平成17年5月17日(火)
先週赤岩尾根を縦走してまだ一週間経っていないが、この時期天気が全て、登れる時に登っておかなくては。予報では最近に無い快晴に恵まれるらしいから、行かないわけには行かない。で、何処に行こうかと考えたが、会津はまだ早いだろう。昨年雁坂嶺・破風山のピストンをした後、この方面で次はここだと決めた三峰から雲取山ピストンを実行することにした。ロングコースなので、時期的には日の長いこの時期がベストだろう。雁坂の時は12月だったから、降りてきたら真っ暗になってしまった。昨年中に行けないものかなあ、と考えたが無理だった。行き先は決まった。長いコースだが、標高差も距離も雁坂より若干楽?ではないかと思う。
三峰神社の駐車場に深夜1時に着いた。予定ではもう少し早くつけると思ったが、自宅から3時間、100㌔少ししかないのに結構時間がかかるものだ。空には星と月が冴え渡っている、天気は大丈夫そう。明日は長丁場だから、5時にアラームをセットしてシュラフにもぐりこむ。でも、前回小倉沢の時より寒くない感じ。
アラームが鳴る前に目が覚めた。最高のお天気で、直ぐ前に和名倉山がどーんと見えている。今日目指す方角を見るが、幾つもの山が先の方まで見えていて、雲取山は一体どれだか分からない。距離からすれば一番奥に見えている黒木に覆われた三角の山がそうかもしれない、とすれば呆れるほど遥か彼方だ。腹ごしらえを済ませて支度をしていたら、若い僧侶?が何人か車でやってきた、三峰山らしい…でもお坊さんにしては暴走族風だった。案内看板の前に車を停めて出発したが、階段を上って下を見下ろすと、どうもそこはバスの発着場所らしい、良く見るとそこに引かれている駐車スペースのラインは薄くなっている、真新しいラインが引いてある乗用車指定のスペースが離れて別にあったので、そこに駐車しなおした。
さて、あらためて出発、取りあえず登山道が良く分からない、この辺りに登山道への案内看板なんか無かった。駐車場周辺は土留めや何かの工事が行われていてますます分からない。三峰山ネイチャーセンターという、多分使われていない雰囲気の古い建物の前をそれと思われる方向に歩いたが、看板類は無い。上の尾根沿いにあるのではないかと思い、急な斜面をでたらめに登ってみたら、そこに稜線どおしの登山道があった。
極めて歩き易い、ほとんど遊歩道といった道を杉や檜の林沿いに進む。事実ここは自然探勝路だそうで、雲取山までのコース10,7㌔(えっ、そんなにあるんですか?)は全部が自然探勝路らしく、うるさいほど自然観察の要点めいたことが書かれた立派な看板がほぼ30分おきくらいにずっと建っていた。しばらく行くと、三峰山奥の宮の鳥居が出てきて、そこが本当の登山口らしかった。登山者カード入れ(でも記入できる登山者カードは無かった?行き先別のカウンターがあって、調査に協力しろというのはあったが)やら登山者への注意書きだの、また例によってクマが出るから気を付けろの立て看板等があちこち立っていた。最近あまりメジャーな山に登らないせいか、立派な看板類はむしろ珍しかった。
緩い登りを、ほとんど登っているというより歩いている感じで、杉やヒノキの薄暗い道を行く。500㍍おきくらいに雲取山と三峰神社間の距離を示す標柱があり、地名の書かれた大きな看板が建っていたから、退屈しない。奥宮への二度目の分岐と大陽寺方面と書かれた分岐を過ぎて、霧藻ガ峰への登りまではほぼ平坦な緩い登りだった。霧藻ガ峰の登りに掛かると、上から背負子を担いだ小屋番らしき人物が降りてきた。こんにちはと言ったら無視してすれ違い、少し先で振り返って「今日は往復?」と聞いた。そっか、日帰り登山者は客じゃないもんね…。
霧藻ガ峰まで登ると三角点がある伐採跡から、初めて北面の展望が広がった。先週登ったばかりの赤岩尾根を探すが、両神山は分かるもののゴツゴツしたこぶはどれがどれだか今ひとつ決め手が無かった。しかし、何といってもここからは正面の馬鹿でかい和名倉山が目に付く、周辺の山に比べて茫洋としたクジラの様な山容は鈍重な印象だが、それだけに余計孤高な雰囲気を与えるのだった。遠く甲武信や金峰山、うっすらと八ヶ岳、東の奥には谷川連峰や上州武尊が、まだべったりと雪を付けていた。それにしても空気が澄んで風もないし、まるで晩秋の様な本当に一年に何度もないような快晴だ。登ってきた方を見下ろすと駐車場が遙かに小さく見え、停めてきた車があれかなあ、と何とか判別できる程度。一通り眺めて、また先を急ぐ、何しろまだまだ先は長いのだから。
