そよそよ風がふいてます

青い葉っぱが揺れてます

11☆回想録再び 挑戦

2007年01月06日 | Weblog
 娘の中1年齢は特に様々なものに挑戦していった年です。そのころ中学生新聞をとっていて、「NASAへ行く日本代表団の子供たち募集」に応募したこと。海外の子供たちと英語でメール交換したこと、たぶん十数人、アメリカ、オーストラリア、スペイン、ギリシャ、マレーシア、・・・何時間もパソコンの前でした。彼らの面白い英語にケタケタ笑っていましたね。たぶん相手も、娘のイギリスの紳士のような英語に笑っていたでしょう。

 市の少年少女合唱団の試験を受けて入団、同じく市の英語ボランティアサークルに入って活躍、洋裁教室に行き始めたのも、家で週1回ティールームを開いて紅茶とケーキセットで300円、で稼ぎ出したのもこのころ。ホームスクーラーの他の女の子たちがアクセサリーなどを作って売っていたのに触発されたのだと思います。おばさんたちばかりの洋裁教室ではホームスクーラーのお母さんたちに鍛えられた場を読む感性で溶け込み、旅行のおみやげを渡したときに「あら、新婚旅行のおみやげ?」などと言われて家で笑いころげていたものです。ティールームで儲けたお金で布地を買い、7,8着は作ったでしょうか、それとプレゼントの子供服を何着か。(おととしの婚約式にはお相手に素敵なシャツを作りました)

 6月は英検3級を受け合格、面接は面接官が思わず日本語をしゃべってしまうハプニングを引き出してしまうさすが独学、面接官が予想できない展開になったようです。アメリカNASA(選ばれたのです!)から帰った冬には準2級を受け、またしても1回で合格。学校へ行ってない13歳です。もうそのころは私は子供たちをみていて何か映画を見ているようでした。

 小学4年の3学期から遠ざけていた学校の勉強を、NASAから帰ってがぜん始めました。
特に数学、3年間のブランクがあります。ものともしないで始められたのは、NASAのスペースシャトルの修理工場で働く半分が女性だったこと(自分もできる)と、「ロケットボーイズ」の作者の奥さんから長ーい返信メール(ロケットエンジニアになるのはどうすればいいのか?)をもらって数学の必要性を痛感したからです。明けても暮れても数学、の日々の始まりです。なにしろ、九九から始めたのですから。13歳、自分で決めた出発点でした。2年後の15歳に高校数学を解いているなんて想像もつきませんでした。




最新の画像もっと見る