つばさ

平和な日々が楽しい

どんなに才能や手腕があっても、平凡なことを忠実に実行できないような若者は、将来の見込みはない」。

2013年10月25日 | Weblog
春秋
10/25付

 人の名前は商品に不思議な力を与えるらしい。同じ野菜でも「山田さんのトマト」とあると、ただのトマトではなくなる。「○○県××村の山田さんのトマト」となれば、信頼はさらに高まり、山田さんの笑顔の写真でも横に付けば、もう完全に特別なトマトに化ける。

▼山田さんに会ったことはない。実在の人物かもしれないし、雇われた商品キャラクターかもしれない。他よりちょっと高いトマトは、確かにおいしく感じる。真偽を確かめる暇も必要もなく、人はものを買い、商品は流通し続ける。日々お金を払って消費されているのは、商品そのものだけでなく、情報なのかもしれない。

▼どこからが「嘘」となり、どこまでを「マーケティング」と呼べるのだろう。買い手が笑顔で満足なら、それでよいともいえる。けれども白を黒と呼べば罪である。京都の九条ネギと称して普通のネギを出せば、すぐ嘘だと知れる。「メニュー偽装」を犯した阪急阪神ホテルズは消費者の基準を、ずいぶん甘くみたものだ。

▼慌ててメニューを書き直しているレストランが、どこかにあるのではないか。急に産地を書かなくなった店は、疑うこととしようか。「成功の道は信用を得ることである。どんなに才能や手腕があっても、平凡なことを忠実に実行できないような若者は、将来の見込みはない」。阪急電鉄の創業者、小林一三の言葉である。

ただの居酒屋通いにも、じつは遺産保護という重大使命があったり

2013年10月24日 | Weblog
春秋
10/24付

 詩人草野心平が言った。「日本料理は捨てる料理つまり犠牲の料理です。対照的なのが中国料理で、包容の料理なんです」。清楚(せいそ)、淡泊、美観が日本料理の性格だという指摘も含め、なるほどと思う話である。日本料理には厳選した素材のいい部分だけ使う印象がある。

▼が、それも和食、そうでないのも和食ということだろう。ユネスコが「和食」を世界の無形文化遺産に登録する見通しになった。対象はこの料理、あの料理というのではなく、「自然の尊重という日本人の精神を体現した食に関する社会的慣習」だそうだ。日々の暮らしそのものが遺産とは、考えてみれば大風呂敷である。

▼となると高級な会席料理や寿司だけでない。正月の雑煮やお節料理は当たり前。各地の郷土料理も、家庭の一汁三菜も、あるいは酒場で供される旬の小料理も、そこに「日本人精神の体現」があれば世界無形文化遺産ということになる。ただの居酒屋通いにも、じつは遺産保護という重大使命があったりするのかもしれぬ。

▼居酒屋を経営した経験もある心平に、「料理について」という詩がある。「ゼイタクで。/且(か)つ。/ケチたるべし。/そして。/伝統。/さうして。/元来が。/愛による。/発明。」。料理を分解していけば、詩が並べる要素に行きつくだろう。その本質は、和食が遺産になろうがなるまいが、変わるところはなにもない。

いったん牙をむいた水は怖い。

2013年10月17日 | Weblog
春秋
10/17付

 19年ぶりに30個を上回るかもしれないという。今年生まれた台風の数の話だ。先月、京都の嵐山などで被害をもたらした18号の記憶も新しい中、こんどは26号が列島を襲い、伊豆大島では多くの尊い命が失われた。観測史上最多という大雨による土砂崩れが主な原因だ。

▼自然のままの山や崖をふだん目にせず暮らす大都市の人々は、土砂崩れと聞いても身に迫った問題に感じにくいかもしれない。しかし1969年の東京都の調査では、高さ3メートルを超す崖や擁壁が23区内に2万カ所以上もあった(芳賀ひらく著「江戸の崖 東京の崖」)。実際、7年前の台風では品川区で崖崩れが起こった。