一度緩く下りかけて登り返すと、朽ちかけた休憩舎(避難小屋?)があり、大きな石灰岩の一枚岩に秩父宮夫妻のレリーフが埋め込まれて、解説板とプレートがあった。そこは南側が大きく開けた岩場の展望台でテラスが作られてあった。霧藻ガ峰と消えかけた文字がどうにか読める古い山名板が建っている。霧藻ガ峰という名は秩父宮が命名したそうだ、後で知ったが霧藻というのはサルオガセの事らしい。でも、この山にはサルオガセは見あたらなかったな。眺めが良いのでここでまた少し休んで、この古めかしい、今まで沢山あった最近作られた説明プレートや指道標とは雰囲気の違う、歴史を感じさせるものを見て好ましかった。秩父宮という人は山好き、スポーツ好きで知られた宮様だけど、このレリーフの表情は穏やかでゆったりした人柄を感じさせたし、夫人はまた鷹揚でつつましい雰囲気だった。
霧藻ガ峰からはかなり下って周囲の樹相はブナやナラになり、下りきった鞍部は「お清平」という名が付けられた小平地だった(お清は人の名前じゃなくてお経が転訛したものの様だ)。ここからは、やや薄暗い木の根や石灰岩の露岩が続く急な登りで汗をかいた。しばらく登ると、また樹間から眺めがある「前白岩の肩」という場所に出た。いつの間にか樹相もコメツガやダケカンバに変わってきた。奥秩父主稜線が見えるようになり、その向こうにうっすらと富士山も見えた。見上げる前白岩山はまだ結構高いが、また少し同じような登りを頑張って前白岩山に着いた。しかし、まだこんなところで休んではいられないから先を急ぐ。
白岩山の登りはきつかった。良い天気で日陰にいると寒いくらいだが、陽の当たる登りでは暑くて仕方がない。もう、そんなわけで汗びっしょりになった。登り着いた白岩山の頂上は樹林の中、伊勢湾台風でそっくり倒された樹木が少しづつ回復しているのだが、若いダケカンバが多かった(本来極相ではシラビソだろう)。ベンチやテーブルまであり、説明プレートや何やかやと賑やかだ。白岩山と書かれた山名板のあるところは日陰なので、そこのベンチに座って残りのいなりずしとジャムマーガリンパンを食べた。最近は山に来ると良く食べるなあ…。だから太り気味?登り始めて初めて腰を下ろして休んだ。地図で確認してコースタイムをチェックしていたら、自分では結構頑張って登っていたつもりだったけど、ほぼコースタイム通り、ということは、5時間ばっちり掛かりそうだ…ヤレヤレ。
白岩山への登りが実は本日の登りのメインだ。このコースのほとんどは白岩山の登りだと思って間違いない。白岩山は前白岩と白岩山の2峰に別れているが、これと手前の霧藻ガ峰(秩父宮が命名する前は燕岩と呼ばれていたそうだ、この方が即物的で好きだな)を合わせた三山を三峰山と言うらしい。五万分の一地形図にはこの三山にまたがって全体に三峰山と書いてある。つまり、信仰上の三峰山は白岩山が本山なのかしら?三峰神社の奥宮は妙法ヶ岳にあるけれど、確かに神社辺りから見上げると、霧藻ガ峰・前白岩山・白岩山が縦に重なり順番に高くなって聳えている、大きな一つの山が順に高いピークを並べているようにも見える。雲取山はその奥に、ややこれらの峰とは趣の違う雰囲気で見えていた。だから名前だけが有名で、具体的には神社の名称かと思っている「三峰山」という名前は、下から見た印象そのままの、本来は白岩山のことなんだろう、と勝手に決めた。素朴な、いにしえ人が見たままに「みつみねやま」と呼んだ山が先にあって、後から神社がやってきたのが本当だと思う。
