つばさ

平和な日々が楽しい

季節の恵み、ありがとう。

2012年10月31日 | Weblog
夕歩道

2012年10月31日


 庭の日陰に石蕗(つわぶき)が咲いたと、便りが届く。タンポポみたいな黄色い花が、二つ、三つ。この花も季節が過ぎると綿毛になって飛ぶんだよ。きれいに咲いてありがとう。見つけてくれてありがとう。
 朝のホームにお日さまからの便りが届く。ひだまりに知らず寄り添う人と人。お日さまはみんなをつなげてくれるかな。秋風は風車を回してくれるかな。みんなの家に安らぎを運んでくれるかな。
 食卓に北の便りが届く。オホーツクのイクラは魚河岸に散り敷くもみじ。三陸からはタラやアンコウ、つまり鍋商材。寒い海で捕れた魚が、都会の人の心と体を温める。季節の恵み、ありがとう。

<夕闇の児童公園あかあかと放射線量計のみ灯る>

2012年10月31日 | Weblog
中日春秋

2012年10月31日


 五木寛之さんの作詞で、松坂慶子さんが艶(あで)やかに歌った『愛の水中花』は、三十年前に大ヒットした曲だ。これも愛 あれも愛 たぶん愛 きっと愛 だって淋(さび)しいものよ 泣けないなんて
▼これもあれも、とにかく「被災地への愛」に満ちているのが政府の復興予算だ。沖縄の国道整備事業や、南極海での調査捕鯨事業、北海道と埼玉県の刑務所で使う小型の油圧ショベル等々
▼どう見ても被災地とは関係なさそうな使い道が、出るわ出るわ。問題の発覚から二カ月近く経(た)っても、切りがない。その気前のいい使いぶりには驚かされてきたが、さすがに、これには泣きたくなった
▼経済産業省が復興予算の五億円を、ベトナムへの原発輸出のための調査に使っていた。「大震災の復旧・復興につながる貿易投資の促進に必要」との理由だ。なるほど被災地は被災地でも、原発事故で世間の風当たりがきつくなった「原子力ムラ」への愛に、あふれている
▼官僚の皆さんはきっと、替え歌を口ずさみつつ、増税などで賄われる巨額の復興予算の使途を算段したのだろう。これも復興 あれも復興 たぶん復興 きっと復興 だって淋しいものよ 省益が減るなんて
▼彼らに歌は歌でも、短歌を贈りたい。被災地の地元紙・河北新報に載っていた福島の一読者の作である。<夕闇の児童公園あかあかと放射線量計のみ灯る>

礼節を忘れないその所作に、こちらが頭を下げたくなった。

2012年10月31日 | Weblog
【産経抄】10月31日
2012.10.31 03:31
 清々(すがすが)しい思いでその場面を見た。28日、東京競馬場で行われた秋の天皇賞の後のことだ。エイシンフラッシュ号でレースを制したミルコ・デムーロ騎手が正面スタンド前で馬を下りた。芝に片ひざをつき、貴賓室の天皇、皇后両陛下に深々と頭を下げたのだ。
 ▼デムーロ騎手はイタリア人である。日本でも大活躍していることは競馬ファンなら誰でも知っている。極めて真面目な親日家なのだそうだ。それにしても、勝利の興奮の中でも両陛下への礼節を忘れないその所作に、こちらが頭を下げたくなった。
 ▼それで思い出したのは、9月に開かれたあるパーティーの席だ。乾杯役をつとめたのは、英国人ジャーナリスト、ヘンリー・ストークス氏だった。英語で日英の近代史などについて語った後、日本語でこう「音頭」をとった。「天皇陛下バンザイ!」。
 ▼ストークス氏は長くタイムズ紙東京支局長などをつとめた。三島由紀夫と最も親しかった外国特派員としても知られる。日本文化に造詣が深いジャーナリストの思いがけぬ「音頭」だった。会場がいっぺんになごやかな空気に包まれたことは言うまでもない。
 ▼デムーロ騎手にしてもストークス氏にしても自然な形で、両陛下に敬愛の念を示した。それぞれの母国の精神風土がもつ懐の深さだろう。大統領が天皇陛下に謝罪を求めたり、日本文化を理解せず靖国神社参拝を非難したりする。そんな近隣諸国とは雲泥の差がある。
 ▼もっとも逆の立場で、日本人が他国の国王や女王に礼を失せずにすませるのか気になる。教育現場では相変わらず国旗、国歌を無視する教師があとを絶たない。しかも一部のマスコミがこれをあおるようなら、いささか心もとない。

