◆巨象のアキレス腱
2004年、いまから7年前の週刊金曜日に鎌田慧氏が「原発社会の虚構」という1ページのコラムを書いている。まるで3・11以後をいい当てたような名文だ。その一部を引用させていただく。
「なぜ電力会社を信用できないのか。彼らは『事故などあり得ない』といいつづけるしかない宿命にあるからだ。というのも原発に対する反対論の中心は、原発は必ず事故を起こす、というものだから、それへの反論は『事故など絶対にあり得ない』という非科学的なものにならざるをえない。しかし神ならざる身の人間の行為に、ミスがないなどというのは傲慢な暴論というしかない。その真実を謙虚に認められないのは原発の場合、一回かぎりのミスだけでも回復不能の人類的被害をこうむるからである(中略)。原発で事故が発生した場合、人間ができる補償の能力を超える黙示的な世界が現出する。それならいっそのこと事故など考えないほうがいい。かくして『原発は怖くない』という人々の大量発生となる(中略)。原発が民主や公開といかに遠くにあるか、それは立地時に原発と名乗らず、『工業開発』を名目にして用地買収にかかったことでもよくわかる。福島第2原発や川内原発(鹿児島県)、もっと極端な例では青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場である(中略)。原発建設予定地では電力会社の職員が有力者を飲ませ、食わせで籠絡する。電力会社や電源開発の職員が勇猛だったのは原発は親方日の丸、国策だったからだ(今もそうだ)。国が強行し、国が資金援助する政策だったからこそ、退廃が生じて当然である(中略)。さらに原発会社は利益追求企業として安全性と同時にコスト削減を図らねばならない。東海村のJCO臨界事故はコスト削減のために工程を圧縮して死傷事故を招き、美浜3号機は検査期間の短縮と手抜きによって11人もの死傷者を発生させた。小さな事故の繰り返しは大事故への接近を暗示している。原発内の何キロメートルにもおよぶ配管は、いわば巨象のアキレス腱である」(2004年8月27日付521号)。
東電が傲岸である理由がこのコラムに凝縮されている。「事故のことなど考えずに」進めてきた原発政策の結果が福島原発メルトダウンだった。
鎌田氏がこのコラムを書いた年、中部電力・浜岡原発4号機の建設時に使われたコンクリート骨材に安全性試験をごまかしてパスした「まがいもの」が紛れ込むという事件が発覚している。この事件は東京電力にも飛び火し、浜岡原発と同様の骨材使用が明らかになった。鎌田氏のコラムはそんな事態を背景に書かれたのである。
◆東京電力の傲岸
東電は戦後、発電・送電・配電を一貫して運営する民営企業として発足した。しかし純粋な「民間」ではない。営業は国の認可を必要とし、非常時には経産相の指示で供給制限や停止を行う義務を負う。年間売上高、連結で5兆162億円、総資産、連結で13兆2,039億円。世界第5位の巨大電力会社である。それを一貫して自民党が支えてきた。中曽根康弘、田中角栄、渡部恒三など連綿とつづいた通産族が東電に強い影響力を持ち、原発利権を保持し続けている。政権交代があってもこの強固な岩盤は変わらない。交代したのは利権であって政権ではなかったのだ。一方この構造は地方自治を根本から腐敗させてきた。
1991年、今回の福島原発周辺自治体のひとつ、双葉町議会が原発増設の決議を行っている。同年9月25日のことだ。1974年に制定された電源三法交付金制度の適用も87年には終わり、「大規模償却資産税収入も83年以来年々減少の一途を辿って厳しい運営になっております」(上記決議文より)。
つまり原発は必ずしも地域の活性化につながらず、「原発でつくった豪華な施設も維持管理費が増大して」一層財政を圧迫し始めている。そこで夢よ再びで「原発増設決議」となり、20年後のいま、カタストロフィー(破局)を迎えた。
今回の原発事故があった福島原発の周辺はとりわけ小さい町がひしめいている。なぜ先頃のブームで合併しなかったのか。理由はいうまでもなく原発で財政が潤っていたからだ。
ちなみに福島第1と第2原子力発電所には10基の原発がある。第1原発の1~4号機は大熊町、5、6号機は双葉町、第2原発の1、2号機は楢葉町、3,4号機は富岡町に建てられている。原発の棲み分けによって財政的な不公平がないようにという配慮である。
2ちゃんねるにも次のような書き込みがある。ほんの一部だが再掲してみよう。
<名無しさん@涙目です。(チベット自治区)2011/04/25(月)・県知事が東電に切れてるけど、自分には全く責任無いとか思ってんのかね>
<名無しさん@涙目です。(catv?)2011/04/25(月) 今の福島県知事は原発反対で当選した奴で原発の地元とことあるごとに対立してた。つまり双葉町長は原発推進派か、そんなやつを当選させといて被害者面すんなよ>
