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【諸宗教の超簡単図解の試み】④キリスト教

2011-11-14 00:11:02 | 高森光季>諸宗教の超簡単図解の試み

 キリスト教は、端的に言えば、イエスの「復活」によって始まりました。もちろんイエスの言動が人々に感銘を与えるものだったということはありますが、何よりも大きなモメントとなったのは、やはり復活でした。
 初期のキリスト教は、ユダヤ教の一派でした。「もうすぐメシアがやって来る。裁きがあって、信じる者は永遠の生命を与えられる。信じない者は滅びる」――この基本図式はユダヤ教そのものです。ただ、イエスが「復活」を見せたために、「もうすぐ」が猛烈な切迫感を持った。そして「神の子イエス」への信仰が爆発的に拡がったわけです。
 ところが、いくら待ってもメシアの再来はない。切迫感はだんだんと薄れ、原始キリスト教は変質していきます。



 ユダヤ教と比べると、いくつかの細かい変化があります。
 (1) 「神の裁きによって地上にユダヤ民族の永遠の国が生まれる」という代わりに、「天国・地獄」という「死後世界」が迫り出してくる。これにはイエスの「永遠の生命」観が影響しているでしょうが、別の意味では、「死後世界を排除していたユダヤ教の奇形が直された」とも言えるでしょう。
 (2) ただしこの「天国・地獄」ははっきりと死後世界とはされず、ユダヤ教の伝統通り、メシアの再臨によって現世にそれが出現する、あるいは現世がそれに変質するとも考えられた。この「現世なのか死後世界なのか」という微妙な“ぶれ”はずっと継続することになります。
 (3) 超越性を持つものとして、「神の子」「聖書」が加わった。ユダヤ教にも「預言者」とか「聖典(モーセ五書)」といったものはありましたが、それ自体は聖化されませんでした。神ヤハウェ以外への崇拝を禁じていたからでしょう。キリスト教では神の子イエスはほぼ神と同格となりました。また、聖書は、「神のことば」として「奇跡であり無謬」という扱いを受けるようになりました。教祖が神格化されることはままあることですが、「聖典」の神格化は、あまり類例がないような気がします。日本では鎌倉期に「法華経」の神格化が起こりましたが。
 (4) さらには、神の子の代理であり、神へのアクセス権と「神のことば」の解釈権を独占する「教会」という地上権力が作られました。ただ、これはユダヤ教のサンヘドリンの焼き直しと言えるかもしれません。
 (5) 一番の違いは、他民族の神を明らかに「邪神」とすることで、民族を超えた拡がりをめざしたということでしょう。「勝手にしなよ、どうせ滅ぶけど」という態度と、「それは間違いだ、正さねばいかん」という態度と、どちらが傲慢かは、少し考えてみる必要がありそうです。

 こういう大枠で見ると、キリスト教はユダヤ教とあまり大きく変わらないということがわかるように思います。


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