つばさ

平和な日々が楽しい

雑巾がけ

2012年09月27日 | Weblog
中日春秋

2012年9月27日


 落語家の前座修業というのは文字通り、雑巾がけらしい。先代の柳家小さんの家では廊下や門はもちろん、師匠の下駄(げた)の歯までを弟子たちが磨き上げた
▼ちょっとでも手を抜けば、どやされ、ひっぱたかれる。「押し売りの帰し方がよくねえ」と叱られ、肌襦袢(じゅばん)の背を通りに向けて干しただけで、たしなめられる。「世間に背を向けるとは何事か」
▼そうやって鍛え上げられた柳家小三治さんが、振り返っている。「こういう身体を通した修業で知ったことがあった。これを知っていると、洗濯物ではなく、人様に対する気持ちとして、背中を向けないというようなことを覚えるんじゃないですかね。修業が生きてるんです」(『ザ・前座修業』NHK出版)
▼雑巾がけは政治家が大好きな言葉だけれど、さて、この人はどんな修業をしてきたのか。自民党総裁選を戦った五人はそろって世襲議員だったが、中でも名門一族の御曹司安倍晋三氏が新総裁に選ばれた
▼美辞麗句好きで、勇ましい発言を連発するのは、周知のことだ。多くの人がいま知りたいのは、本当にこの人に国民の生活が分かるのか、失業や貧困の苦しさを理解できるのかということだろう
▼安倍氏は五年前の秋には突然、首相の座を放り出した。今度は本当に国民に背を向けぬ覚悟があるのか。還暦を目前にした元若旦那の変貌ぶりをとくと拝見しよう。

食傷(しょくしょう)気味

2012年09月27日 | Weblog
 「時鐘」 2012年9月27日

予想通り、新横綱の口上(こうじょう)に「全身全霊(ぜんしんぜんれい)」があった。いつのころからか、横綱・大関誕生の際は、口上が話題になる
当日は注目されても以後、関心は薄(うす)れる。大関出島(でじま)は、「力(ちから)の武士(もののふ)」というかっこいい文句を使ったから覚えている。「一意専心(いちいせんしん)」「堅忍不抜(けんにんふばつ)」など難しい四字熟語(じゅくご)が一時はやり、やがて廃(すた)れた。力士の本分(ほんぶん)は、口上ではなく土俵にある

きのうは新総裁も誕生した。「新」というよりも返り咲き。6年前、晴れ舞台での「美しい日本」という「口上」を思い出した。「戦後レジームからの脱却(だっきゃく)」という横綱の四字熟語よりも難(むずか)しい言葉もあったはず。力士と違って、政治家は口上も大事な仕事。聞かされる方も、簡単に忘れるわけにはいかない

いまの総理誕生の折の口上は、内輪もめ返上を訴える「もうノーサイドに」。その前には「仕事大好き内閣」やら、東シナ海を「友愛の海に」というすてきな口上も聞かされた

新横綱は時に荒(あら)っぽい相撲が批判を浴びる。口上に背(そむ)かぬような立派な土俵を期待したい。言うだけの美しい「口上」は、よそで散々聞かされ、もう食傷(しょくしょう)気味(ぎみ)である。

友情のメダル

2012年09月27日 | Weblog
【産経抄】9月27日
2012.9.27 03:22
 「あんたらの先輩が美談にしたてたんやけど、そんなことやない」。1936年のベルリン五輪棒高跳びの銀メダリスト、西田修平さんは生前、小紙記者に語っている。銅メダルの大江季雄さんと健闘をたたえ合い、互いのメダルを半分に割ってつなぎ合わせた、「友情のメダル」の物語だ。
 ▼西田さんによれば、2人とも金メダル獲得しか頭になかった。記録で勝る米国選手に対して、バーの高さを一気に10センチも上げる、捨て身の作戦は失敗に終わる。当時の規定では2人とも2位が正しく、審判の誤りへの怒りもあった。「友情のメダル」というより、「くやしさ」と「抗議」のメダルだったようだ。
 ▼きのうの自民党総裁選は、どこを探しても美談に仕立てようがない。名乗りを上げたのは、全員世襲議員だ。耳をふさぎたくなるような候補者の失言がある一方、水面下では派閥の存亡をかけた情報戦が繰り広げられていた。
 ▼1回目の投票の2位争いに関心が集まる、不思議な選挙でもあった。地方票で優位に立つ石破茂前政調会長が首位となっても、決選投票では敗れる可能性が高いとみられたからだ。
 ▼「安倍氏の逆転が有力」と、きのうの小紙(最終版)が報じた通り、結局安倍晋三元首相が新総裁に選出された。ただその前途は多難だ。前回首相の職を途中で投げ出したことへの批判は、今も根強い。領土や主権の問題で一歩も引かない姿勢に、中国は敵意をむき出しにするだろう。
 ▼それを承知で、自民党は再び安倍氏を押し立てた。政権奪回を果たすだけでは足りない。民主党政権の失政によって、完全に行き詰まった外交と経済を立て直し、震災復興を軌道に乗せるまで、金メダルはお預けだ。

者、家のつく職業

2012年09月27日 | Weblog
「時鐘」 2012年9月26日
 医者、易者(えきしゃ)、芸者。「者」のつく職業に共通するのは何か、ある学者が分析(ぶんせき)している
国家的な免許(めんきょ)制度のなかったころ、二代三代と続く世襲(せしゅう)で技や芸を伝承(でんしょう)し、世の中から暗黙裏(あんもくり)に資格を認められた仕事ではないかという。記者もその一つかと問われると困るが、明治以降に生まれた職業は一緒(いっしょ)にできない

東京でニセ医者が逮捕された。免許なしで4千人以上もの患者を診(み)ていた。先の震災でもニセ医者のボランティアが話題になった。医者といえば、それだけで信用する日本人の人のよさは、長い習慣の産物かもしれない

政治家や作家など「家」がつく職業もある。これも免許なしでできる。ただし社会が暗黙裏に認める資格が必要だ。憲政(けんせい)の神様とよばれた尾崎咢堂(おざきがくどう)が「国会議員の資格10カ条」を唱(とな)えたことがある。道徳堅固(どうとくけんご)、権勢(けんせい)に屈(くっ)せぬ勇気などは今も通用するが「自説を固守(こしゅ)する貞操(ていそう)」となるとどうか

耳が痛い議員が多かろう。公約を破棄(はき)し、党を移ろうともニセ議員呼ばわりはされない。政治家を任命も失格もさせる力のある偉(えら)くて怖(こわ)い「者」であるのに、日本の有権者は優(やさ)しい。優しすぎる。