白岩山の下りは北面の石灰岩が露出した岩場をトラヴァースぎみに降りていく。鋭いルンゼが切れ込んだ急峻な斜面を横切るのだが、階段やしっかりした道が付いていて全く危険は無い、とはいえのぞき込んだルンゼは恐ろしいほどに落ち込んでいて、間違って落ちれば終わりだ。この辺りは鬱蒼としたシラビソやコメツガの森で、樹下は苔むした奥秩父のイメージそのものだ。斜めに下りきると、行く手に雲取山がいよいよ近づいてくる。山頂の少し下に裸地が見え、赤い屋根の山小屋らしきものが見えている。頂上までびっしりと黒木に覆われ、これもいかにも奥秩父の山といった風情満点。まあ、雲取山は奥多摩最奥の山でもあり、奥秩父最南端でもあり、山域のカテゴリでは微妙な位置だが、一般的には百名山の一峰とか東京都の最高峰とかのくくりで登る人が多いんだと思う。自分的には「雲取山」というその名前が気に入って登りたいと思ったのだが…一応念願の山リストの一峰には違いない。芋の木ドッケというおかしな名前のピークが白岩山の隣にある、こちらの方が白岩山より若干標高が高いが白岩のおまけ扱い、ピークは巻いて下る。
白岩山を下りきって「大ダワ」に到着。大ダワという名前はあちこちに多い、大きなたわみの事だから峠の別名にもなっている(タワというのは特に奥多摩から奥秩父、山梨方面の山に多い地名だ。越後の未丈ヶ岳にダオという地名があるが、これも同じだろう)。ここで道は3つに別れている、雲取山方面へは男坂と巻き道、もう一つは下の沢から登ってくる日原からの道がここで合流している。男坂を登っていく、巻き道よりこっちの方がストレートな分早いと思ったから、帰りは巻き道を行こう。木の根が出た急な道を少しで、朽ちかけた小屋に出た。これは雲取ヒュッテの残骸、この古い小屋はもう使われていない。一段上ってテント場になり、今日初めての登山者に出会った。ここからほんの少し登ると、沢山の看板類がある赤い屋根の大きくて真新しい雲取山荘に出た。中に小屋の人がいる気配がしているが、周囲には誰もいない。小屋の前に給水施設があって、「これを飲むと10年寿命が延びる?」と書かれた水が流れていた。ペットボトルに水を満たして早々に出発。小屋の上は最後の急登が待っていた。
田部重治先生のレリーフがあった。あちこちにレリーフが多い、この先にも回り込んだ道の奥に、雲取山の開拓者「鎌仙人」なる人のレリーフもありました。シラビソの急斜面をあえいで、樹林がぱっと切れ雲取山山頂に到着した。時間は10時45分だから、ほぼ5時間掛かったことになる、まあ特別急いだ訳ではないし…こんなもんでしょうか。頂上には2人先客がいたが、この二人は入れ替わりに降りていった。
雲取山山頂は、さすがに多くの登山者が来ると見えてかなりの面積が裸地になっていた。今日のこの日差しでは少し埃っぽかった。りっぱな山名板や台形の変わった三角点標石やその由来を説明するプレート、植生や何かを解説するプレート、展望板など、いかにもメジャーな山といった観光地的なあれこれのものがたくさんあった。直ぐ下に避難小屋の屋根が見えている。しかし、ここからの展望はなかなか雄大だった。北面は奥秩父南部の主稜線がうねうねと遠くの甲武信三山に向かって伸びている(田部重治が黒い竜がうねるがごとくと評したそうだ)、目の前の飛竜山(大洞山)が大きく立派だ。遠くの富士山は残念ながら頂上を雲に隠していたが、手前に大菩薩連嶺が黒々と並び、南を見ると雲堤の下に東京方面の市街地がかすかに見える。東京の方は曇っているのかな?市街地とこの山の間に見慣れない山々が見える、奥多摩の山は馴染みが無いから全く分からなかった。東側は樹林に遮られて眺めが無かった。ガイドブックに寄ればほぼ360度とあるが…
とにかく、一休み。後からさっき小屋のところで抜いてきた人が登ってきたが、この人は日原から登ってきたそうだ。休んでいるとぽつぽつ人がやってくる、やはりメジャーな山だから平日でも沢山人がやってくるのかなあ。帰りには団体やら、お坊さんやら、夫婦らしいペアやら、その他大勢、全部で30人以上いたろうか?
展望板に寄りかかって白アンパンとベビースターラーメンを食べた。チョコレートもかじった。それにしても良く食べるなあ、自分でも呆れるほど。あまり馴染みの無い山は、こうして眺めていても何も浮かんでこない。ぽつりぽつりと人がやってくる、平日だからよっぽどの山好きでなくてはやってこない、そうすると必然的に単独行が多くなり、ゆえに寡黙な人たちばかりであまり話はしなかった。一人で山に浸りに来ている時は、他の人はみな邪魔者だから?
