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つばさ

平和な日々が楽しい

神の手でなくても

2015年03月09日 | Weblog
   産経抄3/9

 俳優の石原裕次郎さんが、テレビドラマのロケ中に倒れ、慶応大病院に緊急入院したのは、昭和56年4月だった。新人記者だった小欄は連日、病院に張り付いて容体を見守ったものだ。記者たちに、「解離性大動脈瘤(りゅう)」という聞き慣れない病気を分かりやすく説明してくれる、若い女医さんがいた。
 後に日本人女性初の宇宙飛行士となる、向井(当時は内藤)千秋さんである。読売新聞に連載中の「時代の証言者」によると、研修医時代、患者の状態が悪いと、1週間ぐらいの泊まり込みは当たり前だった。外科医の仕事を向井さんは、「常に自分に気合を入れていた」と振り返っている。
 群馬大病院で平成22年から26年にかけて行われた、腹腔(ふくくう)鏡を使った肝臓手術で、8人が死亡していることが明らかになった。さらに開腹手術でも過去5年間に患者10人が死亡している。全て同じ40歳代の男性医師が執刀していた。
 死亡した患者の一人は、術後の検査で良性の腫瘍だったことが確認されている。にもかかわらずこの医師は、結果を遺族に伝えず、生命保険の診断書にも、がんと記載していた。もはや、「気合」の有無を問うまでもない。医師としての最低限の技量とモラルさえ、疑いたくなる。
 名の知れた大学病院で、こんな杜撰(ずさん)な手術が行われていたとは。遺族は、夢にも思わなかっただろう。説明責任さえ果たさない医師に対して、刑事告訴を検討するのは当然である。
 書店の棚には、相変わらず病院ランキングや名医紹介の本が並んでいる。重い病気にかかれば、手を伸ばすかもしれない。かといって、「神の手」を持つ名医を追い求めるつもりもない。患者としてはただ、まっとうな医師による、まっとうな手術を望むだけである。

似て非なる韓国の価値観

2015年03月07日 | Weblog
産経抄3/7

 夫婦関係と国際関係は、よく似ている。つきあい始めや新婚当初は、少々トゲのある言葉を言い合っても冗談だよ、と笑ってすますことができる。40年以上前、国交正常化直後の日中関係は、パンダ人気も手伝ってまさしくハネムーン時代だった。
 まあ、そんな時期が長続きしないのは、ご存じの通り。時間がたつにつれ、互いの「真実」が見えてくると、ちょっとした行き違いをきっかけに、激しい言葉の応酬になるのも熟年夫婦に似ていなくもない。
 感情のおもむくまま、片方が「過去の行状」にあれこれ難癖をつけるようになると、「お前だって」と収拾がつかなくなる。中国は、戦後70年を期して9月3日の「抗日戦勝記念日」に各国首脳を集めて仰々しい軍事パレードを企画しているが、悪趣味以外何ものでもない。
 今年、国交正常化50周年を迎えた日韓両国も金婚式どころか離婚の危機にある。外務省が、これまで使っていた「(韓国は)我が国と、自由と民主主義、市場経済等の基本的価値を共有する」という文言をホームページから削除しただけで、大騒ぎになった。
 裁判所の敷地内で小紙前ソウル支局長が乗った車に卵を投げつけられる事件が起きても「愛国無罪」といわんばかりの対応しかしなかったツケが、米大使襲撃につながったのは明白だ。伊藤博文を暗殺したテロリストを崇(あが)めているような国と価値観が一致するはずがない。
 とはいっても韓国が日本の隣から引っ越してくれるわけはない。自由主義陣営で価値観が同じはずなのに、お父さんは立派な人だったのに娘は…、などと思うから腹も立つ。金婚式だからといって無理に仲良くしようとせず、ケンカしても何の得にもならないと相手が悟るまで放っておけばいい。

