つばさ

平和な日々が楽しい

受賞しようがしまいが、夢や感動を見せてくれた人たちの物語が

2013年02月26日 | Weblog
春秋
2013/2/26
 生前に直接手渡してあげられたらどんなによかっただろうか。色白できれいな顔に、きっと照れくさそうな笑みが浮かんだにちがいない。多くの人がそう思うはずである。昭和の大横綱、大鵬の故納谷幸喜さんに対する国民栄誉賞の表彰式が、きのう首相官邸であった。
▼これまで個人として受けた20人のうち、亡くなった後で受賞が決まったのは、納谷さんで12人目になる。古賀政男、美空ひばり、渥美清、黒沢明……。いつもらっていてもおかしくなかった名前が並ぶ。温かい拍手に包まれ、心のこもったお祝いの辞が読まれても、天国に届けというのであれば、やはりさびしい気がする。
▼だが結局は、時の首相の考えで決まるのがこの賞でもある。授賞の明確な基準はなく、いつも政権の人気取りが疑われる。あの人はもらったのにこの人はなぜ。受賞の時期が早い、いや遅い。スポーツや文化、芸能の道を一筋に精進してきた人に、そんな尺度で評価を定め、外野が詮索しすぎるのは失礼なのかもしれない。
▼「まだ現役で発展途上」。そういって2度にわたり辞退したメジャーリーガーのイチロー選手もすがすがしく、「もろたら立ちションもでけへん」と断った世界の盗塁王、福本豊さんのエピソードも愉快だ。受賞しようがしまいが、夢や感動を見せてくれた人たちの物語が、この先も伝え継がれていくことに変わりはない。

どこか別の国の知らない部屋に瞬間移動していればいいのに

2013年02月24日 | Weblog
春秋
2013/2/24
 首都の中心にあるマンモス大学が、大地震に襲われたらどうなるだろう。若手芥川賞作家、綿矢りささんの最新作「大地のゲーム」は、未来の日本らしき国を舞台にした小説だ。父親の世代は若いころ大地震と津波を経験したが、大学生らにはすでに昔話となっている。
▼街は暗闇に包まれている。古い図書館の倒壊で友達が命を落とす。残った校舎では家を失った学生たちが共同生活を送る。暴力事件も起きる。たくましく生きる主人公の女子学生だが、ある日、疲れで目をきつく閉じて、こう想像する。次に目を開けたら、どこか別の国の知らない部屋に瞬間移動していればいいのに、と。
▼東日本大震災から、もうすぐ2年がたつ。神戸、新潟、そして東北。私たちが揺れる大地で暮らすことを折に触れ思い起こすために、感受性の豊かな作家や美術家たちの果たす役割は大きい。来月は都内で、被災地での復興支援と作品づくりに取り組むアーティストたちが、展示や講演などの催しを約3週間にわたり開く。
▼会場は元中学校で体育館が残る。ここで避難所生活を体験する企画もある。日本で生きる人にとって震災は終わらないものだと主催者。東京で開くのは「その日」に備えるためもあるという。封印したい記憶、目を背けたい可能性をどう心に留め置くか。悲しみ、不安、希望など見えない思いを形にするプロに期待したい。

「まあ、おなつかしい」

2013年02月23日 | Weblog
春秋
2013/2/23
 暗殺されたのが1909年(明治42年)。それから54年たった昭和38年に伊藤博文の千円札が発行された。と、お札を見た新橋だか築地だかの待合の内儀(おかみ)が「まあ、おなつかしい」と言ったという。嘘かほんとか、作家の山口瞳がエッセーにそんな逸話をのこしている。
▼こちらは日本の近代化を背負った懐かしい面々の顔見世である。明治天皇が命じてつくった「人物写真帖」が皇居・三の丸尚蔵館ではじめて公開されている(3月10日まで)。肖像写真の被写体はざっと4500人。当時なら群臣と呼ぶことになろうが、皇族、政治家、官僚、軍人、学者らおなじみの大物が顔をそろえる。
▼撮影は明治12年から13年にかけて、写真に撮られるのがまだ当たり前ではなかったころだ。しかも天皇が身近に置こうというのだから、一葉一葉にピリリとした緊張感が宿る。40歳のわが伊藤博文はじめ、目線が正面から微妙に左右にずれているのは、もう流儀ができていたからか。ひげが多く眼鏡がないのも時代だろう。
▼尚蔵館から皇居・東御苑をしばらく歩くと、梅林がある。寒さのなかでほころび始めた花が芳香を放ち、メジロが枝々を飛び回っている。人だかりがして、かざされた携帯電話や立派な一眼レフがシャカシャカ音を立てる。思えば、この国の写真の普及にも一役買ったという「人物写真帖」から、130年以上たっている。

