つばさ

平和な日々が楽しい

者、家のつく職業

2012年09月27日 | Weblog
「時鐘」 2012年9月26日
 医者、易者(えきしゃ)、芸者。「者」のつく職業に共通するのは何か、ある学者が分析(ぶんせき)している
国家的な免許(めんきょ)制度のなかったころ、二代三代と続く世襲(せしゅう)で技や芸を伝承(でんしょう)し、世の中から暗黙裏(あんもくり)に資格を認められた仕事ではないかという。記者もその一つかと問われると困るが、明治以降に生まれた職業は一緒(いっしょ)にできない

東京でニセ医者が逮捕された。免許なしで4千人以上もの患者を診(み)ていた。先の震災でもニセ医者のボランティアが話題になった。医者といえば、それだけで信用する日本人の人のよさは、長い習慣の産物かもしれない

政治家や作家など「家」がつく職業もある。これも免許なしでできる。ただし社会が暗黙裏に認める資格が必要だ。憲政(けんせい)の神様とよばれた尾崎咢堂(おざきがくどう)が「国会議員の資格10カ条」を唱(とな)えたことがある。道徳堅固(どうとくけんご)、権勢(けんせい)に屈(くっ)せぬ勇気などは今も通用するが「自説を固守(こしゅ)する貞操(ていそう)」となるとどうか

耳が痛い議員が多かろう。公約を破棄(はき)し、党を移ろうともニセ議員呼ばわりはされない。政治家を任命も失格もさせる力のある偉(えら)くて怖(こわ)い「者」であるのに、日本の有権者は優(やさ)しい。優しすぎる。

蚯蚓(みみず)鳴く 越前若水

2012年09月26日 | Weblog
最低気温が20度を切り、朝夕めっきり…
越前若水
(2012年9月26日)
 最低気温が20度を切り、朝夕めっきり涼しくなった。コオロギたちはここぞとばかり、声を張り上げ連日の大合唱。まさに虫すだく秋である▼そんな虫たちの仲間にミミズがいる…と俳句歳時記は言う。確かに秋の季語に「蚯蚓(みみず)鳴く」があって「秋の夜、ジーッと切れ目なく長く何者とも分かちがたく鳴く」と解説している▼昔はミミズは鳴くと信じられていた。江戸時代の百科事典「和漢三才図会」にも「雨ふるときは先に出で、晴るれば夜鳴く…ゆゑに歌女といふ」とある。「蓑虫(みのむし)鳴く」も秋の季語である▼もちろん、ミミズが実際に鳴くはずもなく、田や畑にすむケラの鳴き声をそう呼んだまで。俳人はそれを承知で空想を楽しんだ。「蚯蚓鳴くかなしき錯誤もちつづけ」山口青邨▼ミミズは弱い動物である。鳥やモグラ、アリの格好の餌食。一方、自らは土を食って有機物を吸収、それを排泄(はいせつ)して肥沃(ひよく)な土壌を作る。哲人アリストテレスは「大地の腸」と評価したという▼さらに進化論を唱えたダーウィンは晩年、ミミズの研究に没頭した。ミミズの糞(ふん)には植物の生長に必要な栄養素が含まれ、ミミズがいなくなれば植物は全滅すると言ったそうだ▼今まさに実りの秋。それがあるのもミミズのおかげ。いにしえの俳人が「蚯蚓鳴く」の季語を作ったのも、地道に生きるミミズに感謝し敬意を表したのかもしれない。

領土 卓上四季 (北海道新聞)9/24)

