2/13(水)増刊号・ぬまけんコーチの◯◯◯6
昨日の話の続きというわけじゃないんですが、“強さ” っていうのはホントに人それぞれだと思うんですね。
格闘技道場ですから、そこで10年単なる趣味とはいえ格闘技と呼ばれるものをやってきてますから
“強さ” というものを常に念頭においてとか、人より敏感にならざるを得ないだとか思われるかもしれないですけど。
僕は、これもまあ特殊なのかもしれませんが、“強さ” を求めて道場にきたことは一度たりともありません。
そもそも冒頭に言ったように、“強さ” の定義が様々ありますでしょうし。
僕にとっての “強さ” は、
自分がこの世の中で生きていきやすくするために身につけるべきもの(ツール)
くらいに思っています。
例えば、この資本主義社会とかでいうならなるべくお金をたくさん持つとかですかね。
そして、そのためにこの資源もない土地も狭い日本という国で成し遂げようとするなら、若い時に一生懸命身を削って勉強するとかですかね。
人の首を絞めたり、関節を極めたりすることを上手くなるのが
世の中で生きていきやすくなることにつながると思います?
ならないですよ。
人の首絞めたり、関節極めたりするのに喜びを見いだすようじゃむしろ逆効果。
ソッコーではじかれて、生き難さ100倍ですよ。
なら何で、
“強さ” も求めないで格闘技道場きて、格闘技なんて一般的には “強さ” を求めることを第一義とするようなことをやっているのかと。
それは僕が “好き” だから、ですね。
単純に。
首を絞めても、関節を極めても笑って赦してくれる仲間がいるからですね。
むしろそれを感心してくれるような気の毒な仲間たちと、そしてそんな中に身を置いて安らぎを感じる同じく気の毒な自分が大好きだからですね。
引きこもり体質の僕が10年続けてこれてるのも、先生である西塚さんの人柄が好きだからでしょうし、とにかく一緒に切磋琢磨してきた仲間たちが大好きだからでしょう。
“強さ” なんてもんは遠い昔に、アレックスとガブに蹂躙されてた頃にすっかり置いてきちゃったな。
僕は柔術やってなかったら、どこにも行かないし誰とも会わないから。
今、大好きな人たちに囲まれて過ごせているのは、柔術のおかげ。
というわけで、何が言いたいんだったか。
そうそう、僕はキッズクラスを受けもっていないけれど。
子どもたちはなおさら、心の底から好きなことでなければやらないだろうし、続かないと思う。
“強さ” なんて大人でもわかんないほど難しいことは置いといて、
ただ単純に、仲間との関わりを楽しんで好きになって欲しい。
…なげーよ。
というわけで本題だ。
みんなの人気者はよき母親でもある
第6弾
あつこおねえさんの
柔術女子白帯奮闘記(第6話)
〜昨日のマー坊〜
パロゥ(おわり)