いただきます

2015年02月19日 | Weblog
閑古鳥 名寄新聞2/19

 幼いころから必ず言っていた食前の「いただきます」。大人になった今も変わらず、食前には手を合わせて「いただきます」を言っている。理由は食材を作ってくれた人と調理してくれた人への感謝。肉や魚はもちろん、野菜であっても命をいただいているから。また、子供のころは養ってくれた親への感謝もあった。ところが、筆者が最近読んだ外国人が登場する本によると、日本以外ではあまりない習慣なのだそうだ。
 調べてみると、食前の挨拶のようなものがある国でも意味合いは違うという。さらに「いただきます」でインターネット検索をしたところ、関連ワードに「クレーム」「死語」が表示され驚いた。
 真偽は定かではないが、以前、小学生の保護者が「給食費を払っているのだから、うちの子供に『いただきます』を言わせないでほしい」とクレームがあり、話題になったのだそうだ。これが本当の話であれば、あきれてしまう。
 また、最近は「いただきます」を言わない人が増えているそうで、いつかは死語になってしまうかもしれない。食事をはじめ、何かに感謝する―ということは素晴らしいことで、「いただきます」は日本の良き風習である。「いただきます」はもちろん「ごちそうさま」が死語にならないよう願う。

「うまいんだよなあ。困ったことに」

2015年02月14日 | Weblog
照明灯2/14

   トラフグ漁と魯山人

 希代の美食家といわれた北大路魯山人が随筆に残している。「ふぐを恐ろしがって食わぬ者は、『ふぐは食いたし命は惜しし』の古(こ)諺(げん)に引っかかって味覚上とんだ損失をしている」。
 納棺師を描いた映画「おくりびと」で、主人公の師匠に当たる佐々木(山崎努)の好物は、あぶって塩で食べるふぐの白子である。「うまいんだよなあ。困ったことに」。生きるために他の命を食べなければならない切なさが、そこはかとなく漂う。
 横浜市中区の本牧臨海公園を散歩していて、ふぐの碑に出くわした。「古名ふく 福に通ず」と碑文にあり、ぽってりとした腹が何ともユーモラス。調理師の団体、県ふぐ協会が設立20周年を記念して1970年に建てたものという。
 横須賀市の長井漁港などで冬場のトラフグ漁が定着しつつある。稚魚を放流してきた結果、水揚げは毎年3トン前後に上る。県水産技術センター(三浦市)では卵をふ化させ、放流魚を育てる試みも続けられている。
 魯山人は長年の美食生活を通して断言した。ふぐは何物にも替え難い「絶味も絶味」で、安全な料理が確立されているのに食べないのは「非常識でもある」と。しかし、高級食材だけに、なかなか手が出ない。「ふぐは食いたし財布は軽し」が恨めしい。

「少なっ!」と同情してくれるか

2015年02月12日 | Weblog
洗筆2/12

 「友人は何人いますか」。この質問の答えは世代や「友人」の定義で大きく異なるが、利害関係を伴わぬ対等の関係を友人関係とすれば、中高年なら「二十人」程度か。
 筆者も指を折ってみたが、心許せる友は六人にすぎず、うち「一人」は犬だったりもする。女子高校生ならば「少なっ!」と同情してくれるか。若い人たちの「友だち」の数はその約二十倍である。
 ある研究者グループの調査によると都市部に住む十六~十九歳の「友だち」(親友、仲の良い友だち、知り合い程度の友だち)の数は、平均で百二十五人(二〇一二年)。百人を超える。スマートフォンなどの普及で〇二年の平均六十六人から倍増している。
 女子高校生がスマートフォンや携帯電話を使用する時間は一日平均七時間と聞くが、この大勢の友だちとも関係がある。どうも、若い人たちの間には友だちを増やし、スマートフォンで絶えずつながっていなければという一種の強迫観念がありそうなのだ。
 友だちという「群れ」から離れた途端、攻撃されないか。おかしな人と判断されないか。その怯(おび)えで友だちとスマホでつながり続ける。いじめの危険もある学校で生きる子どもの知恵でもあろう。大人が渋い顔をしても止められまい。見直すべきは過度に同調性を強いる風潮の方か。
 百人の友だちと七時間。友人六人の身は君たちの方によほど同情する。