2012年09月25日 | Weblog
卓上四季 9/24
領土
東京・銀座の真ん中に他国の領土がある―と聞けば、誰しも驚くだろう。しかも、ここを「領土」と決めた「新政府」は、空き地の寄付などで国土を広げている▼この政府の「首相」は建築家で作家、音楽家などの顔を持つ坂口恭平さん。原発災害で日本政府への不信を高め、現代の経済社会にも根源的な疑問を持つ。土地投機への鋭い批判など、各地にある「○○共和国」とは別次元の運動だ▼銀座の土地は「新政府」の領土第1号。交差点脇の12・5平方メートルで、国と都の間で所有権が定まらず、雑草が伸びるままだった。誰のものでもないなら、大切に使わせてもらおうと考えた▼購入してはいないので土地の所有権はない。ただそれを生かせればいい。その発想の原点はホームレスにある。土地なしでも簡易な家でも長期ローンよりましではないか。財産を持たず金銭的な取引はしなくても、自立し地域住民に役立つ仕事はできる(「独立国家のつくりかた」講談社現代新書)▼領土を持ち国民がいて、外交権を行使する政府があるのが近代国家。自称「新政府」の緩やかな領土観は想定を超えるが、隣国とのぎすぎすをこうまで見せられると、とても爽やかに映る▼尖閣諸島をめぐる日本の主張は、国際的にも通用しよう。では、相手はメンツを捨てて撤退できるか。知恵を絞らねば、国家への根源的疑問を招きかねない。2012・9・24


蝸牛角上(かぎゅうかくじょう)の争い

2012年09月25日 | Weblog
 【産経抄】9月25
カタツムリの左右の角にある、「触」国と「蛮」国は、領土をめぐって対立していた。中国の古典『荘子』にある「蝸牛角上(かぎゅうかくじょう)の争い」の寓話(ぐうわ)だ。唐代の詩人、白楽天は「対酒」という詩で、そんなつまらない争いはやめよう、と呼びかける。
 ▼中国の最高指導部の誰かが詩を引用して、尖閣諸島について笑い飛ばしていたら、さすが大国の風格と、国際社会から称賛の声が上がったろうに。その絶好の機会になるはずだった日中国交正常化40周年の記念式典を中止すると、中国側が伝えてきた。
 ▼やむを得まい。中国政府は先週、反日デモの暴徒化を許し、現地の日本人を恐怖に陥れ、日系企業に莫大(ばくだい)な損害を負わせた。謝罪するどころか、日本側に責任を転嫁し、経済制裁さえちらつかせている。
 ▼尖閣諸島周辺では、きのうも中国の海洋監視船が、日本の領海内に侵入した。いやがらせを続けて両国間の亀裂を広げているのは、中国である。むしろこちらから、式典への参加を拒絶すべきだった。
 ▼そもそも中国との国交40年は、とても「正常」と呼べるものではない。中国が無防備な日本にどんな謀略を仕掛けて、手玉に取ってきたのか。発売中の『別冊正論 日中国交40年』が、豊富な資料を基に暴き出している。
 ▼「富に随(したが)い貧に随い且(しばら)く歓楽せよ」。白楽天の詩は、「金持ちも貧乏人もそれなりに楽しもう」と続く。胡錦濤政権がめざした「和諧社会」のイメージに近い。ただ現実は大違いだ。共同通信によると、貧富の格差拡大や官僚腐敗への不満から各地で起こった抗議活動は、昨年1年で約18万件にも上った。民衆の怒りをそらして、日本への憎悪をあおる姑息(こそく)な手口も、そろそろ限界ではないか。

名を汚さないよう、いい生き方をした い 天声人語9/24

2012年09月24日 | Weblog
 天声人語9月24日
「大鵬があったのは、柏戸がいたからこそなんだ」。盟友を悼む納谷幸喜(なやこうき)さん(元大鵬)の言葉である。柏鵬時代ならずとも、拮抗(きっこう)する横綱が東西にでんと座らないと大相撲は締まらない▼これで番付が落ち着こう。日馬富士が2場所続けて全勝優勝し、5年ぶりに新横綱が生まれる。結びの一番、朝青龍が去った角界を背負う白鵬を、しかと組み止め、渾身(こんしん)の投げで転がした。心がけている「お客さんが喜ぶ激しい相撲」だった▼68、69、70代と最高位を占めるモンゴル勢。朝青龍が剛なら、白鵬は柔、反射神経に秀でた日馬富士には鋭の字が合う。剛柔を自在に行き来するスピードと、技のキレが身上だろう▼立ち合いは低く、鋭く、コオロギのごとく突きかかる。動きは時に軽業師を思わせ、押し込まれても土俵際で捨て身の大技が出る。向こう気が強く、受けてさばく横綱相撲ではないけれど、すでに28歳、魅力的な取り口を、地位ゆえに改めることはない▼横綱は、大負けが許されぬ重圧の下で心身を削る職である。戦後は平均26歳で昇進し、31歳で引退している。50場所以上の在位は北の湖、千代の富士、大鵬、40場所でも貴乃花、曙、柏戸、輪島、朝青龍が加わるのみだ▼「名を汚さないよう、いい生き方をしたい」。4年前、大関になった日馬富士の言に小欄は大器を予感した。やや晩成となったが、名だたる先達を変に意識することなく、変わらぬ野性味で暴れ続けてほしい。「楽しませる横綱」という生き方もある。
http://www.asahi.com/paper/column20120924.html

