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言葉のTPOを知らない馬鹿作家

2005年07月05日 | 長  野  県  政

「オストラシズム」という言葉をご存知だろうか?
聞き慣れない言葉なので辞書で引いてみたらこう書いてあった。

オストラシズム【ostracism】 大辞泉
紀元前五世紀、古代ギリシアで行われた僭主(せんしゆ)出現防止のための市民投票。僭主の可能性のある者の名を陶片(オストラコン)に書いて投票したためこの名がある。票が一定数に達すると、指名された者は一〇年間追放された。陶片追放。オストラキスモス。

まだ不分明な言葉があるのでさらに辞書を引いた。

せんしゅ 【僭主】
1 帝王の名を僭称する者。 大辞林
2 〔(ギリシヤ) tyrannos〕古代ギリシャの諸ポリスにみられた非合法的手段で支配者となった者。多く貴族出身で平民の不満を利用し、その支持を得て政権を掌握。
 
これは7月4日午前の本会議の、北山早苗議員の質問に対する田中知事の答弁の中で出てきた言葉だ。北山議員はいまや数少なくなった田中知事シンパ議員だ。新しい読者のために付け加えておくと、県議選に出るにあたって、それまで払っていなかった自治会費を慌てて払った人である。出馬会見のとき私が名刺を差し出すと「いいです」といってバックしていった人でもある。
この件の過去号
http://www.melma.com/mag/68/m00060168/a00000045.html

議会質問映像はここにある。1:40あたりから見るといい。
7月4日(月)  一般質問・質疑等  北山 早苗議員(あお空)
http://www.pref.nagano.jp/gikai/tyousa/movie/library.htm

辞書だけでは分からないが、どうもこれは「悪い政治家を追放する仕組み」でもあるらしい。となると、かなり意味深い言葉だ。それを言っているのが田中知事であることを考えるとブラックユーモアでもある。

北山議員が「公約にしていた住民投票条例を見送ったのはなぜか?」と質問したものに田中知事が答えている。
田中知事は、イエスキリストやガリレオまで例に出し、これにリンチを加えた大衆は誤ったーと長々と説き、この条例を具体化するつもりがないと答えた。


一橋大学時代に当時の金で数百万円、いまに直すと一千万円近いカネを横領まがいのことをして着服。それがバレ留年ーといった過去をひた隠しにして長野県知事の座に就いたのは、辞書がいう「非合法的手段で支配者となった者」ではないのか?
改革を標榜しながら数々の疑惑を招いているのは「平民の不満を利用し、その支持を得て政権を掌握」とダブって見える。

北山議員は住民投票条例を作るように繰り返し求めたが、うっかり応じると「僭主(せんしゆ)出現防止のための市民投票」となるのを恐れたためーかどうかは分からないが拒否している。
なにしろ大衆は馬鹿なので過つからー。田中知事は倣岸にも、己をキリストやガリレオになぞらえているようにも見える。
この後に採決される予定の百条委設置議案のことが田中知事の意識下にあったどうかは分からない。これで告発されたらまさしく「陶片追放」の身だ。そうなった時のことを考えて予防線を張ったつもりーなのか?

北山議員がなぜこんな質問をしたのか疑問を持つ人がいるかもしれないが、深く考えない方がいい。ただ、そういう人なのだーと捉えた方がいい。本当のことを書きたいがそれはできない。訴えられる恐れがあるからだ。自由闊達な議論というのは難しい。


ところで、この言葉の意味を知っている読者がどれだけいただろう?ほとんどいないと思う。私はもちろん知らなかった。念のため知り合いの元大学教授にも聞いてみたがやはり知らなかった。知らなくていいのだ。こんな難しい言葉を、ひょいっとこんなところで使う奴のほうがおかしい。
言葉のTPOを田中康夫は知らない。言葉とは自分の考えをなるべく多くの人にわかり易く伝えるための道具だ。政治家ならなおのこと分かりやすい言葉を使うべきだ。一部の人にしか分からない言葉を議会の答弁の中で使うなんて馬鹿の証拠でしかない。

知っていても使わないのが賢いことだが、田中康夫はそれが出来ない。知っている難しい言葉を総動員する。家中にあるアクセサリー全部を体中にくっつけたら野暮というものだ。そのおかしさが分からない。数ある中からひとつだけ選んでそっと着けるのがオシャレであり粋なのだ。
田中康夫は難しい言葉をたくさん知っていて、使うことが作家としての価値を高めるように思っているようだがそうではない。それは単なる見栄でしかない。
この勘違いは「脱ダム宣言」に代表される田中知事が出した各種宣言文にも現れている。あれらの文章には聞いたことがない言葉がたくさん出てくる。ルビまで振ってある。だったら最初から使わないのが賢いやり方だ。
難しい言葉を使ってこけおどしをしようという浅はかな魂胆だ。こんな言葉に感心するのはおろかなことだ。知ったかぶりをしないで、知らないものは知りませんーというのが真の知性ではないのか。

悪文の見本の「脱ダム宣言」
http://www.pref.nagano.jp/keiei/seisakut/model/dam.htm

補足しておくと、この宣言が出された当時、日経と読売だったかの地方面の、支局長あたりが書くコラムで遠慮がちに批判、(いや、批評か?)していた。新聞記者の目から見ればどうみてもおかしな宣言文だったが、批判に腰が入っていなかった。当時の田中人気に呑み込まれたのだろう。だらしがない、そんなことでどうする!と言いたいところだが、私も「はてな?」とは思ったが、当時は田中康夫のインチキ性に気づかず、あの田中さんのことだからーと基準がずれた。時流に流されないようにするのは難しい。批判的に書いただけマシと言わなければならない。いまになって思えばーということだが、あの宣言文はおかしい。田中康夫の本質が表れていたものである。


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