久しぶりの投稿になりますね。
新型コロナウイルスの緊急事態宣言も解除され、
約半年ぶりに三重県の実家へ片付けに行くことができました。
画像は、新東名高速道路の長篠(ながしの)パーキングエリアから撮影しました。
戦国時代に織田信長・徳川家康軍と武田勝頼軍が戦った「長篠の戦い」の決戦地として知られています。
昨年まで遠距離介護をしており、毎回立ち寄るサービスエリアがございまして・・・
小高い場所にある長篠パーキングエリアは、いつも心地よい風が吹いていて・・・
私にとっては、ホッとできるお気に入りの場所の一つです。
「伊勢近し 尾花がうえの 鰯雲」
江戸時代に活躍された俳人「早野 巴人(はやの はじん)」が詠んだ句です。
「与謝 蕪村(よさ ぶそん)」の師としても知られています。
巴人は、「松尾 芭蕉(まつお ばしょう)」の「奥の細道」の足跡を辿って旅をされていたそうです。
◎尾花(おばな)→薄(すすき)の花穂(かすい)・秋の七草の一つ
◎鰯雲(いわしぐも)→鰯の群れのように空に広がる雲・秋の季語
この日の空は、鰯雲ではありませんでしたが、鰯雲は、台風や低気圧が近づく秋に多く見られます。
「鱗雲(うろこぐも)」・「鯖雲(さばぐも)」・「羊雲(ひつじぐも)」も秋の季語になります。
戦国時代が終わり、江戸時代には平穏な日々が続きました。
庶民の間では「お伊勢参り」が一大ブームとなり、多くの人々が訪れていました。
伊勢神宮まで、ひたすら歩く長旅のため「人生に一度きりの大旅行」という覚悟で旅をされていたようです。
参拝後は、そのまま国へ帰る人よりも道中にある寺社や観光名所に立ち寄りながら、
長い人では3ヶ月ほどかけて旅を楽しまれていました。
長旅の費用のことが気になりまして、調べてみましたところ、
約2ヶ月ほどの場合、60万円ほどの費用がかかっていたようです。
庶民にとっては高額のため、村ごとに「伊勢講(いせこう)」という団体をつくり、
村の代表者が参拝に行くという仕組みがありました。
代表者は、村の皆の分もお祓いを受けて、お土産とお土産話とともに村へ戻りました。
また、長く続いた江戸時代には、60年に一度の「おかげ年」という、特別な年がありました。
おかげ年には、参拝者に食事や宿などを無料で提供する「施行(せぎょう)」が行われていました。
施行を受ける目印の「ひしゃく」を持参していれば、無銭で伊勢までたどり着くことができたようです。
施行を与えた人は、善業によって徳を積むことができるとされていたため、
自ら進んで施行を与える人が多くいらっっしゃいました。
おかげ年には、半年未満の間に約460万人が訪れていたという記録も残っているそうです。
神々のおかげをいただくことから「おかげ参り」と呼ばれていました。
当時、多くの人々が気候のいい秋に、伊勢を目指して旅をされていた風景が目に浮かびますね♡