平成16年8月8日(月)~10日(水)
8日(日)
前夜8時過ぎに出発し、午前2時近くに戸台口・仙流荘バス停の駐車場に着いた。夜間とはいえ、一般道を200㌔以上も走ってきたので、さすがに走りがいがある。長野県長谷村と言うところだ。
高遠町の少し先で美和湖というダム湖の先を左折して間もなく、長谷村営バスの発着所のある仙流荘は長谷村の保養施設だ。この先に駐車場があり、かなりの車が停まっている。しかし、思ったほどではない。駐車場は2段になっているが、下の河原の広い方には余り車が停まっていなかった。バス停から遠くない仮眠所プレハブ建物の並びに隙間を見つけて駐車する。今日は日曜日だから、もう既に入山していて空っぽの車も多いだろう。バスの始発は6時30分だが、乗客が多い場合は少し早く増発をするらしいので、一応携帯のアラームを5時半に合わせて仮眠する。
気がつくと外が明るくなっている、もう周囲では仕度をする人たちのざわめきがしているが、まだ5時にもなっていない。5時過ぎに子どもを起こした。朝食のパンを食べるが、子供たちはまだいいという、少し後で長男だけ食べた。のろのろと仕度を始める、今回天気だけが心配の種だった。何しろ今回のアルプス登山はテント泊だ。
ここのところ不安定な天気で晴れることもあまり無く、曇りがちで雷が一番の心配だった。麦草峠で星空が見えたが、果たして晴れてくれるかどうかは何とも言えない。昨日は特に天候が不安定で昼過ぎて直ぐに雷が何回もきたのだから、出発の際も気分は乗らない…わざわざ出かけてロクでもない天気になったのではがっかりだから。
ところがこうして目覚めてみると、雲一つ見あたらない素晴らしいお天気だ。ラッキー!これから向かう山間の彼方に甲斐駒前衛の鋸岳や駒津峰などがくっきりとスカイラインを作っていた。
結局6時前にバス停に並んだが、6時10分過ぎに3台の臨時バスが出ることになった。乗客はやはりそれ程多くない、全部で100人もいないようだ。意外に空いている感じだ、日曜とはいえお盆休みに入っている所はまだ少ないらしい、このところの天候不安定も人が少ない原因かも…。
難なく2台目のバスに乗り込む。ところが、昔は大きな荷物を担いだ登山者が一杯だった南アルプスの登山者を乗せたバスは、当然のことながら荷物は別に後部座席に山積みしたものだ…しかし、スーパー林道が繋いでいる今の甲斐駒や仙丈はハイキングの山になっていたのだ。今日は自分の身体と同じくらいの大荷物なのに、これを自分の座席に一緒に乗せるしかないようだ。大きな荷物に対する特別の配慮は最初から無かった。おかげ様で首と肩をおかしくした。(この方面久しぶりだもんで…事情がこれ程変わっていたとは)
バスに乗っている大方はもちろん中高年、というより年輩者が多い。でもさすがにアルプスと名が付くところなので若者も少しはいるし、子ども連れも幾組か見かけた。
首も回せないような状態でバスは快晴の林道を進む、こんなだから景色を見ることもままならない。しばらく川沿いに進んだが、一般車進入禁止の看板からはジグザグの登りになり、ぐんぐん高度を稼いで、目もくらむような渓谷の上部をトラヴァースする道になる。でも道は完全舗装で快適な乗り心地だ(前の座席との間に胸を圧迫するほどのザックさえなければ…)どこかのバス会社を定年で辞めた再就職と思われる超ベテランの運転手がこの長谷村営バスを運転している。ネットで読んでいたが、運転手は景色をいちいち説明してくれる、ガイド付きのバスというわけだ。途中の峠からは中央アルプスが見えた、こんなによく見えるのはとても珍しいといっていた。ラッキーだな。
目もくらむ道を結構スピードを上げてぐんぐん進む。滝が見えたり、このルートには一カ所しかないシャクナゲの群落の説明を聞いて、対岸に聳える鋸岳に目を奪われた。つい先日この稜線で一人遭難死したそうだ。登ってみたい山だ。
向かう彼方に始め仙丈が見えていたが直ぐに姿を前山に隠した、峠でもう一度姿を現したが後は見えなかった。甲斐駒は駒津峰や双児山がじゃまをしてよく見えない。50分程で北沢峠に着いた。ここは鬱蒼としたシラビソの深い樹林の中で、峠には北沢小屋と南アルプス市営バス(広河原行き)の待合所があった。ここで乗り換えて白峰三山方面に向かう人もいるようだ。
バスを降りた人たちはあちらこちらに散らばっていった。仙丈に向かう人、甲斐駒に向かう人、小屋に入る人など。次男は一人で一人掛け座席に座っていたが、気持ち悪くなって吐きそうになったといった。バスを降りてから吐きそうだったが、出る物がないので収まったそうだ。朝ご飯を食べなくて良かった。