恋せよ若人。季節もよくなる。

2015年02月09日 | Weblog
筆洗2/9
 かつて世界は猫が支配していた。そういう言い伝えが中国にあるそうだ。人間がまだ話せなかった時代、猫だけは言語能力を身に付け、地球を運営していた。
 ある日、猫は気づいた。「地球を治めているよりも、日なたぼっこをしている方がましだ」。後任に人間を選んだ。人間に話す能力を譲ると、猫は話せなくなった。そんな事情で猫は人間を見ると微笑(ほほえ)むという。経済学者の竹内靖雄さんの本にあった。
 争い絶えぬ国際情勢や最近のおぞましい出来事を考えれば、後任に人間を選んだ猫の判断は正しかったのか。まったく、難しい仕事をわれわれに任せたものである。
 その一方で猫さん方は季語の〈猫の恋〉の時季を迎えている。寒中から早春にかけて妻恋を始め、赤ん坊のような声で鳴く。いい気なものである。〈またうどな犬ふみつけて猫の恋〉芭蕉。真面目な犬の顔が浮かぶ。
 最近の若者は異性と上手に付き合えないと聞く。二〇一〇年の数字だが、十八~三十四歳の未婚者で交際している異性がいないという男性は61・4%。女性は49・5%と高い。残念ながら今も傾向に変化はなかろう。
 猫は言葉を譲っても「恋愛能力」は譲らなかったか。猫をだしに説教する気は毛頭ないが、恋愛不足の時代がどうも心細い。誰かへの愛情は結局人類愛にも根底ではつながるものだ。事情もあろうが、恋せよ若人。季節もよくなる。

私憤による殺人は大罪だ

2015年02月07日 | Weblog
春秋2/7

 さるかに合戦は、かたき討ちの物語である。最近は改変も多いらしいが、もとの昔話では、ずる賢い猿が柿の実をだましとって善良な蟹(かに)を殺害する。その子供が蜂、臼、栗の助けをかり、猿をこっぴどくやっつけて、しまいには、殺してしまうという結末がついている。
 その後は平和に暮らした、かと思いきや。実は違うと、芥川龍之介が短編で書いている。主犯の蟹は警察に捕まり、裁判の末に死刑。臼や蜂ら共犯も無期徒刑を宣告される。復讐(ふくしゅう)の気持ちから出た犯行は、美談とはいえない。同情も集まらない。作家が生きた大正時代に当てはめると、そんな皮肉な後日談ができあがった。
 昔は違った。江戸時代、父母などを殺された人が仇(あだ)を討つ慣習は合法で義務だった。142年前の今日、明治政府は「復讐を厳禁す」という太政官布告を出し禁止した。私憤による殺人は大罪だ。罰するのは国家だけという法治の考えを強調した。ところが、はるか昔に戻ったような光景をいま、中東や欧州では目にする。
 イスラム過激派による残虐なテロは、宗教施設への襲撃など世界各地で報復の応酬を生んでいる。日本も、ずる賢い、無法非道な連中から刃(やいば)を突きつけられた。かといって、怒りや復讐心にかられて、攻撃の矛先を宗教に向けることだけはあってはなるまい。それこそ、テロリストたちの狙い通りの結果を招くことになる。