所蔵者の人生や歳月をも含む重層的な記憶を伝える媒体ではないか

2012年10月31日 | Weblog
春秋
2012/10/31
 作家は好きな作家をたくみに表現する。山口瞳は、中野重治の文章は自分とリズムが合うと書いて続けた。「野球の投手が、調子がよくて快いテンポで投げているときは野手は守りやすいという。それと似たような快感があった」。快感は時として倍加することがある。
▼古本に前の持ち主の書き込みや傍線が見つかると、たいがいは「汚れちまって」とがっかりする。が、たまには我が意を得たりという「汚れ」がある。同じ箇所に心を動かされ、同じ感想を抱いていると分かるような場合だ。野球にたとえ続けるなら、好投手のもと、息の合う人と一緒に三遊間を守る快感と言えばいいか。
▼時空を超えて知らぬ人とコンビが組めるのだから本は面白い。といったことを読書週間のこの時期、古本屋街をぶらぶらしながら考える。書き込みに加え、日付とローマ字の女の名が残る洋書を70年もたって書棚の奥から取り出し、女性に思いをはせるという作家・山田稔さんの随想がある。汚れたればこその懐旧だろう。
▼いよいよ電子書籍の話題がかまびすしいが、残念ながら端末の中の本にこうした芸当はできない。その分紙はかさばるし重い。どちらにも長短あると重々承知したうえで、本に詳しい評論家・紀田順一郎さんの一文を引こう。「書物は内容や外観の上に、所蔵者の人生や歳月をも含む重層的な記憶を伝える媒体ではないか」

「科学者が」と言われるとつい信じてしまうのは科学に対する信頼の故だろう

2012年10月30日 | Weblog
春秋
2012/10/30
 火星人の地球への来襲を伝える米国のラジオ番組が人々を大慌てさせた話をご存じだろうか。1938年の今日の出来事である。H・G・ウェルズのSF小説「宇宙戦争」をもとに、当時23歳だったオーソン・ウェルズがハロウィーン前夜の特別番組として企画した。
▼生放送のニュース形式にした点が人々を驚かせた最大の理由だったが、その内容は実に巧妙だった。シカゴの天文台の科学者が「火星で光を伴うガス爆発を観測した」とまず伝えて、その光が「非常な速度で地球に向かっている」と続けた。「科学者が」と言われるとつい信じてしまうのは科学に対する信頼の故だろう。
▼そんな科学者のなかで現在、苦しい立場にあるのが地震学者だ。イタリアでは大地震の可能性は低いという見解を示した学者に実刑判決が下され、日本でも地震学会が地震の予知について「非常に困難」と白旗を揚げた。今年は日本で予知研究を進めるきっかけになった報告書が発表されて半世紀という節目の年だった。
▼「予知がいつ実用化するか現在は答えられない。しかし、10年後には信頼性をもって答えることができるだろう」。その報告書にははっきりとこう書いてある。今でも科学の未来には希望を抱きたいが、国民に過大な期待を与えてもまずい。科学的な知見をもとに現実を直視することも、科学者に必要な姿勢に違いない。