▼今回の台風26号でも、今年春に駅を地上から地下に移した都内の下北沢駅でホーム下の線路が冠水。しばらく列車を運転できなくなった。埋め立て、地下開発、崖や山を崩したり埋めたりしての都心再開発や郊外の住宅建設。都市の拡大は自然環境への挑戦・改変を伴う。いざという時の危険度合いは年を追い増していく。

▼「300メートル離れた沢が氾濫し土砂が流れ込んだ」。自宅周辺が土砂で埋まった大島の住民が本紙の記事でそう語っている。千葉県成田市や神奈川県鎌倉市、東京都日野市といった、ごく普通の住宅地でも土砂崩れが民家を直撃した。いったん牙をむいた水は怖い。自宅周りの大地と河川の素顔を、改めて点検しておきたい。

長のついた人がたくさんいるのだから。

2013年10月15日 | Weblog
春秋
10/14付

 明治に入り鉄道が全国へ延び始めたころ、車掌は「車長」と呼ばれていたそうだ。今のJR山陽本線を建設してのちに国有化される山陽鉄道という会社が最初に車掌に名を変え、これが広がったとされている。社長と同じ発音ではまぎらわしい、というのが理由だった。

▼「車掌」には列車内を掌握するという意味もあろうから、これも悪くない言葉だ。ただ「車長」からは、列車運行に責任を持つという姿勢がより伝わってくるかもしれない。異常発生時の乗客の誘導や急病人への対応などが双肩にかかる。重責を考えて長の字をあてた明治人は、なかなかのセンスだったというべきだろう。

▼きょうは「鉄道の日」。新橋―横浜間の日本初の鉄道開通が141年前の新暦10月14日だった。鉄道員一人ひとりの仕事への責任感は今はどうか。北海道旅客鉄道(JR北海道)ではレールの幅や高さの異常が放置され、非常ブレーキが利かない特急も見つかった。鉄道技術は進んでも大事なところが退化してはいまいか。

▼レールのずさんな保守点検の問題では、人員面の手薄さや資材不足を経営陣がそのままにしてきた。緊急対策としてレールの計測装置を2倍にするというが、安全運行へ責任ある立場として、現場との意思疎通をどのように深めるかも示さねばなるまい。社長、鉄道事業本部長など、長のついた人がたくさんいるのだから。

旺盛な起業家精神と地域のつながりの健在が、

2013年10月12日 | Weblog
春秋
10/12付

 米デトロイトが財政破綻してから、まもなく3カ月たつ。荒れた街並みの映像が繰り返しテレビから流れた記憶も新しい。そのデトロイトがいま、起業やニュービジネスにわいているという。米国のデジタルカルチャー誌「ワイアード」日本語版が詳しくルポしている。

▼2年前、高級時計の工場を開いた経営者がいる。全米の百貨店で売り、今年夏にはこの街とニューヨークに直営店を開くまでになった。工場では社員75人が働く。職を失った技術者が訓練を経て新たな舞台を得たのだ。市バスは頼りにならないからと貧困地域を走る私営バスが誕生、台数を増やす。空き家が店に変身する。

▼来日した米国の消費行動研究者に、デトロイトの起業ブームについて解説してもらったことがある。老後用にためた資金でクレープ店を開いた元教員がいた。この街を愛しているから、と動機を説明したそうだ。公共交通の復活や環境、街づくりなど、コミュニティーの再生につながるビジネスが目立つのが特徴だそうだ。

▼ワイアード誌によれば、この傾向は財政破綻以降も同じ。ビジネスではないが市民多数の参加で廃虚街を清掃した例もある。旺盛な起業家精神と地域のつながりの健在が、米国の強さの土台かもしれない。地域の衰退は日本でも差し迫った課題だ。皆のために起業し、汗をかく人が、それぞれの街にどれくらいいるだろう。