新聞が一番面白くなるのは、議会がよけいな口を出さない時だ」

2013年02月21日 | Weblog
春秋
2013/2/21
 奇妙な決まりがなくなるのはいいことだ。それにしても5年と4カ月。つまらぬしきたりも、いったんできあがってしまえば壊すのにずいぶん時間がかかるという見本になりそうだ。国会同意人事をめぐる「事前報道ルール」を撤廃することで与野党がやっと合意した。
▼日銀総裁や公正取引委員長などの人事は政府の提案に国会がウンと言ってはじめて正式に決まる。ところが、新聞やテレビが政府案をスクープすることがある。そうなったら国会はもう提案を受けつけない、というのが問題のルールである。事前報道によって国会の審議が形だけになる。そんな理由で仕組みはつくられた。
▼風が吹けば桶屋(おけや)はなぜもうかるか。広辞苑に載っている。しかし、人事が報道されると審議はなぜ形骸化するのか。理屈はいまに至るもとんと分からない。当方買いかぶられたのかもしれないが、人事を決めるのはメディアではない。どう報じられようとも、ふさわしい人物かどうかを存分に議論するのが国会の役割だろう。
▼「新聞が一番面白くなるのは、議会が開かれていない時だ」と20世紀前半の英国のコラムニスト、アラン・ミルンは書いた。議会の報道のかげであまたのニュースが落ちてしまうことを嘆いた皮肉屋の見識に半ばうなずきつつ、こう並べてみることにする。「新聞が一番面白くなるのは、議会がよけいな口を出さない時だ」

今の北朝鮮の姿勢は、あの工作船の構造と二重写しになって見える

2013年02月18日 | Weblog
春秋
2013/2/18
 1990年に福井県美浜町の海岸に打ち上げられ、警察が押収した北朝鮮の小型工作船を見たことがある。普通なら耐久性が低いため使わないベニヤ板で作っていた。大小様々なサイズの木の杭(くい)も積んであった。船に穴が開くと、ちょうどあうものを選んで塞ぐらしい。
▼船底は平らではなく深いV字型。米国製のエンジンを3基もぎゅうぎゅう詰めにして並べていた。安定性よりなにより、とにかくスピードを出せればいい。そんな発想であろう。安普請の船体と大馬力のアンバランスな組み合わせ。時速100キロぐらいまで出たが、船体は長時間の航行に耐えられなかった、と警察はみる。
▼自国民が飢えようが、極寒に震えようが、まったく意に介さない。とにかくミサイルと核兵器を手に入れ、世界に力を示す。今の北朝鮮の姿勢は、あの工作船の構造と二重写しになって見える。瀬戸際外交とよばれるむちゃな振る舞いをなぜ、といつも不思議に感じるが、かの国の指導部の考え方は万事こうなのであろう。
▼暗闇に乗じ、悪天候をついて上陸を図った工作船は消波ブロックにぶつかり、大破する。近くの海からは乱数表や無線機などの七つ道具とともに、損傷が激しい2人の水死体が見つかった。身につけていた指導者親子の肖像画は波間に漂っていた。今の北朝鮮もこのままでは、工作船と同じ運命をたどりはしないだろうか。