そして次の新聞記事につながる。
【原発停止で税44億円見込めず、福島県が苦慮 読売新聞2011年4月20日】
東京電力福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故に伴い、第一、第二原発の原子炉全10基が停止していることで、福島県が2011年度当初予算に計上した44億7,000万円の核燃料税の収入が全く見込めない状況になっている。
核燃料税は定期検査の際、燃料を原子炉に装てんした時点で課税され、事業者の東電が納税する。事故で燃料の出し入れができないため、税収はゼロとなるのが確実で、県は「原発事故の対応で出費がかさみ、核燃料税が入らなければダブルパンチだ」と苦慮している。
核燃料税は、主に原発周辺地域の安全・防災対策を目的としており、2010年度の当初予算では44億3,000万円を計上、7割にあたる31億円は県が放射線測定や防災ヘリコプターの維持、避難用の道路整備、被曝(ひばく)医療を担う県立医大病院の運営などの費用に充てている。残る3割の13億3,000万円は地元の楢葉、富岡、大熊、双葉の各町と周辺の6市町村に交付金として配分されている。
注)電源三法:電源開発促進税法、特別会計に関する法律(旧 電源開発促進対策特別会計法)、発電用施設周辺地域整備法の総称である。これらの法律の主な目的は、電源開発が行われる地域に対して補助金を交付し、これによって電源の開発、すなわち発電所の建設を促進し、運転を円滑にしようとするものである、とウィキペディアは解説するが、要するに原発促進のための三法である。なお電源三法交付金は、電源三法に基づき、地方公共団体に交付される交付金のこと。
◆メダカよりクジラ
東電が傲岸である背景には経済産業省だけでなく、内閣情報室や公安調査庁、各都道府県警など治安関係組織から多数の天下りを受け入れているという現実がある。それを歴代自民党政治が支えてきた。もはや恐怖の集団と呼ぶほかはなく、一度、その恐怖を目のあたりにしたことがある。
友人が出席できないからと貸してくれた株主総会出席通知(というのだろうか)で会場の日比谷公会堂に入ったことがある。四半世紀も前の話だ。まず、原発反対派?だけを会場1階の真中へ四角く囲い込み、発言は1人10分まで。時間がくると制止の声が壇上から入る。それでも話し続けるとマイクの電源を切ってしまう。まさに白昼夢だった。
東電によるもうひとつの傲岸は太陽光発電への姿勢である。20年前はまだ太陽光パネルが高価だったせいもあり、普及率はきわめて少なかった。雲を掴むどころか太陽に挑むイカロス状態だったのである。
当時珍しく太陽光パネルを自宅に取り付けている桜井薫という方を東京国立市に訪ねたのは1992年の春であった。ある巨大企業の原子力エンジニアだった彼はその研究と生き方に疑問を感じ、自然エネルギーの研究にシフトしたのである。
太陽光発電の普及を妨げていた元凶は電力会社、とりわけ東京電力だった。当時パネルで「生産」された電力は自家消費するしかなく、系統連結といって電力会社に逆送する道はほとんど閉ざされていた。
1991年春、有楽町の東電本社に取材を申し込み、後日OKが出た。当日、会議室には5人もの管理職がズラリ居並んでいた。いくつかの意見交換のあと、系統連結(逆潮流)について見解を質したところ、「素人のつくった電気は安定性に欠け、波長が整わない」みたいなことをいう。
後日、新エネルギー問題を早くから取材していた日本経済新聞の名物記者・井田均氏に聞いたら「そりゃいいがかりです。要するに(電力買い上げを)やりたくないからイチャモンつけただけの話です」とバッサリ。
東電における話合いのクライマックスは1人の管理職による次の発言だった。
「あのね、私ども、いまクジラのことで頭が一杯なんです。メダカのことまで手が回りませんよ」。クジラとは原発であり、メダカとは太陽光発電である。
東電の不遜さにくらべ、関西電力の姿勢はかなり違っていた。当時ポートアイランドに設置した膨大なパネルの現場に案内してくれたり、阪大教授らを中心に逆潮流の研究を進めるなど意欲的な取り組みをしていた。
その頃、埼玉県東松山にある丸木美術館では「原発分の電気料金は払わない」運動をやっており、そのため東電から送電を止められていた。館の維持も危うくなっていたところに助け舟を出したのが関西の太陽光研究グループである。高価なパネルを無償提供し、学生ボランティアが取り付けを行った。いずれも草創期を象徴するエピソードだが、20年後の今日、再び原発推進派まで、隠れ蓑のように自然エネルギーへの転換をいい出している。
