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足利事件─国全体のシステム機能不全

2009年06月11日 | 事件・裁判

弁護団が仕切った釈放会見
池本裁判長逮捕!を叫ぶ田原総一郎

▼冤罪加害者のやり得を許すな
足利事件をみていると、この国に正義はあるのだろうかと思う。大きな事件の背景には社会の矛盾や問題が凝縮されている。

犯人とされ、17年半ぶりに釈放された菅家利和さんのテレビ出演の様子を見ていると口下手な人のようだ。長期にわたる不当な拘束の後でもそれに対する怒りを表明する言葉は十分とは思えない。見ているこっちが、いらいらするほどだ。
私だったらあんなことではすまないだろう。いかにひどい目にあったか、警官や検事の実名を織り交ぜてズバズバ言っただろう。それぐらい当然だ。
冤罪がなくならないひとつの大きな理由は、被害者が建前にすぎるからだ。もっと本音で怒りをぶつけなければ冤罪加害者たちは反省しない。冤罪加害者がもっとも恐怖する検察官は被害者だ。冤罪加害者のやり得がつづいている限り冤罪はなくならない。

菅谷さんのテレビ出演は、本来の目的とは裏腹に、取調べの過程でも警察にいいようにされたんだろうな─ということを視聴者に印象づけるものとなった。菅谷さんのしゃべりでは警察のひどさはちっとも伝わってこない。正直で気のいい人なんだろう。警察はこういう人を狙い撃ちにする。

警察、検察、さらには裁判所までがそうぐるみになって菅谷さんを犯人にでっちあげた。さすがに世論の批判も強いが、事態の深刻さを考えればまだまだ足りないぐらいだ。
警察は真犯人を捕まえることより、書類上犯人を捕まえたことにする─のにしばしば血道をあげる。この場合重要なのは書類上”犯人”に見えることであり、真実に犯人であるかどうかはたいして重要でない。できれば真犯人であった方が好ましいが、それも書類上の手間が省けるため─というのが役人である警官、検事の性癖というものではないか。

警察も検察も役所なので、真実追及のために未処理事件を抱えているより、真実はどうであれ、処理済にしておいたほうが書類上体裁がいい。そのために無辜のものが犯罪者の汚名をかぶせられることになる。

▼弁護団が仕切った釈放会見
釈放後の会見で目についたことがある。それは質問者がマスコミではなく、弁護団だったことだ。そうテロップが出ていた番組があったが、気づいた人はどれぐらいいただろうか。菅谷さんが釈放された6月4日の午後11時台のTBSニュースの中でのことだ。
このような事件の釈放直後の会見を、マスコミでなく弁護団が仕切るのはそれじたい異例でニュースでもある。だが、これについて触れたニュースも解説もない。あのテロップはTBSの良心か、それともいい訳だったのか。

この事件は一義的に警察、検察、裁判所の問題だが、それをチェックするのがマスコミの役目で、マスコミはその役目を十分に果たしていなかったことになる。これは弁護団のマスコミ不信の表れではないだろうか。その後の佐藤博史弁護士の発言も注意深くみているが、こういう場合お決まりのように出てくるマスコミへの感謝の台詞は私が見ている限りではない。

菅谷さんが千葉刑務所から釈放されるときに乗っていた緑ナンバーのワンボックス車はテレビの取材車によく使われるタイプのものだ。日本テレビ系列のニュースで車内から撮った映像があったので、日テレ提供の車に菅谷さんは乗って釈放されたのだろう。そのせいで菅谷さんの囲い込みに成功し、中身はどうか知らないが、放送時間も日テレが長いようだ。

▼池本裁判長逮捕!を叫ぶ田原総一郎
7日のテレビ朝日サンデープロジェクトでは、DNA鑑定の見直しをしなかった池本寿美子裁判長を「こんなのは逮捕だ」と田原総一郎氏が二度にわたって叫んでいた。たしかにそのとおりだが、一般メディアでの発言にしては過激でもあり、なんらかのリアクションが出るのではないかと思ったが、ほとんどないのはどういうわけだろう。

日本でもっとも影響力あるジャーナリストが視聴率の高いテレビ番組の中で、裁判官を逮捕だ─などと二度にわたって叫んだのにこれに対してリアクションがないのは不思議だ。

これに限らず、同種の冤罪事件や未解決事件は多い。ことは一冤罪事件の問題ではない。日本は国全体のシステムが機能不全に陥っているようだ。これを変えるには、権力の支配構造を根底から変えるしかない。



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