テロに理解を示す人たち

2015年02月05日 | Weblog
   産経抄2/5

 「劇場型犯罪」のはしりといっていい。昭和43年2月、金嬉老(きんきろう)元受刑者が、暴力団幹部ら2人を射殺した後、ライフル銃とダイナマイトで武装して、温泉旅館に人質を取って立てこもった。
 金元受刑者は連日記者会見を開いて、「民族差別」を訴えて自己弁護した。なんとその主張に「理解」を示し、エールを送る文化人がいた。力を得た殺人犯は、英雄を気取るようになる。
 過激組織「イスラム国」は、インターネットを駆使して、地球規模で劇場型犯罪を繰り返している。日本時間のきのう未明、拘束中のヨルダン軍パイロットの殺害を示すビデオ映像が公開された。あまりのむごたらしさに、言葉を失う。
 パイロットが殺害されたのは1月3日、後藤健二さんと湯川遥菜さんの映像が公開される、何日も前である。つまり「イスラム国」は、日本やヨルダンとまともに交渉するつもりはなかった。自分たちの残虐な行為を世界に誇示するのが、最初からの目的だろう。
 野党や元官僚から、中東歴訪中の安倍晋三首相の発言が「イスラム国」に口実を与えた、との指摘が相次いでいる。これほど的外れの議論はない。首相の発言がなければ、テロリストたちは日本人の人質を別の目的に使うだけの話だ。
 劇作家の福田恆存(つねあり)氏は、金嬉老事件をモデルにした喜劇『解ってたまるか!』のなかで、凶悪犯の言い分に「理解」を示す文化人を痛烈に皮肉った。「人質犯罪がもっとも陋劣(ろうれつ)であり、精神の荒廃をもたらすものとすれば、それに唯々諾々(いいだくだく)として屈することも同罪」と福田氏はいう。「『イスラム国』は許せないが、安倍首相にも責任がある」。そんな「物解り」のいい人を、福田氏は地球の常識が通じない「火星人」と呼んだ。

▼企業が競争力をつけて賃金を持続的に上げられるようにするためにも、人づくりに目を向けたい

2013年12月19日 | Weblog
春秋
12/17付

 日立製作所は従業員教育を早くから始めた会社の一つだ。明治の末に創業者の小平浪平が、発祥の地である茨城県の日立村に、鋳物づくりや製図などを教える「徒弟養成所」を設けた。鉱山用の電気機械の修理からモノづくりに出ようと、試作を重ねていた頃のことだ。

▼修理の仕事を通じてモーターや変圧器の構造はわかっていても、自前でつくるには技術を一つ一つ身につけなければならなかった。徒弟養成所は2年目以降も生徒を増やし、製品がなかなか売れないなかでも寄宿舎まで建てて教育に力を入れた。その後の会社の成長は、こうした人材育成なしには望めなかったに違いない。

▼新しい仕事を始めるには、そのための知識や技能が必要になる。技術革新が速い今はなおさらだ。ところが気になるデータがある。企業が毎月支出する従業員一人あたりの教育訓練費は1990年代に入って低下傾向にあり、2011年は91年の6割強の水準。新製品、新サービスを生みだす力が落ちてはいないだろうか。

▼企業が競争力をつけて賃金を持続的に上げられるようにするためにも、人づくりに目を向けたい。政府や経済界、労働組合の代表らによる政労使会議でも議論を深めるべきテーマだ。徒弟養成所をつくった頃の日立は技能を磨くための機械設備に不自由した。環境に恵まれた今の日本なら、やりようはたくさんあるはずだ。

野党に迫真の怖さがあれば

2013年12月19日 | Weblog
春秋
12/19付

 ことし活躍した「野党」と聞かれてピンとくること。まず「アッキー」という愛称も定着、話題になり続けている安倍昭恵首相夫人の「家庭内野党」が頭に浮かぶ。もう一人、沈黙を破って反原発を唱える小泉純一郎元首相も野党の役回りだろう。その次、がもうない。

▼政治の1年を振り返ると、これほどに野党がだらしなかったことは最近記憶にない。舞台は敵役まで身内に抱え込んだ「大自民党一座」に独占されてしまった。野にいて乱を目指すつらさに耐えかねたか、特定秘密保護法の審議の間には、「大一座」の回りをうろついて物欲しげに中をうかがう姿を見せられた気までする。

▼興ざめしていたら、お定まりの仲間割れが起きた。そしてきのう、小なりとはいえ新一座の旗揚げである。「結いの党」とは「野党勢力結集」の覚悟を示したらしい。その意気はいいとしても、みんなの党との内輪もめにさえ結論は出ていない。「みんな」がみんなでなかったように、政党は往々にして名が体を表さない。

▼芝居がつまらないといわれたら、芝居自体のせいではない。自分がまずいからだ――。役者ならばそう思え、という話をどこかで聞いた。敵役が下手くそな芝居はつまらぬ典型だろう。野党がだらしない政治も同類である。野党に迫真の怖さがあれば、首相夫人も「私は家庭内野党」とニコニコしてはいられなくなろうに。