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国の廃棄物政策やごみ処理新技術の危うさを考えるブログ-津川敬

世田谷清掃工場引渡し延期の理由

2008年02月07日 | 廃棄物政策
昨年(2007年)12月 東京二十三区清掃一部事務組合(一組)はホームページで以下のような報告をしています。これは世田谷清掃工場の「建設協議会だより第18号」の一部ですが、これではまるで事務連絡です。しかも後段の部分はいわずもがなのメッセージでしょう。安全確認は当たり前の話で、区民が知りたいのは「なぜ延期したのか」の理由です。その疑念を糾すように、本年2月5日の東京新聞が次のような記事を書いています。すでに公然の秘密になっていたのですが、受注メーカーの川崎重工業が起こした初歩的ミスのようです。

《世田谷清掃工場については平成19年12月14日に竣工予定とお知らせしておりましたが、ガス化溶融炉の連続運転の確認を行なうため、工期を3ヶ月延長することといたしました。なお排ガス、排水などを処理する公害防止設備については良好に試運転が行なわれ、安全が確認されています》。

そして以下は本年2月5日付け東京新聞の記事です。

世田谷に建設ごみ処理施設 ガス化溶融炉 運転延期 排出口に不具合見つかる
                              2008年2月5日
 ごみ処理を共同で行う東京二十三区清掃一部事務組合(管理者・多田正見江戸川区長)が、世田谷区大蔵に建設している世田谷清掃工場のガス化溶融炉の完成が、ずれ込んでいる。ごみを燃やした後に出る溶融物の排出口が、予想以上に詰まることが試運転で分かったためだ。当初は昨年十二月十四日に本格運転を始める予定だったが、今年三月十四日に変更された。同組合がガス化溶融炉を導入するのは初めて。組合施設建設部によると、炉は二〇〇四年七月に着工。事業費は約百六十六億八千万円で、施工は「川重・飛島・地崎建設共同企業体」(JV)。日量百五十トンを処理する炉を二基備える。昨年六月から試運転を行っていた。試運転では、連続運転を行うと、二十二日程度で溶融物が排出口(直径一・五メートル)にたまってしまい、口径が約一メートルに狭まることが判明した。排出口が狭まると排気の流れが悪くなり、設備に負荷を与えるため、運転を止めて清掃しなければならない。組合は予定していた年間三百日の運転が不可能になると判断、JV側に改善を求めた。一月から溶融物がスムーズに排出されるように、温度を上げるバーナー改造などを行い、確認作業を行っているという。同部は「周辺環境への影響はない。安定した運転に努めたい」としている。 (原昌志)

 ところで7年前に着工に取り掛かった島根県出雲市の清掃工場が建設当時からトラブルの連続で、市への引渡しが大幅に伸びていました。その上、今日に至るまで数十回に及ぶ大小様々な事故を起こしていたのです。世田谷と似ているのは川崎重工業がこの分野ではあまり実績がなく、当時、誰もが受注するのは荏原製作所か日立造船と考えていたことです。この3ヶ月延長が出雲の二の舞になる前触れでなければいいのですが。
 では出雲の顛末を「止めよう!ダイオキシン汚染・東日本ネットワーク」発行のブックレット「溶融炉が危ない!」から引用しておきます。

(1)無理な広域化
90年代の後半、20以上のプラントメーカーが「儲かる分野」とみてガス化溶融炉市場にドッと参入していますが、中には手を出すべきではなかったメーカーもかなり入っていました。その多くは後日進出を断念するのですが、自社の技術を過信するあまり、手痛い火傷を負ったメーカーがあります。
2000年に落札を果たしたものの、約束した納期を3度も延期するトラブルを起こし、いまだに膨大な赤字を出し続けている日立製作所・バブコック日立共同事業体(以下日立JV)です。導入した自治体は島根県出雲市ですが、97年当時は同市ほか1市5町でRDF施設を建設する予定になっていました。しかし当時出された島根県の広域化計画に乗って30~60キロ離れた大田市や温泉津町なども抱え込む、実質3市11町村という巨大広域圏ができあがった結果、大型ガス化溶融炉導入に方針転換したのです。 なぜメーカーが最後発の日立製作所(中心技術は同社)だったのかについては後段で触れますが、今回の「出雲トラブル」はごみ処理広域化の持つ問題点が最悪の形であらわれた典型的なケースといえるでしょう。

(2)引渡しが10ヶ月遅れ
日立JVが218トン(109トン×2)という巨大なキルン型ガス化溶融炉を出雲市郊外の芦渡(1.7ヘクタール)という地区で着工に入ったのは2001年2月15日であり、2003年3月20日には広域組合側に引渡しという段取りになっていました(施設名・出雲エネルギーセンター)。
同時にダイオキシン恒久対策のはじまる02年11月末に3市(出雲、平田、大田)10町1村のごみ(1日あたり1600トン、年間6万5400トン)を受入れる約束にもなっていたのです。ところがそれが怪しくなりました。02年10月になって日立JV側が03年2月まで搬入を延期してくれ、といい出したのです。理由は「下請けの主力企業・日産建設が会社更生法を申請したから」というものでした。これが最初の挫折です。しかしそれだけにとどまらず、2月搬入は03年5月末、さらに8月末にズレ込み、最終的に組合に引き渡されたのは03年10月20日のことでした。実に10ヶ月以上の遅延です。理由は予想外の、しかも致命的なトラブルや事故が発生していたためでした。以下、その状況を日付順に箇条書きします。

(3)満身創痍のプラント
◆2003年1月22日
ガス化炉を密閉するシール(締め付け金具)に緩みが生じ、発生したガスがうまく封じ込められなかった。しかしセンターには各自治体との取り決めで毎日ごみが搬入されてくる。その時点で滞留ごみ5,041トンのうち、処理できたのは約1割だった。
◆03年3月24日
A系統でガス化炉のチャー(炭化物)を運ぶ配管の継ぎ目に孔が開き、1週間運転停止。
◆03年4月3日
筒状の乾燥機を回転させてごみを混ぜる際、内部の軸にヒモ状のものがひっかかるトラブルが相次ぐ。このため乾燥機を全取替えすることになった。センター5階の屋根を外し、クレーンで運び出す作業が必要になり、工事に1ヶ月近くを要した。
◆03年5月4日
B系統のガス化炉出口から灰が漏れていることがわかった。
◆03年5月16日
2日つづけて破砕機の歯が折れた。この時点でのごみ滞留量は8560トン。4400トンが限界のごみピットは扉が閉まらないほどに溢れ返った(写真)。
◆03年5月22日、
B系統ガス化炉の排出口にチャーが詰まり、開閉弁が作動しなくなった。この時点で5月末引渡しは不可能になり、8月末まで延期。しかし「14市町村のごみを引き受けることが出雲市の責任」の大義名分で発注者責任は不問に。ごみ滞留はピット容量の二倍になり、1000トン程度を山口県の業者に移送。トンあたり7万円という暴利だが全額日立JV持ちで、組合の懐は痛まない。
◆04年3月24日
A系統ガス化炉からチャーを送り出すバルブ点検口の施工ミス。ガス化炉出口にある二重弁(バルブ)の点検口ボルト部からタール状の液体が流出。それがチャー冷却機の継ぎ手部分に付着、発熱したことで伸縮継ぎ手に孔が開いた。

さらに04年5月から05年6月までに5件の事故が報告されており、現在も細かなトラブルが絶えません。一部のごみをよそに搬送している状態も相変わらずですが、行政側は「どうせ金は日立が払うんだから実害はない」とまるで他人事のようです。    
(発行:05年10月15日)



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