雲取山の山頂はあまりゆっくりとするような雰囲気は無い、もう少しこじんまりして何もない頂上の方が居る事の楽しさを味わえる様に思うのだった。それもこれもこの山が百名山のメジャー山岳だからということだろう。
帯頂30分程で山頂を辞した。帰りも当然長いから、どっちにしても余りのんびりとはしていられないのだけど。急な樹林を一気に下り、鎌仙人のレリーフもついでに見て、雲取山荘でまた水を満たして先に進んだ。
雲取山荘からは遊歩道感覚の道を行き、雲取ヒュッテの残骸を見下ろすテント場に着いたら、あまりに静かで気持ちがいいから、ここで休んでカップそばを食べることにした。やっぱり山登りでは一回はこういうブレイクが必要だ。条件としては誰もいない静かな空間が不可欠だけど…わずかに残っている草地で店を広げ、崩れそうな雲取ヒュッテのトタン屋根の上に頭を出している、これから登り返す白岩山を眺めながら一人山にいる気分を楽しんだ。ツツドリののんきそうな鳴声が山にこだましていた。ガスコンロのゴーゴーという音が、却って静かな山の気を感じさせるのだった。そばを食べ終わると(喰いまくっていて出していないので、お腹が苦しい)重くなった身体に活を入れ、再び復路のトレースを開始する。
大ダワまで、帰りは巻き道を進む。巻き道は特に面白くもなく、白岩山の取り付きからトラヴァース道を行くと、この辺りから登ってくる沢山の人たちとすれ違うようになる。やっぱりメジャーな山だ、平日でも団体まで来るんだな、おまけに若い3人のお坊さんまで登ってきた。白装束で山伏みたい?三峰山だからあたりまえだけど、奥山駆けをまだやっているんでしょうか。「ごくろうさまです」なんて声を懸けられたので、少し変な気分だった。ますます日差しが強くなって、湿度こそ少ないけれどとても暑くなってきた、登り返しが多いのでその度に汗だくになってしまった。
白岩の悪場から登りになり、もう少しで山頂という辺りでネットでも見ていた雌鹿さんが姿を現した。直ぐ側まで近づいても平気な顔(表情は分からない)で、害も益もない人間には興味がないようだった。もちろん、奥秩父で何度も鹿に会っているが、いつも雄鹿のせいか彼らは警戒音を発して凄い勢いで逃げていってしまう。ここは鳥獣保護区で、ましてや彼女たちは猟期にも狙われないから人間に恐怖を感じないのか?おかげで至近距離(2㍍)で写真が撮れた。うまい写真ではなかったけれど、こんなに近くで写真を撮ったのは本当に初めて、「えっこの鹿本当に野生?」と思ったのだった(奈良公園の鹿みたいと書いていた人もいた)。彼女は無関心でダケカンバの樹皮をぱりっとちぎって食べていました(だから木が枯れるんですけど、鹿さん…)。奥秩父は鹿害がひどい、雁坂嶺あたりの状況は眼を覆いたくなるような有様だけど、この辺りはぐるっと樹皮を食べられて枯れているような樹はあまり見られなかった。冬場でも雪が少ないせいだろうか?
白岩山頂も中高年夫妻が陣取っていたのでパスした。前白岩への登り返しもひーひーいいながら、オオバカメノキの白い花やミヤマカタバミの可憐な花、そしてハルリンドウ(タテヤマリンドウ)まで咲いていました。ツツジ類は霧藻ガ峰辺りで蕾のムラサキヤシオ以外は、ほとんど目に付かなかった。ここのところ山に登ればアカヤシオが満開でお出迎えしてくれていたので、少し寂しい感じだった。ウグイスやコマドリ・メボソムシクイ・ツツドリらの鳴き声やアオゲラのタラララ…という樹を叩く音等が山々にこだましていた。まさに初夏、賑やかな新緑の山々だった。
霧藻ガ峰を登り返すと、距離的にはまだ5㌔近くあるが行程的にはあとわずか、アップダウンもほぼ終わりになった。相変わらず強い日差しで真っ青な空だが、景色は湿度が低いせいか遠くの山までよく見えた。最後の杉や檜の緩い下り道になると、まだ体力に余力があるし、折角だからと分岐から妙法ヶ岳まで足を伸ばすことにした。分岐からしばらくまた登り、尾根沿いに進んで薄暗い檜林のトラヴァースの先で神社からの道に合流した。鳥居をくぐり行く手に見えているぽこっと盛り上がった岩山状の妙法ヶ岳まではわずかだった。足場のやや悪いところもあったが特に問題なく、わざわざそこだけ残したといった雰囲気の頂上直下の鎖場はご愛敬で、狛犬ならぬオオカミが金色に眼を光らせた奥宮に着いた。山頂と言っても、奥宮があるだけで、最近建て直したのか変にキレイな奥宮はやや安っぽかった。おじさんが一人いたし、下りではお坊さんに連れられた団体が登ってきた。