(以下次回)
2004年、いまから7年前の週刊金曜日に鎌田慧氏が「原発社会の虚構」という1ページのコラムを書いている。まるで3・11以後をいい当てたような名文だ。その一部を引用させていただく。
「なぜ電力会社を信用できないのか。彼らは『事故などあり得ない』といいつづけるしかない宿命にあるからだ。というのも原発に対する反対論の中心は、原発は必ず事故を起こす、というものだから、それへの反論は『事故など絶対にあり得ない』という非科学的なものにならざるをえない。しかし神ならざる身の人間の行為に、ミスがないなどというのは傲慢な暴論というしかない。その真実を謙虚に認められないのは原発の場合、一回かぎりのミスだけでも回復不能の人類的被害をこうむるからである(中略)。原発で事故が発生した場合、人間ができる補償の能力を超える黙示的な世界が現出する。それならいっそのこと事故など考えないほうがいい。かくして『原発は怖くない』という人々の大量発生となる(中略)。原発が民主や公開といかに遠くにあるか、それは立地時に原発と名乗らず、『工業開発』を名目にして用地買収にかかったことでもよくわかる。福島第2原発や川内原発(鹿児島県)、もっと極端な例では青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場である(中略)。原発建設予定地では電力会社の職員が有力者を飲ませ、食わせで籠絡する。電力会社や電源開発の職員が勇猛だったのは原発は親方日の丸、国策だったからだ(今もそうだ)。国が強行し、国が資金援助する政策だったからこそ、退廃が生じて当然である(中略)。さらに原発会社は利益追求企業として安全性と同時にコスト削減を図らねばならない。東海村のJCO臨界事故はコスト削減のために工程を圧縮して死傷事故を招き、美浜3号機は検査期間の短縮と手抜きによって11人もの死傷者を発生させた。小さな事故の繰り返しは大事故への接近を暗示している。原発内の何キロメートルにもおよぶ配管は、いわば巨象のアキレス腱である」(2004年8月27日付521号)。
東電が傲岸である理由がこのコラムに凝縮されている。「事故のことなど考えずに」進めてきた原発政策の結果が福島原発メルトダウンだった。
鎌田氏がこのコラムを書いた年、中部電力・浜岡原発4号機の建設時に使われたコンクリート骨材に安全性試験をごまかしてパスした「まがいもの」が紛れ込むという事件が発覚している。この事件は東京電力にも飛び火し、浜岡原発と同様の骨材使用が明らかになった。鎌田氏のコラムはそんな事態を背景に書かれたのである。
◆東京電力の傲岸
東電は戦後、発電・送電・配電を一貫して運営する民営企業として発足した。しかし純粋な「民間」ではない。営業は国の認可を必要とし、非常時には経産相の指示で供給制限や停止を行う義務を負う。年間売上高、連結で5兆162億円、総資産、連結で13兆2,039億円。世界第5位の巨大電力会社である。それを一貫して自民党が支えてきた。中曽根康弘、田中角栄、渡部恒三など連綿とつづいた通産族が東電に強い影響力を持ち、原発利権を保持し続けている。政権交代があってもこの強固な岩盤は変わらない。交代したのは利権であって政権ではなかったのだ。一方この構造は地方自治を根本から腐敗させてきた。
1991年、今回の福島原発周辺自治体のひとつ、双葉町議会が原発増設の決議を行っている。同年9月25日のことだ。1974年に制定された電源三法交付金制度の適用も87年には終わり、「大規模償却資産税収入も83年以来年々減少の一途を辿って厳しい運営になっております」(上記決議文より)。
つまり原発は必ずしも地域の活性化につながらず、「原発でつくった豪華な施設も維持管理費が増大して」一層財政を圧迫し始めている。そこで夢よ再びで「原発増設決議」となり、20年後のいま、カタストロフィー(破局)を迎えた。
今回の原発事故があった福島原発の周辺はとりわけ小さい町がひしめいている。なぜ先頃のブームで合併しなかったのか。理由はいうまでもなく原発で財政が潤っていたからだ。
ちなみに福島第1と第2原子力発電所には10基の原発がある。第1原発の1~4号機は大熊町、5、6号機は双葉町、第2原発の1、2号機は楢葉町、3,4号機は富岡町に建てられている。原発の棲み分けによって財政的な不公平がないようにという配慮である。
2ちゃんねるにも次のような書き込みがある。ほんの一部だが再掲してみよう。
<名無しさん@涙目です。(チベット自治区)2011/04/25(月)・県知事が東電に切れてるけど、自分には全く責任無いとか思ってんのかね>
<名無しさん@涙目です。(catv?)2011/04/25(月) 今の福島県知事は原発反対で当選した奴で原発の地元とことあるごとに対立してた。つまり双葉町長は原発推進派か、そんなやつを当選させといて被害者面すんなよ>
