物置代わりにしていた古い家を解体するために物を整理していたら、1970年代半ば過ぎ、学生時代に購入した駅弁の「掛紙」が二十数種類出てきました。
当時は駅弁の写真を撮ってもいないので、駅弁そのものの内容はほとんど思い出せませんが、掛紙を見ていると何故そこで駅弁を買ったのかという記憶が蘇ってきました。
当時は駅弁の写真を撮ってもいないので、駅弁そのものの内容はほとんど思い出せませんが、掛紙を見ていると何故そこで駅弁を買ったのかという記憶が蘇ってきました。
「敦賀名産 元祖 鯛鮨」は、現在敦賀駅で駅弁を製造・販売する塩荘の前身、刀根 荘兵衛商店の駅弁です。
1903年(明治36年)4月1日から敦賀駅で立売営業を開始した歴史のある会社で、大正初期から販売されていたとされる「鯛鮨」。
高級バージョンの「鯛の舞」も販売されていますが、掛紙のデザインは変更されたものの現在も「元祖」は販売されています。
1977年(昭和52年)11月23日の日付から、「おいらせユースホステル」から異動した石田サブペアレントを訪ねて「浜坂ユースホステル」に向かう途中、敦賀駅で買ったものです。
当時、名古屋から米原・敦賀・西舞鶴・豊岡・鳥取を経由し、大社まで直通する急行「大社」が運転されていました。
お昼前に敦賀駅で金沢からの編成と併結するため、長い時間停車した記憶があります。

1903年(明治36年)4月1日から敦賀駅で立売営業を開始した歴史のある会社で、大正初期から販売されていたとされる「鯛鮨」。
高級バージョンの「鯛の舞」も販売されていますが、掛紙のデザインは変更されたものの現在も「元祖」は販売されています。
1977年(昭和52年)11月23日の日付から、「おいらせユースホステル」から異動した石田サブペアレントを訪ねて「浜坂ユースホステル」に向かう途中、敦賀駅で買ったものです。
当時、名古屋から米原・敦賀・西舞鶴・豊岡・鳥取を経由し、大社まで直通する急行「大社」が運転されていました。
お昼前に敦賀駅で金沢からの編成と併結するため、長い時間停車した記憶があります。

この年の1月から、「DISCOVER JAPAN」の後続として「一枚のキップから」キャンペーンが始まっていました。
しかし、「一枚のキップから」は長続きせず、1978年(昭和53年)11月には山口百恵が歌う『いい日旅立ち』をキャンペーンソングとした「いい日旅立ち」が始まります。
しかし、「一枚のキップから」は長続きせず、1978年(昭和53年)11月には山口百恵が歌う『いい日旅立ち』をキャンペーンソングとした「いい日旅立ち」が始まります。