妙法ヶ岳を下ると後は走るように駐車場に戻った。駐車場に4時少し過ぎに到着。観光客もわずかにいた。
帰りは大滝の湯に寄る。今回は体力的には、やはり「雁坂・破風ピストン」や「餓鬼岳ピストン」より楽だった。でも、白岩の往復登り返しは思った以上にきつかったのも事実でした。とはいえ一応念願の雲取ピストンを果たしたので満足、メジャーな山だけに山登りそのものの、わくわくするような楽しさはやや少ないかも。
先週赤岩尾根を縦走してまだ一週間経っていないが、この時期天気が全て、登れる時に登っておかなくては。予報では最近に無い快晴に恵まれるらしいから、行かないわけには行かない。で、何処に行こうかと考えたが、会津はまだ早いだろう。昨年雁坂嶺・破風山のピストンをした後、この方面で次はここだと決めた三峰から雲取山ピストンを実行することにした。ロングコースなので、時期的には日の長いこの時期がベストだろう。雁坂の時は12月だったから、降りてきたら真っ暗になってしまった。昨年中に行けないものかなあ、と考えたが無理だった。行き先は決まった。長いコースだが、標高差も距離も雁坂より若干楽?ではないかと思う。
三峰神社の駐車場に深夜1時に着いた。予定ではもう少し早くつけると思ったが、自宅から3時間、100㌔少ししかないのに結構時間がかかるものだ。空には星と月が冴え渡っている、天気は大丈夫そう。明日は長丁場だから、5時にアラームをセットしてシュラフにもぐりこむ。でも、前回小倉沢の時より寒くない感じ。
アラームが鳴る前に目が覚めた。最高のお天気で、直ぐ前に和名倉山がどーんと見えている。今日目指す方角を見るが、幾つもの山が先の方まで見えていて、雲取山は一体どれだか分からない。距離からすれば一番奥に見えている黒木に覆われた三角の山がそうかもしれない、とすれば呆れるほど遥か彼方だ。腹ごしらえを済ませて支度をしていたら、若い僧侶?が何人か車でやってきた、三峰山らしい…でもお坊さんにしては暴走族風だった。案内看板の前に車を停めて出発したが、階段を上って下を見下ろすと、どうもそこはバスの発着場所らしい、良く見るとそこに引かれている駐車スペースのラインは薄くなっている、真新しいラインが引いてある乗用車指定のスペースが離れて別にあったので、そこに駐車しなおした。
さて、あらためて出発、取りあえず登山道が良く分からない、この辺りに登山道への案内看板なんか無かった。駐車場周辺は土留めや何かの工事が行われていてますます分からない。三峰山ネイチャーセンターという、多分使われていない雰囲気の古い建物の前をそれと思われる方向に歩いたが、看板類は無い。上の尾根沿いにあるのではないかと思い、急な斜面をでたらめに登ってみたら、そこに稜線どおしの登山道があった。
極めて歩き易い、ほとんど遊歩道といった道を杉や檜の林沿いに進む。事実ここは自然探勝路だそうで、雲取山までのコース10,7㌔(えっ、そんなにあるんですか?)は全部が自然探勝路らしく、うるさいほど自然観察の要点めいたことが書かれた立派な看板がほぼ30分おきくらいにずっと建っていた。しばらく行くと、三峰山奥の宮の鳥居が出てきて、そこが本当の登山口らしかった。登山者カード入れ(でも記入できる登山者カードは無かった?行き先別のカウンターがあって、調査に協力しろというのはあったが)やら登山者への注意書きだの、また例によってクマが出るから気を付けろの立て看板等があちこち立っていた。最近あまりメジャーな山に登らないせいか、立派な看板類はむしろ珍しかった。
緩い登りを、ほとんど登っているというより歩いている感じで、杉やヒノキの薄暗い道を行く。500㍍おきくらいに雲取山と三峰神社間の距離を示す標柱があり、地名の書かれた大きな看板が建っていたから、退屈しない。奥宮への二度目の分岐と大陽寺方面と書かれた分岐を過ぎて、霧藻ガ峰への登りまではほぼ平坦な緩い登りだった。霧藻ガ峰の登りに掛かると、上から背負子を担いだ小屋番らしき人物が降りてきた。こんにちはと言ったら無視してすれ違い、少し先で振り返って「今日は往復?」と聞いた。そっか、日帰り登山者は客じゃないもんね…。