そして次の新聞記事につながる。
【原発停止で税44億円見込めず、福島県が苦慮 読売新聞2011年4月20日】
東京電力福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故に伴い、第一、第二原発の原子炉全10基が停止していることで、福島県が2011年度当初予算に計上した44億7,000万円の核燃料税の収入が全く見込めない状況になっている。
核燃料税は定期検査の際、燃料を原子炉に装てんした時点で課税され、事業者の東電が納税する。事故で燃料の出し入れができないため、税収はゼロとなるのが確実で、県は「原発事故の対応で出費がかさみ、核燃料税が入らなければダブルパンチだ」と苦慮している。
核燃料税は、主に原発周辺地域の安全・防災対策を目的としており、2010年度の当初予算では44億3,000万円を計上、7割にあたる31億円は県が放射線測定や防災ヘリコプターの維持、避難用の道路整備、被曝(ひばく)医療を担う県立医大病院の運営などの費用に充てている。残る3割の13億3,000万円は地元の楢葉、富岡、大熊、双葉の各町と周辺の6市町村に交付金として配分されている。
注)電源三法:電源開発促進税法、特別会計に関する法律(旧 電源開発促進対策特別会計法)、発電用施設周辺地域整備法の総称である。これらの法律の主な目的は、電源開発が行われる地域に対して補助金を交付し、これによって電源の開発、すなわち発電所の建設を促進し、運転を円滑にしようとするものである、とウィキペディアは解説するが、要するに原発促進のための三法である。なお電源三法交付金は、電源三法に基づき、地方公共団体に交付される交付金のこと。
◆メダカよりクジラ
東電が傲岸である背景には経済産業省だけでなく、内閣情報室や公安調査庁、各都道府県警など治安関係組織から多数の天下りを受け入れているという現実がある。それを歴代自民党政治が支えてきた。もはや恐怖の集団と呼ぶほかはなく、一度、その恐怖を目のあたりにしたことがある。
友人が出席できないからと貸してくれた株主総会出席通知(というのだろうか)で会場の日比谷公会堂に入ったことがある。四半世紀も前の話だ。まず、原発反対派?だけを会場1階の真中へ四角く囲い込み、発言は1人10分まで。時間がくると制止の声が壇上から入る。それでも話し続けるとマイクの電源を切ってしまう。まさに白昼夢だった。
東電によるもうひとつの傲岸は太陽光発電への姿勢である。20年前はまだ太陽光パネルが高価だったせいもあり、普及率はきわめて少なかった。雲を掴むどころか太陽に挑むイカロス状態だったのである。
当時珍しく太陽光パネルを自宅に取り付けている桜井薫という方を東京国立市に訪ねたのは1992年の春であった。ある巨大企業の原子力エンジニアだった彼はその研究と生き方に疑問を感じ、自然エネルギーの研究にシフトしたのである。
太陽光発電の普及を妨げていた元凶は電力会社、とりわけ東京電力だった。当時パネルで「生産」された電力は自家消費するしかなく、系統連結といって電力会社に逆送する道はほとんど閉ざされていた。
1991年春、有楽町の東電本社に取材を申し込み、後日OKが出た。当日、会議室には5人もの管理職がズラリ居並んでいた。いくつかの意見交換のあと、系統連結(逆潮流)について見解を質したところ、「素人のつくった電気は安定性に欠け、波長が整わない」みたいなことをいう。
後日、新エネルギー問題を早くから取材していた日本経済新聞の名物記者・井田均氏に聞いたら「そりゃいいがかりです。要するに(電力買い上げを)やりたくないからイチャモンつけただけの話です」とバッサリ。
東電における話合いのクライマックスは1人の管理職による次の発言だった。
「あのね、私ども、いまクジラのことで頭が一杯なんです。メダカのことまで手が回りませんよ」。クジラとは原発であり、メダカとは太陽光発電である。
東電の不遜さにくらべ、関西電力の姿勢はかなり違っていた。当時ポートアイランドに設置した膨大なパネルの現場に案内してくれたり、阪大教授らを中心に逆潮流の研究を進めるなど意欲的な取り組みをしていた。
その頃、埼玉県東松山にある丸木美術館では「原発分の電気料金は払わない」運動をやっており、そのため東電から送電を止められていた。館の維持も危うくなっていたところに助け舟を出したのが関西の太陽光研究グループである。高価なパネルを無償提供し、学生ボランティアが取り付けを行った。いずれも草創期を象徴するエピソードだが、20年後の今日、再び原発推進派まで、隠れ蓑のように自然エネルギーへの転換をいい出している。
(以下次回)