NATO

2012年09月23日 | Weblog
春秋
2012/9/23
 日本企業を指して「NATO」だなあ、とからかう言い方があるそうだ。もともとは北大西洋条約機構を指す略語だが、ここでいうNATOは「ノット・アクション、トーキング・オンリー」の頭文字をつなげた新語。おしゃべりばかりで行動しない、という意味だ。
▼経済産業省で企業のアジア進出を手伝う松島大輔氏が近著「空洞化のウソ」で語る逸話だ。アジア視察ツアーはいつも経営者で満員。しかしその場で何かの約束が成立することはほぼない。「持ち帰って検討する」と語る日本のトップを見て、先方の大臣が著者に問いかけたという。「社長や会長の上に誰かいるのか?」
▼こんな話も聞いた。欧州で開かれたある国際会議の合間の雑談で、日本人が「東京本社の決定が万事遅い」とこぼした。英国人の一人は昔日本の銀行に勤めていたと打ち明け、こう続けた。「だから日本のヘッドクオーター・プロブレム(本社問題)はよく知っています」。一同どっと笑ったそうだが、笑い事ではない。
▼アジアにアフリカに南米に、先進国や新興国から企業が乗り込んでいく。日本勢も外国人採用を拡大するなど危機感に火が付いた。しかし現地に権限を与えず、トップが足を運んでも駒を前に進めない経営では、せっかくの人材は腐り、新興国にスピードで負け続けよう。グローバル化は経営の意思決定にも改革を迫る。

言の葉は (京都新聞:梵語)9/22

2012年09月22日 | Weblog
[京都新聞 2012年09月22日掲載
梵語より

ハンパない日本語
 若者はのんびりすることを「まったりする」と言うが、60歳以上の人はほとんど使っていない。公表された文化庁の国語世論調査を読むと、話し言葉の揺らぎに驚かされる▼中途半端ではないことを、16~19歳の若者の約7割が「ハンパない」と言うそうだ。「すごい」の意味だが、感嘆としても嫌な感じの表現でも使われる。「やばい」や「チョー」と似ているが、どこがどうすごいのか言わずに済んでしまう便利さがある。文化庁は今回の調査から、変化する日本語の典型に加えた▼言葉の用法は、時代とともに移り変わってゆく。例えば今使った「典型」という言葉は、明治時代初めの辞書では御法度(ごはっと)の同義語として登場する。元はルールの意味だが、やがて英語のモデルの訳語として、「代表例」「お手本」の意味へと変化した▼今回の調査に登場しないが、「ハブる」という90年代に生まれた若者言葉がある。ある生徒を、その他のクラスメート全員で無視する時に使う動詞だ▼村八分が語源とされる。江戸時代の村社会の陰湿さを受け継ぐようで、じめじめした嫌な言葉だ。いじめがなくなれば、きっと死語になるだろう▼言葉は生き物であり、人の暮らしを映す鏡だ。言葉は「言の葉」と書く。社会の豊かさが木の幹となって、言葉の森が緑深く生い茂る。日本語の現状はまさに「ハンパない」。

http://www.kyoto-np.co.jp/info/bongo/20120922_2.html


うどん屋の釜(かま)

2012年09月22日 | Weblog
時鐘(北国新聞)9/22
 彼岸(ひがん)に入って、やっと秋の気配(けはい)が漂(ただよ)ってきた。「暑さ寒さも彼岸まで」を実感するが、それでも油断ならないのが昨今の空模様
沖縄よりも北陸が暑い日が何日もあった。長い夏が居座(いすわ)った揚(あ)げ句(く)、すぐに冬が来そうな予感さえする。居酒屋(いざかや)で「春夏冬」と書かれた木札(きふだ)を時折、見掛ける。異常気象の警告ではない。「二升五合」の字が続き、「秋無(あきな)い(商い)、升升(ますます)半升(はんじょう)(繁盛)」と読ませる楽しい言葉遊びである