霧藻ガ峰まで登ると三角点がある伐採跡から、初めて北面の展望が広がった。先週登ったばかりの赤岩尾根を探すが、両神山は分かるもののゴツゴツしたこぶはどれがどれだか今ひとつ決め手が無かった。しかし、何といってもここからは正面の馬鹿でかい和名倉山が目に付く、周辺の山に比べて茫洋としたクジラの様な山容は鈍重な印象だが、それだけに余計孤高な雰囲気を与えるのだった。遠く甲武信や金峰山、うっすらと八ヶ岳、東の奥には谷川連峰や上州武尊が、まだべったりと雪を付けていた。それにしても空気が澄んで風もないし、まるで晩秋の様な本当に一年に何度もないような快晴だ。登ってきた方を見下ろすと駐車場が遙かに小さく見え、停めてきた車があれかなあ、と何とか判別できる程度。一通り眺めて、また先を急ぐ、何しろまだまだ先は長いのだから。
一度緩く下りかけて登り返すと、朽ちかけた休憩舎(避難小屋?)があり、大きな石灰岩の一枚岩に秩父宮夫妻のレリーフが埋め込まれて、解説板とプレートがあった。そこは南側が大きく開けた岩場の展望台でテラスが作られてあった。霧藻ガ峰と消えかけた文字がどうにか読める古い山名板が建っている。霧藻ガ峰という名は秩父宮が命名したそうだ、後で知ったが霧藻というのはサルオガセの事らしい。でも、この山にはサルオガセは見あたらなかったな。眺めが良いのでここでまた少し休んで、この古めかしい、今まで沢山あった最近作られた説明プレートや指道標とは雰囲気の違う、歴史を感じさせるものを見て好ましかった。秩父宮という人は山好き、スポーツ好きで知られた宮様だけど、このレリーフの表情は穏やかでゆったりした人柄を感じさせたし、夫人はまた鷹揚でつつましい雰囲気だった。
霧藻ガ峰からはかなり下って周囲の樹相はブナやナラになり、下りきった鞍部は「お清平」という名が付けられた小平地だった(お清は人の名前じゃなくてお経が転訛したものの様だ)。ここからは、やや薄暗い木の根や石灰岩の露岩が続く急な登りで汗をかいた。しばらく登ると、また樹間から眺めがある「前白岩の肩」という場所に出た。いつの間にか樹相もコメツガやダケカンバに変わってきた。奥秩父主稜線が見えるようになり、その向こうにうっすらと富士山も見えた。見上げる前白岩山はまだ結構高いが、また少し同じような登りを頑張って前白岩山に着いた。しかし、まだこんなところで休んではいられないから先を急ぐ。
白岩山の登りはきつかった。良い天気で日陰にいると寒いくらいだが、陽の当たる登りでは暑くて仕方がない。もう、そんなわけで汗びっしょりになった。登り着いた白岩山の頂上は樹林の中、伊勢湾台風でそっくり倒された樹木が少しづつ回復しているのだが、若いダケカンバが多かった(本来極相ではシラビソだろう)。ベンチやテーブルまであり、説明プレートや何やかやと賑やかだ。白岩山と書かれた山名板のあるところは日陰なので、そこのベンチに座って残りのいなりずしとジャムマーガリンパンを食べた。最近は山に来ると良く食べるなあ…。だから太り気味?登り始めて初めて腰を下ろして休んだ。地図で確認してコースタイムをチェックしていたら、自分では結構頑張って登っていたつもりだったけど、ほぼコースタイム通り、ということは、5時間ばっちり掛かりそうだ…ヤレヤレ。
白岩山への登りが実は本日の登りのメインだ。このコースのほとんどは白岩山の登りだと思って間違いない。白岩山は前白岩と白岩山の2峰に別れているが、これと手前の霧藻ガ峰(秩父宮が命名する前は燕岩と呼ばれていたそうだ、この方が即物的で好きだな)を合わせた三山を三峰山と言うらしい。五万分の一地形図にはこの三山にまたがって全体に三峰山と書いてある。つまり、信仰上の三峰山は白岩山が本山なのかしら?三峰神社の奥宮は妙法ヶ岳にあるけれど、確かに神社辺りから見上げると、霧藻ガ峰・前白岩山・白岩山が縦に重なり順番に高くなって聳えている、大きな一つの山が順に高いピークを並べているようにも見える。雲取山はその奥に、ややこれらの峰とは趣の違う雰囲気で見えていた。だから名前だけが有名で、具体的には神社の名称かと思っている「三峰山」という名前は、下から見た印象そのままの、本来は白岩山のことなんだろう、と勝手に決めた。素朴な、いにしえ人が見たままに「みつみねやま」と呼んだ山が先にあって、後から神社がやってきたのが本当だと思う。
