今朝、8時半ごろ電話で起こされた。電話の主は、松本地方在住の元田中康夫支持者で、今は反田中活動を活発にしている人だ。
田中康夫が出ているテレビを見て、頭にきて私のところに電話してきたようだ。
「あのやろう、嘘ばっかこきゃーがる」
そういえば、フジテレビの報道2001という番組に田中康夫が出る予定だったなーと思い出す。
私もテレビを見た。画面に田中康夫が写っていた。べらべらと巧みな弁舌ー知らない人はこれに騙されるのだろうが、ペテン師の口舌にしか聞こえない。
マルチ商法の講師の話を聞いたことがあるが、それとそっくりだ。相手に考える隙を与えないーのが彼らの極意だそうだが、田中康夫の話法はそれに似ている。どこで学んだのか、学ばずとも体得したのか。
温泉の話をしていたが、なぜか「白骨」の名は口にしない。あんだけリキ入れてやったことなのに、急に言わなくなるなんて変だ。タレ込み元があんな兇状持ちだったなんて田中康夫も知らなかったんだろう。ヘタに立ち入らないでおこうと察知したのか、この辺の危機管理能力はスルドイ!詐欺師はこれぐらいでないと生き抜いていけないわな。
番組司会者の黒岩祐治さんは、田中県政発足当時ガラス張り知事室まで田中知事のインタビューを取りに来て、ドタキャンを食らったことがあるそうだ。それを自身のホームページで書いている。
つまり、田中知事の正体を黒岩さんは知っていることになる。なのに席を同じくして・・・視聴者を騙していることにならないのか?
竹村健一さんがフリップを持って「田中さんの言うとおりや」と相槌を打っている。
”メディアはメッセージ”というマーシャル・マクルーハンの耳新しい理論を日本に紹介して竹村さんが脚光を浴びたのは、もう30年ほど前になる。情報は、その中身より、伝達するメディアやスタイルによって受け手は影響されるーといったことを説いていたものだったと思う。その理論田中康夫に当てはめて見たらーと思う。
フリップを持つ手が小刻みに震えている。それが気になって竹村さんの話は右から左に抜けていく。話だけしていれば分からないが、老いはこういうところに現れる。テレビは残酷だ。良いも悪いもモロに曝け出す。”ことがある”ーと、田中康夫のことを考えると限定をしなければならないのがややこしい。
なるほど、確かにメディアはメッセージだ。田中康夫はジジイ殺しの異名がある。半ボケの人にはよく見えてしまうのだろう。
この番組はジジイ向けだ。出てくる人は年寄りが多い。若者は見ないだろう。田中康夫が出てくると確かに活気がつく。画面が明るくなる。視聴率も上がるらしい。
田中康夫は政治や行政がエンターテイメント化する流れの中に咲いたあだ花ではないか。ブラウン管の向こうで芸をしているはずのものが、間違ってコッチに来てしまったところに面白さがあり、悲劇がある。いまのところ面白さだけが目立っているが、悲劇のほうは表に出ていない。