プラトンはレスリングを理想の国にふさわしいスポーツとして奨励した。

2013年02月14日 | Weblog
春秋
2013/2/14
 古代ギリシャの名家に生まれたアリストクレス少年は、肩幅が広くがっちりした体格の持ち主だった。そこに目をつけた体育教師が授けた愛称が「広い」の意味にちなむ「プラトン」。大哲学者はこの名で今にまで知られることになった(村川堅太郎「オリンピア」)。
▼体格どおりの文武両道だったプラトンはレスリングが得意で、大会で優勝したこともあったらしい。彼が生きた紀元前5~4世紀、4年ごとに欠かさず行われていた古代オリンピックでも「人類最古の格闘技」といわれる競技に人は興奮し、チャンピオンはスターだった。そのレスリングが五輪から姿を消しそうだという。
▼日本のお家芸じゃないかという悔しさはおいておこう。ただ、国際オリンピック委員会(IOC)理事会の決定がストンと腑(ふ)に落ちないのは、「なぜか」が分からぬからである。近代五輪でも第1回から実施している。まさかの油断から、ロビー活動でライバル競技の後塵(こうじん)を拝した。そんな解説が当を得ているのかどうか。
▼「オリンピア」によれば、プラトンはレスリングを理想の国にふさわしいスポーツとして奨励した。鍛え抜いた体と体の大技のかけ合いが魅力だったのだ。さて、今日の五輪にふさわしいスポーツを決めるのは。残念ながら理想の五輪を思い描く哲学者ではなく、種々雑多な思惑がからまりあう国際舞台の力学なのだろう。

【産経抄】「メンツ社会」中国 考えた結論が「悪いのは日本」

2013年02月10日 | Weblog

2013.2.10 03:12
 前にも紹介した宇田川敬介氏の『2014年、中国は崩壊する』によれば中国は「メンツ社会」である。メンツと言っても、単なる「面目」や「体裁」とは違う。その人の地位や権利に直結しており、失えば社会からドロップアウトせざるをえない重いものだという。
 しかもこの国は大いなる階級社会だ。上位の者のメンツを守ることは生き延びるための条件だ。例えば温家宝首相が「尖閣諸島は中国の領有である」と発言した以上、首相のメンツにかけて実行しなければならない。そんな世界なのだそうだ。
 東シナ海で中国の艦艇が海上自衛隊の護衛艦に射撃管制用レーダーを照射したのは、軍の独断行為との見方が強まっている。だがそれを「知らなかった」では、共産党や政府指導部のメンツが立たない。といって事実を認めれば国際的批判を浴び、こんどは軍幹部がメンツを失う。
 双方のメンツを立てるため考えた結論が「悪いのは日本」だったようだ。「射撃管制用レーダーは使っていない」と突っぱねた上に「日本は一方的に虚偽の発表をした」である。いかに科学的な証拠を示したところで、聞く耳を持ちそうもない。
 不気味さを増す中国の大気汚染も、当局の環境政策の誤りにあることは明らかだ。だがサイトでは「汚染物質は日本から飛来する」「日系企業の工場排気が汚染源」といった風説が流れている。噴飯ものとはいえ、これも幹部のメンツを守るためかもしれない。
 日本でも党のメンツにこだわり政府の人事案を受け付けない民主党のような例もある。しかしそんな無責任さは次の選挙で厳しい審判を受けるだろう。一党独裁の中国では、それが逆になるというところが厄介である。