白岩山の下りは北面の石灰岩が露出した岩場をトラヴァースぎみに降りていく。鋭いルンゼが切れ込んだ急峻な斜面を横切るのだが、階段やしっかりした道が付いていて全く危険は無い、とはいえのぞき込んだルンゼは恐ろしいほどに落ち込んでいて、間違って落ちれば終わりだ。この辺りは鬱蒼としたシラビソやコメツガの森で、樹下は苔むした奥秩父のイメージそのものだ。斜めに下りきると、行く手に雲取山がいよいよ近づいてくる。山頂の少し下に裸地が見え、赤い屋根の山小屋らしきものが見えている。頂上までびっしりと黒木に覆われ、これもいかにも奥秩父の山といった風情満点。まあ、雲取山は奥多摩最奥の山でもあり、奥秩父最南端でもあり、山域のカテゴリでは微妙な位置だが、一般的には百名山の一峰とか東京都の最高峰とかのくくりで登る人が多いんだと思う。自分的には「雲取山」というその名前が気に入って登りたいと思ったのだが…一応念願の山リストの一峰には違いない。芋の木ドッケというおかしな名前のピークが白岩山の隣にある、こちらの方が白岩山より若干標高が高いが白岩のおまけ扱い、ピークは巻いて下る。
白岩山を下りきって「大ダワ」に到着。大ダワという名前はあちこちに多い、大きなたわみの事だから峠の別名にもなっている(タワというのは特に奥多摩から奥秩父、山梨方面の山に多い地名だ。越後の未丈ヶ岳にダオという地名があるが、これも同じだろう)。ここで道は3つに別れている、雲取山方面へは男坂と巻き道、もう一つは下の沢から登ってくる日原からの道がここで合流している。男坂を登っていく、巻き道よりこっちの方がストレートな分早いと思ったから、帰りは巻き道を行こう。木の根が出た急な道を少しで、朽ちかけた小屋に出た。これは雲取ヒュッテの残骸、この古い小屋はもう使われていない。一段上ってテント場になり、今日初めての登山者に出会った。ここからほんの少し登ると、沢山の看板類がある赤い屋根の大きくて真新しい雲取山荘に出た。中に小屋の人がいる気配がしているが、周囲には誰もいない。小屋の前に給水施設があって、「これを飲むと10年寿命が延びる?」と書かれた水が流れていた。ペットボトルに水を満たして早々に出発。小屋の上は最後の急登が待っていた。
田部重治先生のレリーフがあった。あちこちにレリーフが多い、この先にも回り込んだ道の奥に、雲取山の開拓者「鎌仙人」なる人のレリーフもありました。シラビソの急斜面をあえいで、樹林がぱっと切れ雲取山山頂に到着した。時間は10時45分だから、ほぼ5時間掛かったことになる、まあ特別急いだ訳ではないし…こんなもんでしょうか。頂上には2人先客がいたが、この二人は入れ替わりに降りていった。
雲取山山頂は、さすがに多くの登山者が来ると見えてかなりの面積が裸地になっていた。今日のこの日差しでは少し埃っぽかった。りっぱな山名板や台形の変わった三角点標石やその由来を説明するプレート、植生や何かを解説するプレート、展望板など、いかにもメジャーな山といった観光地的なあれこれのものがたくさんあった。直ぐ下に避難小屋の屋根が見えている。しかし、ここからの展望はなかなか雄大だった。北面は奥秩父南部の主稜線がうねうねと遠くの甲武信三山に向かって伸びている(田部重治が黒い竜がうねるがごとくと評したそうだ)、目の前の飛竜山(大洞山)が大きく立派だ。遠くの富士山は残念ながら頂上を雲に隠していたが、手前に大菩薩連嶺が黒々と並び、南を見ると雲堤の下に東京方面の市街地がかすかに見える。東京の方は曇っているのかな?市街地とこの山の間に見慣れない山々が見える、奥多摩の山は馴染みが無いから全く分からなかった。東側は樹林に遮られて眺めが無かった。ガイドブックに寄ればほぼ360度とあるが…
とにかく、一休み。後からさっき小屋のところで抜いてきた人が登ってきたが、この人は日原から登ってきたそうだ。休んでいるとぽつぽつ人がやってくる、やはりメジャーな山だから平日でも沢山人がやってくるのかなあ。帰りには団体やら、お坊さんやら、夫婦らしいペアやら、その他大勢、全部で30人以上いたろうか?
展望板に寄りかかって白アンパンとベビースターラーメンを食べた。チョコレートもかじった。それにしても良く食べるなあ、自分でも呆れるほど。あまり馴染みの無い山は、こうして眺めていても何も浮かんでこない。ぽつりぽつりと人がやってくる、平日だからよっぽどの山好きでなくてはやってこない、そうすると必然的に単独行が多くなり、ゆえに寡黙な人たちばかりであまり話はしなかった。一人で山に浸りに来ている時は、他の人はみな邪魔者だから?