「明日」をテーマにした流行歌が、おしなべて悲しい内容なのはなぜだろう。

2012年10月30日 | Weblog
【産経抄】10月30日
 ♪明日という字は明るい日と書くのね(『悲しみは駈け足でやってくる』)。♪きょうも待ちぼうけ(『明日があるさ』)。♪涙の数だけ強くなれるよ(『TOMORROW』)。「明日」をテーマにした流行歌が、おしなべて悲しい内容なのはなぜだろう。
 ▼つらい時期だからこそ、明るい未来にかける期待がふくらむのかもしれない。そう考えれば、野田佳彦首相が、きのうの所信表明演説で、「明日への責任」という言葉を20回も使った理由も納得がいく。
 ▼改造内閣は、田中慶秋氏の法相辞任でいきなりみそを付けた。次期衆院選の前哨戦と位置づけられた衆院鹿児島3区補欠選挙でも敗れた。支持率の下落は止まらず、離党者も相次ぎ、まさに政権は崖っぷちにある。
 ▼だからといって、野田首相に「明日」を語る資格があるとは思えない。首相は所信表明のなかで、責任を果たすための仕事を次々に挙げた。被災地の復興、原発事故との戦い、エネルギー・環境政策、不透明感を増す経済情勢、そして領土・主権をめぐる安全保障の問題…。何のことはない。民主党政権が取り組みに失敗した課題ばかりではないか。
 ▼〈煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし〉と寺山修司は歌った。首相が口にすれば、「明日」という言葉自体が悲しく響く。そもそも、「近いうち」の解散を国民に約束している首相が、政権維持に意欲を示す姿勢自体に違和感を覚える。
 ▼「俺たちに明日はない」とばかりに、崖っぷちなりの覚悟を見せてほしかった。国民が聞きたいのは、首相が果たす「明日への責任」ではない。昨日までの民主党政権の失政の責任を潔く認めた上での、解散の一言だ。

80歳になるとどうなるか

2012年10月29日 | Weblog
時鐘10.29
 今どきの80歳を、昔の80歳と同一視(どういつし)するから、この長寿社会(ちょうじゅしゃかい)では色々と誤解(ごかい)が生じる。男の年齢(ねんれい)は8掛け、女は7掛けの時代だと割(わ)りきればいい
80歳の男性なら昔の60歳少々の人と同じ。50歳の女性は35歳程度(ていど)に相当する。だから三浦雄一郎(みうらゆういちろう)さんが80歳でエベレスト登頂を目指し、81歳の高倉健(たかくらけん)さんが60代の役になりきる。67歳の吉永小百合(よしながさゆり)さんが美ぼうの女教師を演じることもできる

先ごろ、金沢で仲代達矢(なかだいたつや)さんのトークショーがあった。しきりに「芸歴(げいれき)60年、もう80歳」と繰(く)り返したが、とてもそうは見えないかっこよさだった。「映画は石原裕次郎(いしはらゆうじろう)さんと同期(どうき)」とも言っていた。「慎太郎(しんたろう)兄さん」の怪気炎(かいきえん)が頭をかすめたものだ

孔子(こうし)は「六十になって人の言葉が素直に聞くことができ、七十になると思うままにふるまっても道を外(はず)れないようになった」と論語(ろんご)に残している。80歳になるとどうなるか。孔子は70歳前半で亡くなったから記せなかった

仮に生きていても、2500年後の超長寿社会は予測(よそく)できなかったに違いないが、八十にして「怖(こわ)いもの知らず」と言い残したかもしれない。

余録:友人が「自炊を始めた」という。といっても…

2012年10月29日 | Weblog

毎日新聞 2012年10月29日

 友人が「自炊(じすい)を始めた」という。といってもご飯を炊いたりおかずを作ったり、という話ではない。本をスキャナーでパソコンに取り込み、手作りの電子書籍(でんししょせき)にするのである▲いま携帯用の小型パソコンであるタブレットが大人気で電子機器の主戦場になっている。友人もそれを買ったのが自炊のきっかけだ。評論家の勝間和代(かつま・かずよ)さんも自炊派でブログにそのやり方や感想が書いてある▲子どもの頃、本は大切にするものだと教わった。足で踏んづけたりしてはいけない。本を大事にすれば知を尊重する気持ちも育つ、と。ところが自炊は本を解体し1枚ずつにバラしてしまう。それをスキャンする。何となく抵抗がある▲電子書籍の先進国の米国では、こういう奇妙な作業をする人はあまりいないらしい。電子書籍として販売される本が多いので、わざわざ紙の本をスキャンするまでもない。日本ではまだ数が少ないから自炊に走る。好きな本を何百冊でも携帯できるように▲電子書籍を読む端末のほうは、にわかににぎやかになってきた。大別してカラーの液晶(えきしょう)方式と単色だが目が疲れにくい電子ペーパー方式の2種類。ソニーや楽天に加えアップルやアマゾンなどが一斉に新製品を出し市場の大争奪戦が始まった。日本の出版界もこうした情勢をうけて電子書籍の刊行に積極的になってきた▲しかし、米国などに比べまだ少ない。友人は当分の間せっせと自炊にはげむしかないという。「それにね」と付け加えた。「なにしろ本が多くなり過ぎた。狭い書斎(しょさい)スペースを広げる意味合いもあるのさ」。なるほど、切実な動機だと思うが、あきれた根気だね。