あの時代の検察は信頼されすぎていたのかもしれない、

2013年02月10日 | Weblog
春秋
2013/2/10
 大きな事件には時代が染みついている。リクルート事件の名からは、いまも昭和の終わり、バブル絶頂の匂いを嗅ぎとることができる。リクルートを創業した疑獄の主役、江副浩正さんが死去した。執行猶予つきの有罪が確定してちょうど10年、逮捕からはもう24年だ。
▼昭和天皇の容体悪化と歩を合わせるように事件が根の深さを見せていったのを思い出す。平成に入ると竹下内閣が倒れた。元官房長官や中央官庁のトップらが汚職で次々起訴された。リクルートからの新手の賄賂が「譲渡された値上がり確実な未公開株」だった。あやしげなもうけ話に人が踊る。バブル期ならではだろう。
▼この事件には時代の匂いがもう一つ染みついている。「検察黄金期」の匂いである。江副さんは4年前の著書で、検事の取り調べ中に鼻がつくほど壁に近づいて目を開けたまま立たされたり、土下座させられたりしたと書いた。本の中身には自分に都合のいい記述も少なくないと断りつつ、「現代の拷問」とまで批判した。
▼じつは、まったく同じ主張を江副さんは裁判でもしていた。しかし、検事のやりかたが大きな問題になることも、それで検察が描いた構図が崩れることもなく、起訴された12人がみな有罪になった。いま、不祥事にまみれ改革の道半ばにある検察を見つつ考える。あの時代の検察は信頼されすぎていたのかもしれない、と。

ソーラーランタンは、海外の新市場を切り開いて企業が再出発する先導役に

2013年02月09日 | Weblog
春秋
2013/2/9
 電気のない暮らしをしている人が世界には14億~15億人いるといわれる。アフリカやアジアなどの途上国では、あかりに灯油ランプを使っている家が多い。品質が悪いと煙やすすが出て、健康を害してしまう。夕食の一家だんらんも子供の夜の勉強も心配がつきまとう。
▼そこで太陽光を使ったあかりを普及させようとしているのがパナソニックだ。屋根に太陽電池を取り付け、電気を起こしてためておき、発光ダイオード(LED)照明が部屋の中を明るくする。今秋にケニアなどで売り出す予定だ。買収した三洋電機が5年前から開発を進めてきたプロジェクトが、いよいよ日の目を見る。
▼ケニアは携帯電話の世帯普及率が6割あり、今や必需品のその価格は日本円で約3千円。新商品「ソーラーランタン」の価格も携帯電話並みにし、性能は落とさずコストを減らす。分割払いはもちろん購入費の融資を受けられる仕組みもつくるという。顧客は低所得層であるだけに、値付けや売り方は知恵の絞りどころだ。
▼振り返ればパナソニックも三洋電機も、創業期に成長の原動力になった商品は自転車用の発電ランプだった。道の先を照らしながら自転車がぐんぐん進む様子は、会社の勢いも表していたことだろう。途上国の家庭を照らすソーラーランタンは、海外の新市場を切り開いて企業が再出発する先導役になってくれるだろうか。

「ゴリラが胸をたたくわけ」を開けば、家族で寄り添って、笑い、じゃれ合うゴリラの本当の姿に触れ

2013年02月07日 | Weblog
春秋
2013/2/7
 40年以上昔になるが、子どものころ読んだ絵本のなかには、ゴリラを凶暴な野獣として描いているものがまだあった。密林から突然現れ、女性を小脇に抱え、歯をむき出して咆哮(ほうこう)する。極め付きが、戦いを前に立ち上がって胸を打ち鳴らす、あのドラミングの姿だった。
▼地道な研究の成果によって、今ではゴリラが知的で心穏やかな動物であることは広く知られている。ゴリラ研究の第一人者、京大教授の山極寿一さんと、ゴリラを描き続けている阿部知暁さんによる絵本「ゴリラが胸をたたくわけ」を開けば、家族で寄り添って、笑い、じゃれ合うゴリラの本当の姿に触れることができる。
▼ドラミングもかつて考えられていた戦いの宣言や挑発の手段ではなかったようだ。誤解が広がったのは映画「キングコング」の影響も大きいらしい。真の意味は胸をたたいて自己を主張し、衝突することなく平和のうちに互いが離れようという提案だとある。対立ではなく、縄張り争いなどを避けるための対話なのだろう。
▼さて、こちらはヒトの世界の話である。島をめぐるいさかいがますます緊迫の度を増している。自分たちの縄張りだと挑発や威嚇を受けたからといって、そのままやり返すのは決して得策ではあるまい。ここは万物の霊長の威厳にかけても、ゴリラのドラミングを上回る、高度でしたたかな対話力を発揮していかなければ。