雲取山の山頂はあまりゆっくりとするような雰囲気は無い、もう少しこじんまりして何もない頂上の方が居る事の楽しさを味わえる様に思うのだった。それもこれもこの山が百名山のメジャー山岳だからということだろう。
帯頂30分程で山頂を辞した。帰りも当然長いから、どっちにしても余りのんびりとはしていられないのだけど。急な樹林を一気に下り、鎌仙人のレリーフもついでに見て、雲取山荘でまた水を満たして先に進んだ。
雲取山荘からは遊歩道感覚の道を行き、雲取ヒュッテの残骸を見下ろすテント場に着いたら、あまりに静かで気持ちがいいから、ここで休んでカップそばを食べることにした。やっぱり山登りでは一回はこういうブレイクが必要だ。条件としては誰もいない静かな空間が不可欠だけど…わずかに残っている草地で店を広げ、崩れそうな雲取ヒュッテのトタン屋根の上に頭を出している、これから登り返す白岩山を眺めながら一人山にいる気分を楽しんだ。ツツドリののんきそうな鳴声が山にこだましていた。ガスコンロのゴーゴーという音が、却って静かな山の気を感じさせるのだった。そばを食べ終わると(喰いまくっていて出していないので、お腹が苦しい)重くなった身体に活を入れ、再び復路のトレースを開始する。
大ダワまで、帰りは巻き道を進む。巻き道は特に面白くもなく、白岩山の取り付きからトラヴァース道を行くと、この辺りから登ってくる沢山の人たちとすれ違うようになる。やっぱりメジャーな山だ、平日でも団体まで来るんだな、おまけに若い3人のお坊さんまで登ってきた。白装束で山伏みたい?三峰山だからあたりまえだけど、奥山駆けをまだやっているんでしょうか。「ごくろうさまです」なんて声を懸けられたので、少し変な気分だった。ますます日差しが強くなって、湿度こそ少ないけれどとても暑くなってきた、登り返しが多いのでその度に汗だくになってしまった。
白岩の悪場から登りになり、もう少しで山頂という辺りでネットでも見ていた雌鹿さんが姿を現した。直ぐ側まで近づいても平気な顔(表情は分からない)で、害も益もない人間には興味がないようだった。もちろん、奥秩父で何度も鹿に会っているが、いつも雄鹿のせいか彼らは警戒音を発して凄い勢いで逃げていってしまう。ここは鳥獣保護区で、ましてや彼女たちは猟期にも狙われないから人間に恐怖を感じないのか?おかげで至近距離(2㍍)で写真が撮れた。うまい写真ではなかったけれど、こんなに近くで写真を撮ったのは本当に初めて、「えっこの鹿本当に野生?」と思ったのだった(奈良公園の鹿みたいと書いていた人もいた)。彼女は無関心でダケカンバの樹皮をぱりっとちぎって食べていました(だから木が枯れるんですけど、鹿さん…)。奥秩父は鹿害がひどい、雁坂嶺あたりの状況は眼を覆いたくなるような有様だけど、この辺りはぐるっと樹皮を食べられて枯れているような樹はあまり見られなかった。冬場でも雪が少ないせいだろうか?
白岩山頂も中高年夫妻が陣取っていたのでパスした。前白岩への登り返しもひーひーいいながら、オオバカメノキの白い花やミヤマカタバミの可憐な花、そしてハルリンドウ(タテヤマリンドウ)まで咲いていました。ツツジ類は霧藻ガ峰辺りで蕾のムラサキヤシオ以外は、ほとんど目に付かなかった。ここのところ山に登ればアカヤシオが満開でお出迎えしてくれていたので、少し寂しい感じだった。ウグイスやコマドリ・メボソムシクイ・ツツドリらの鳴き声やアオゲラのタラララ…という樹を叩く音等が山々にこだましていた。まさに初夏、賑やかな新緑の山々だった。
霧藻ガ峰を登り返すと、距離的にはまだ5㌔近くあるが行程的にはあとわずか、アップダウンもほぼ終わりになった。相変わらず強い日差しで真っ青な空だが、景色は湿度が低いせいか遠くの山までよく見えた。最後の杉や檜の緩い下り道になると、まだ体力に余力があるし、折角だからと分岐から妙法ヶ岳まで足を伸ばすことにした。分岐からしばらくまた登り、尾根沿いに進んで薄暗い檜林のトラヴァースの先で神社からの道に合流した。鳥居をくぐり行く手に見えているぽこっと盛り上がった岩山状の妙法ヶ岳まではわずかだった。足場のやや悪いところもあったが特に問題なく、わざわざそこだけ残したといった雰囲気の頂上直下の鎖場はご愛敬で、狛犬ならぬオオカミが金色に眼を光らせた奥宮に着いた。山頂と言っても、奥宮があるだけで、最近建て直したのか変にキレイな奥宮はやや安っぽかった。おじさんが一人いたし、下りではお坊さんに連れられた団体が登ってきた。
妙法ヶ岳を下ると後は走るように駐車場に戻った。駐車場に4時少し過ぎに到着。観光客もわずかにいた。
帰りは大滝の湯に寄る。今回は体力的には、やはり「雁坂・破風ピストン」や「餓鬼岳ピストン」より楽だった。でも、白岩の往復登り返しは思った以上にきつかったのも事実でした。とはいえ一応念願の雲取ピストンを果たしたので満足、メジャーな山だけに山登りそのものの、わくわくするような楽しさはやや少ないかも。
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