「復興しないったってさせてみせらあ。日本人じゃあねえか」。

2012年10月29日 | Weblog
春秋
2012/10/29付
 「復興の魁(さきがけ)は料理にあり」。関東大震災ですっかり焼け野原と化した東京の銀座で、ただ1軒、掘っ立て小屋にこんな貼り紙を張った居酒屋が商売を始めた――。水上滝太郎の小説「銀座復興」は、その店のおやじと客たちの復興にかける高らかな意気を描いた作品だ。
▼いま東日本大震災の被災地をめぐれば、この物語を彷彿(ほうふつ)させる人々の奮闘を知る。まだまだ荒涼とした光景のなかの仮設商店街や、思わぬ場所にぽつんと建つプレハブの飲み屋や理髪店である。街が根こそぎ消えた宮城県南三陸町の志津川地区を歩いてさえ、香り高いコーヒーを飲ませるカフェに出合うことができるのだ。
▼震災から1年半を過ぎたのに、なお「仮設」で頑張るしかない現実も、そこには横たわっている。国の復興予算は本当に必要なところには行き渡らず、先日の会計検査院の報告では、東京スカイツリーの開業前イベントに流用されたお金もあったという。そんな矛盾にさいなまれながらも、必死に自立を探る被災地である。
▼「復興」を「福幸」と書き換えたポスターや看板を、被災地ではよく目にする。ささやかな言葉遊びかもしれないが、再生を誓う思いが伝わって、逆に勇気づけられるほどだ。「復興しないったってさせてみせらあ。日本人じゃあねえか」。かの「銀座復興」のなかで一本気な亭主が息巻くのと同じ声が、耳に響いている。

クイズは「太いのも細いのも、長いもの短いのもあって、ヌルヌルは」

2012年10月28日 | Weblog
時鐘10.28
 射水(いみず)市でアナゴの養殖(ようしょく)に成功したという。世界初の完全養殖を目指すというから注目が集まる
「穴子(あなご)でからぬけ」という落語がある。「からぬけ」は出し抜くという意味とか。主人公は、この地では「ダラ」と呼ばれる与太郎(よたろう)で、仲間に金を掛けたクイズを出す。「尾が長くてモーと鳴くものは」「尾は長くてチューチューと鳴くのは」と、ダラみたいな出題をして金をとられる

やがて掛け金が膨(ふく)れ、与太郎が出したクイズは「太いのも細いのも、長いもの短いのもあって、ヌルヌルは」。ウナギかドジョウかと迷う相手に、与太郎は「両方言ってもいいよ」。そう答えると、「違う。答えはアナゴ」

ダラ役がまんまと相手を負かす噺(はなし)。子どものころに聞かされた戒(いまし)めを思い出す。「ダラ、ダラと相手を見下す者こそ、ダラやぞ」。笑って社会勉強になる一席である

いろんなところで、無分別(むふんべつ)や理不尽(りふじん)が大手を振ってまかり通る昨今である。こっそり「ダラ」呼ばわりしたい人が結構いる。が、アナゴの朗報(ろうほう)を機に、少しは控(ひか)えよう。ひょっとして、ホントは賢(かしこ)い与太郎がいるのかもしれぬ。