公式発言に「コントロール」や「克服」が紛れ込む。二語に共通する何ものかは「言葉尻」なのか

2013年10月11日 | Weblog
春秋
10/11付

 「言葉尻だけを捉えるのはつまらない話です」。政治家の言葉をやり玉にあげるマスコミに、6年前に死去した作家の城山三郎がくぎを刺した。ただ「その人の本質を表すような言葉が出たときには、それはもう容赦なく批判すべきですね」(「『気骨』について」)。

▼これから書く話は城山さんも分かってくれるだろう。安倍首相が水俣条約の会議に寄せたメッセージで「水銀による被害と、その克服を経た我々だからこそ、世界から水銀の被害をなくすため先頭に立って力を尽くす責任がある」と述べた。これに水俣病患者の側から「被害は克服されていない」と反発が出ているという。

▼「原発の汚染水はコントロールされている」という五輪招致演説に重なる何ものかを感じとった人も多いのではないか。国際舞台で、外向けに、日本の実力を誇って胸を張る。見えを切る姿は頼もしくさえあるのだが、国内で現にいま苦しんでいる人々へのまなざしが感じられない。考えてみればどちらも同じ構図である。

▼五輪を東京で開く。世界を水銀の汚染、あらたな水俣病から守るために指導力を発揮する。どちらも大義ある話だ。首相が国を引っ張るのも当然だろう。しかし、その公式発言に「コントロール」や「克服」が紛れ込む。二語に共通する何ものかは「言葉尻」なのか。いや、どうしても「本質」と思えてならないのである。

20世紀は「戦争の世紀」とも「民族解放の世紀」とも「革命の世紀」ともいわれる

2013年10月10日 | Weblog
春秋
10/10付

 20世紀を象徴する人物がまた1人、この世を去った。そんな感慨を抱いた人もいるのではなかろうか。ベトナムのボー・グエン・ザップ将軍が4日、亡くなった。1911年生まれで102歳だった。生年には異説もあるが、100歳を超えていたのはまず間違いない。

▼赤いナポレオン。そんな異名をさずかるほどの軍略家だった。有名なのは54年のディエンビエンフーの戦いの指揮だ。フランスからの独立をめざしたインドシナ戦争で最大の激戦とされる。フランスはこの戦いで敗れベトナムの独立を認めざるを得なくなった。ただ軍人としての教育や訓練を受けたことはなかったそうだ。

▼10代で政治活動にたずさわり、若くして入獄も経験したが、軍事については中国の古典「孫子」を読んだり、異名の由来となったナポレオンを研究したり。つまり独学だった。そんな人物がベトナム人民軍を立ち上げ、独立戦争、さらに米国とのベトナム戦争も指導した。圧倒的な物量の差をはねのけ、実質的に勝利した。

▼「救国の英雄」とたたえられるのも、うなずけよう。もっとも、栄光の裏にはえてして悲惨がある。米軍を追い払って成立した統一ベトナムは、社会主義化を性急に進めたため多数の難民を生んだ。20世紀は「戦争の世紀」とも「民族解放の世紀」とも「革命の世紀」ともいわれる。確かに時代の一面を体現した人だった。

日米同盟に対する米国内の支持も一部損ないかねない

2013年10月05日 | Weblog
春秋
10/5付

 千鳥ケ淵戦没者墓苑はアーリントン国立墓地に「最も近い存在だ」――。米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官が千鳥ケ淵墓苑に献花したことに関し、米国防総省高官はこう述べたそうだ。5月の安倍晋三首相の発言と引き比べると、そのメッセージはよくわかる。

▼アーリントン墓地はバージニア州にある戦没者慰霊施設。安倍さんは米誌とのインタビューで、靖国神社を同墓地になぞらえて靖国参拝は自然なことだと主張した。これに対し両長官は「靖国とアーリントンを一緒にしないで」と、行動で伝えたわけだ。同時に、安倍政権を警戒する中国や韓国へのメッセージでもあろう。

