つばさ

平和な日々が楽しい

仏御前と祇王

2012年09月17日 | Weblog
毎年9月16日の[仏御前まつり]には白拍子の舞を奉納し、町内の方々が集まって縁起を読んでいます。
今日、平野啓子氏の語りで 仏御前と祇王 ~二人の女性 その生き方~ を聞き、その感動から南加賀周遊HPより
http://www.minamikaga.com/index.html
9月10日~16日は自殺予防週間
先般、自殺予防に関する講演会に参加した為か、祇王の喪失感、自死(自害)の回避、仏御前の感謝の心にふれる機会となる。平家物語祇王を一読する(青空文庫)

以下HPより

仏御前物語
清盛の寵愛とて、むなしい夢。救いを求めて仏道へ、ふるさと小松へ。
在りし日の仏御前の面影を偲ばせる平安朝作風の乾漆座像。
明日はわが身の祇王の悲しみ。白拍子、仏御前は栄華を捨てて仏門へ。
小松市から鳥越村に至る県道沿いにひっそりと小さな墓がある。原町、仏御前の里。
白拍子(平安末期から鎌倉時代にかけて行われた歌舞。またはこれを歌い舞う遊女。直垂、立烏帽子の男装で歌いながら舞った)仏御前は一七歳にして平清盛の寵愛を受けるが、みずからの栄華にむなしさを知り出家、祇王寺へ。やがてふるさとへ帰り、21歳の短い生涯を終えたという。
穏やかに合掌する姿を写した尊像は、今も往時の美しさのまま。原町では町内の家々が交代で尊像をお預かりし、守り続けてきた。寺社やお堂に安置するのではなく、たとえば江戸時代なら庄屋、のちには信仰篤い家々へと伝わった。そして現在も個人宅の広間に安置されている。朝夕の供養はもとより、全国から仏御前を慕って訪れる人々の案内など、すべては尊像を守る人々の厚情。その信仰心が、なによりも美しい。
仏御前【ほとけごぜん】(1160~1180)
五重塔の塔守の娘として生まれる。幼い時から仏法を信じ、仏と呼ばれる。14歳の春に京に上り、白拍子となる。天性の美貌に加え、舞や歌に秀で、平清盛の目にとまり寵愛を受ける。17歳の秋に出家し、嵯峨野の祇王らの庵を訪れ、ともに仏道に精進。翌年、美濃国を経て帰国の途中、白山麓木滑の里で清盛の子を出産、子は亡くなり、仏御前は短い余生を感謝のうちに過ごしたという。
旧原村に生まれた仏御前は、京都に上って清盛のもとへ。当時、清盛の屋敷には祇王【ぎおう】という白拍子がいたが、清盛は仏御前の美しさ、芸の素晴しさに魅せられ、祇王を追い出してしまう。悲しんだ祇王は妹や母とともに出家、嵯峨野の往生院(現在の祇王寺)へ。清盛のもとで栄華の日々を送るかに思えた仏御前もまた、祇王の姿にみずからの明日を見、栄枯盛衰、むなしさを知る。そして祇王母娘を追って仏の道へと入る。ふるさとへ帰る時にみずからの姿を写した像を形見として残してきたという。その像は仏御前が亡くなって後、祇王寺より原村に贈られた。
実盛の首を確かめた樋口次郎は、ただ一目みて「あなむざんや、斎藤別当で候ひけり」と涙はらはら。実盛の討死【うちじに】から500年後、芭蕉が訪れ「むざんやな」の句を詠む。
仏御前が求めた仏の道は今もなお里人の心へと続く。
「平家物語」に記され、謡曲「仏原」(世阿弥作と伝えられている。「平家物語祇王」を本説とし、旅の僧が仏の原にて仏御前を回向する)の題材にもなった仏御前の一生は短い。「人の世の栄華は夢の夢、楽しみ栄えて何かせむ」と仏教に救いを求め、ふるさとでも仏道に精進したという。
仏御前の里の人々は栄光のなかに人生のむなしさを見た仏御前を慈しみ、ふるさとで過ごした清らかな祈りの日々を語り継ぐ。尊像を預かる家では日々、供花や仏供を整えて大切にお守りする。現在の林さん宅では昭和の初め以来70年。広間を開放し、全国から訪れる人々を迎えている。
仏御前の墓石は人々がなでさすったためだろうか、中央が窪み、すりへっている。病気平癒を願う里人が仏御前の慈悲にすがって祈ったためだという。
実在の人物、それもかつては白拍子として華やかな場にありながら悟りを求めた一生だからこそ、人々は心の拠り所とすることができた。親しみのなかで、仏の道の尊さを感じることができた。
仏御前はいまもなお原町の人々とともにある。800年の時を経てなお、里人を見守っている。
林美江【はやしみえ】仏御前像安置所、小松市原町文化財保存会・千才庵
仏御前信仰とともに800年のあいだ尊像を守る。
仏御前の尊像はお寺やお堂に安置してきたのではなく、800年あまりの間、ずっと一般の家々でお守りしてきました。昭和の始めにうちでお預かりするようになりましたが、それまでは庄屋さんや信仰心の篤い家を転々としてきました。
乾漆像なのでケースに保管したままでは呼吸ができなくて傷んでしまいます。朝にお厨子を開け、夕方には閉め、信仰の対象として大切にお仕えすることが、像を守ることにもなりました。
毎年9月16日の[仏御前まつり]には白拍子の舞を奉納し、町内の方々が集まって縁起を読んでいます。

信仰に支えられた仏御前の一生を、この静かな山あいの地で偲んでください。
※仏御前像安置所は個人宅です。見学希望の方は必ず事前にご連絡ください。連絡先/0761-47-1241

http://www.minamikaga.com/index.html


グランドジェネレーション(大いなる世代=GG) 天声人語 9月17日

2012年09月17日 | Weblog
また、出てしまった 人生訓と説教癖
そう言えば、我が職場~店~もGGによって支えられている。感謝


天声人語より
植物の知恵はいじらしい。強風や雷、水不足のストレスにさらされた大木は、小さくなって出直そうとするそうだ。樹木医の石井誠治さんによると、太い枝を新たな幹にするなど、世代交代がうまくいけば、巨樹は同じ遺伝子を継いで生き続ける(岩波ジュニア新書『樹木ハカセになろう』)▼石井さんと木々を訪ねた。神奈川県の真鶴(まなづる)半島ではスダジイ、クスノキ、クロマツの大樹が江戸時代から年輪を刻む。仰ぐたびに気(け)圧(お)された。「これほどの密生は珍しい」という▼静岡県熱海市の来宮(きのみや)神社。屈指の大楠(おおくす)は瘤(こぶ)だらけで、もはや岩の趣である。その異形に、NHKの幼児劇で見た「かしの木おじさん」を思った。森の長老は物知りで、居眠りしながら主役の山猫たちを温かく見守る▼加齢の理想像だろうが、昨今のお年寄りはずっと行動的らしい。元気で財布のひもが緩い高齢者を、商いの世界ではグランドジェネレーション(大いなる世代=GG)などと呼ぶそうだ▼若いうちは金がなく、働き盛りは暇がない、待ちわびた定年後には気力体力が尽き、残るは人生訓と説教癖。そんな通説を覆し、旅行に音楽会、おしゃれにグルメと、自ら楽しめる幸せな人たちである▼オリックスのマネー川柳に〈かじられたスネ四本が行く足湯〉がある。GGの皆さま、どうか必要を超えて蓄えず、国内の温泉あたりで費やし、日本経済を回してほしい。それが、いわゆる世代間格差を和らげることにもなる。祝日に無粋な説法、お許しあれ。