きのう、この国のリーダーを選ぶ大事な選挙があった。はた目には消去法(しょうきょほう)の見本のような選挙に見えて正直、「黒犬の尻(しり)」だった。黒犬は尾も黒い。つまり尾も白くない(面白くない)。加えて、政権与党は「植木屋の庭」。やたら木(気)が多い。浮気や移り気の離合集散(りごうしゅうさん)がまだ続くのか

クビがつながった首相は、かっこいい演説をぶった。「うどん屋の釜(かま)」にならないことを願う。店の奥の釜の中は煮(に)えたぎる「湯(ゆ)だけ」。「言うだけ」の政治は、もう、うんざりである

もっとも、政治家に対する過剰な期待も禁物(きんもつ)。たとえ失望しても、「便所の火事」、ヤケクソにはなるまい。

曲(ま)がり真(ま)っすぐですね

2012年09月22日 | Weblog

きょうのコラム「時鐘」 2012年9月25日
 タクシー運転手に道を教えたら、「曲(ま)がり真(ま)っすぐですね」という言葉が返ってきた。道はカーブしているが、脇道(わきみち)にそれたりせずにそのまま進む、という念押し
曲がる・真っすぐの正反対の言葉が仲良くつながり、それで意味が通じる。おかしなようで、「言われてみればその通り」という便利な表現だろう。あいにく、手元の分厚い辞書には載(の)っていない。当地独特の言い回しか、それとも、もはや絶滅(ぜつめつ)寸前なのか

日本語の乱れはけしからん、という文化庁の調査が先ごろ報じられた。二つ返事を「一つ返事」と間違える。「失笑(しっしょう)」「にやける」「うがった見方」も、意味をたがえて使う人が多い。ドキッとした。思い当たるフシが大いにある。わが愛する「曲がり真っすぐ」も、ややこしい言葉として目(め)の敵(かたき)にされるのか

言葉は生きもので、時代を映すという。いま、お国の一大事は、「近いうちに」と「遠くない将来」のどっちが近いのか、という国語の問題だそうな。エライ人たちが日々、解釈(かいしゃく)に挑(いど)んでいる

言葉は勝手に乱れるというより、都合(つごう)よく乱す人が、どうやらいるようである。






 お彼岸 越山若水9/21

2012年09月21日 | Weblog
先祖、親の徳に感謝したいね。

福井のニュース 越山若水
≫あなたのブログに福井のニュース
記事一覧
お彼岸は春分と秋分の日を中心に、前後3日…
(2012年9月21日午前8時00分)
 お彼岸は春分と秋分の日を中心に、前後3日間、合計7日間をいう。一般にはお寺やお墓に詣でる「彼岸会」を指すが、インドや中国にはない日本独自の習慣らしい▼春分と秋分の日を中日と決めたのは江戸時代後期の天保暦からで、国民の祝日法でも秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日」と定めている▼ところで彼岸とは文字通り彼方(かなた)の岸であり、そこにある理想郷のこと。「河の彼岸は異国なり。其(そ)の国は安楽旦然清浄にして、諸々(もろもろ)の患難無し」と仏教書は説明する▼煩悩に満ちた此岸(しがん)=現世から、彼岸=悟りの世界に到達できるように願う仏事が彼岸会である。そのイメージは仏教が生まれたインド・ガンジス川に似ている(興膳宏著「仏教漢語50話」岩波新書)▼彼岸会は古く聖徳太子の時代に始まり、平安時代に朝廷で定着。江戸時代には年中行事化したとされる。ある意味、日本人が宗教的理想郷を求める「実践期間」ともいえる▼時を同じくして、平成のわが日本では政治的理想郷を模索する「選挙期間」の真っ最中。民主、自民のダブル党首選で相次いで新リーダーが誕生する▼秋の彼岸を彩る花といえばヒガンバナ。きょう掲載の写真のように、燃えるような赤が印象的だ。さて党首選も終盤である。混迷の政治からの脱却を願う国民にとって“悲願花”が咲くかどうか、注目である。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/column/37027.html