▼キリスト教、仏教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教……。同墓地のウェブサイトを訪れると、様々な信仰のシンボルが目に入る。政府が用意する墓石に刻むことが可能なシンボルの一覧なのだという。恥ずかしながら、出雲大社ハワイ分院の存在もここで教わった。それほどに、宗教的な寛容が重んじられているのだ。

▼一方の靖国は一つの宗教法人であり、同墓地になぞらえるのはやはり無理がある。安倍さんの言動によっては、日米同盟に対する米国内の支持も一部損ないかねない、そんな懸念をオバマ政権は抱いたのかもしれない。両長官は米国民向けにメッセージを発したようでもある。高等なコミュニケーション戦術といえようか。

。おかげ参りは抜け参りともいう。日常から抜ける。さまざまな束縛から抜ける

2013年10月04日 | Weblog
春秋
10/4付

 伊勢の大御神宮に、おかげ参りとて国々の人ども、おびただしく詣づる事のありし……。本居宣長の「玉勝間」に、宝永2年(1705年)の伊勢神宮参拝ブームについての記述がある。訪れた善男善女は4月9日からの50日間に、じつに362万人にのぼったという。

▼当時の日本の人口は3000万人ほどだったから驚異的な数字である。おかげ参りと呼ばれる江戸時代のこうした集団参拝現象はほぼ60年おき、つまり式年遷宮を3回経るころに繰り返し発生している。民衆エネルギーの周期的な爆発などといわれるが、とにかく街道は人であふれ、船着き場は客が鈴なりになったらしい。

▼ここまでの熱狂はないにせよ、平成の式年遷宮にも世の関心は高い。神事はおとといの「遷御(せんぎょ)の儀」でクライマックスを迎え、この数年の伊勢参宮ブームも一段と高まろう。江戸のむかしと違っていまは東京からでも日帰りできる。杉の巨木がそびえる、あのすがすがしい空間に身を置くだけで心がおだやかになるはずだ。

▼もっとも、神宮をあまり荘厳にとらえるとかえって人々の足を遠のかせかねない。なんといってもお参りは庶民の楽しみ、江戸時代だって大いに物見遊山を兼ねていた。おかげ参りは抜け参りともいう。日常から抜ける。さまざまな束縛から抜ける。お伊勢さんはそういう願望をかなえてくれる、おおらかな存在であった。

子を思う親の真情はいくつになっても変わらない。

2013年10月03日 | Weblog
春秋
10/3付

 A・ガードナーという英国のコラムニストが書いている。「人間というものは、いくつかの習慣に上着とズボンを着せたような存在である」(行方昭夫訳)。そう、人生のほとんどは「いつものように」過ぎていく。しかし、そこに割り込んでくる何事かも、またある。

▼父の会社で働き、父の運転する車でともに外回りをし、会社に戻る道々遮断機が下りた踏切で電車が通り過ぎるのを待つ。そこまではいつもとなにも変わらぬ日常だっただろう。だが、そこで村田奈津恵さん(40)は線路に横たわる男性(74)を見つけ、車を飛び降りて踏切内にはいり、男性を救って自らは命を落とした。

▼「助けなきゃ」。父が止めるのを振り切った奈津恵さんの、それが最後の言葉だという。たしかに人間は習慣が衣服を着たようなものかもしれない。が、それだけではない。前触れもなしに人生に割り込んでくるできごとにどう向き合うか。咄嗟(とっさ)だからこそ、人の一番奥に潜むものがのぞく。そんなことを考えさせられる。

▼糸井重里さんに「ひとつ やくそく」という詩がある。「おやより さきに しんでは いかん/おやより さきに しんでは いかん/ほかには なんにも いらないけれど/それだけ ひとつ やくそくだ」。子を思う親の真情はいくつになっても変わらない。目の前で娘を失った父の無念もまた、思わざるを得ない。