくらいすきだ」という「雲」もある。高村光太郎は「このきよい、心のしたたりのような詩はいかなる世代の中にあっても死なない」と重吉の作品を評した。草に座ってぼんやり雲を眺める。暑くてもなんでも、雲はもう秋の顔である。