北沢峠から北沢長衛小屋に向かう。見事なシラビソの原生林の中、林道を山梨方向に下る。山梨側は未舗装だが、路面はフラットで歩きやすい、昨日は早い時間から雷雨になったようで、大きな水たまりがあちこちにあった。笹の下生えの分岐を左に下ると、直ぐに色とりどりのテントが張ってある北沢長衛小屋のテン場を下に見て小屋に着いた。
今日は甲斐駒まで行くつもりだ。もちろん、子供たちの体調次第で、無理はしないが、最悪でも駒津峰ぐらいまでは行けるか?直ぐに荷物を下ろし、テントを張る場所を決めて小屋に幕営の申し込みをする(3000円だった!)。テントを張って甲斐駒往復の軽装備に替えて出発。ここのテン場は給水施設やきれいなトイレもあって、子供たちも満足なようだ。南アルプスのテント場もここまでアメニティーに配慮されるようになったのだな。ここに着いたのが7時半ごろ、テントを張り終えて出発したのが8時少し過ぎだから、かなり速攻だった。
子供たちは天気も上々だし、リタイヤ寸前の次男も体調は戻って「登る気マンマン」だ。小屋から沢沿いを上流に進む。堰堤や丸太橋を渡り、程なく深いシラビソの森の中の仙水小屋に着く。仙水小屋は静かだった、小屋に入れない様にロープなんか張ってある、いたずらされるからかもしれないが、金を払わない人間は用のない奴という雰囲気がみえみえでちょっと感じが悪い。中高年登山ブームからか、山でも金さえ出せばいいんです、といった風潮が近頃当たり前の様になっている。 「仙水小屋は本日予約のある方しか泊まれません」と、ここまでの道の途中いくつも看板がぶら下がっていた。大体予約が無ければ泊まれない山小屋なんて昔じゃ考えられなかった。ホテルや旅館じゃあるまいし、宿泊拒否された人が遭難したらどうするのだろう?
仙水小屋の前の給水施設で冷たい水を補給、手が切れるほどの冷たさだ。尚も、樹林の中を登るようになると、間もなく視界が開けた。岩がゴロゴロした恐ろしく広いゴーロ状の源頭部だ。長男は天狗の投げ石だとか言っている、ここのものは大きめなので投げ石という感じはしない。次男は歩きにくいとか言いながら、けっこう頑張っている。振り返ると仙丈ガ岳が大きく見えるようになった。今のところまだ晴れているが、おそらく昼前には雲に覆われるだろう、それまでになるべく高いところまで頑張りたい。少しの登りで仙水峠に着いた。
ここまできたら初めて甲斐駒が姿を現した。正確に言えば甲斐駒の頂上部はここからは見えない、摩利支天が首が痛くなるほど高くのしかかるようだ。白い花崗岩は雪のようにも見える。中年のカメラ(写真)マニア?のオジサングループが追いついた。次男は朝食をほとんど食べない、食べたくないと言う、でもおかしはいくらか食べていた。ほんの少しかじったパンをザックにしまい込んだ。(このパンは食べることを忘れて、家に帰ってからママがザックの一番下につぶれているのを見つけたらしい)
ここからがいよいよ本当の登りだ。仙水峠から駒津峰までは標高差500㍍、甲斐駒の登りの核心部は、実はこの駒津峰の登りだ。急な上に暑くて汗だくになる、当然次男はヘコヘコになっている。向かいの栗沢の頭やアサヨ峰がまだまだ高く見えているうちは登り着かない。
雲が大分湧いてくるが、すぐに雷の心配はなさそうだ。次男は高度障害など、高山病の不安があるようだ。高い山に登ると気圧のせいか調子が悪くなる、でも今回は秘密兵器があるから少し安心というより頼みの綱にしている、携帯酸素を買って持ってきたからだ。この登りで苦しくなって早速使った。使ったら楽になったといった?気のものかもしれないが、これのおかげで今回は不安が無いようだった。しかし、駒津峰の登りは手強かった。暑くていつまでも続く急峻な登りにうんざりするころ、森林限界を完全に出て、ようやく駒津峰の頂上に着いた。
駒津峰の頂上にはもう甲斐駒から下ってきた人、双児山の直登ルートを登ってきてこれから頂上に向かう人などでにぎわっていた。甲斐駒はここから見上げると白いピラミッドだ、しかし残念ながらガスってきてその山体を隠し始めていた。この時間だと降りてくる人の方が多いようだ、時間は既に11時を回っていて早朝に下を出た人たちは、もう下る時間になっている。
しばしの休憩の後、駒津峰を後に甲斐駒に向かう。子供たちは二人とも、「ここまででいいよ」とは言わなかった、当然登るものだという様子で甲斐駒に登る気マンマンだ。ここから六方石までは上り下りの尾根歩き、足場の悪いところもあって、下ってくる団体とすれ違うのでよけたり、巻いたり時間が余計に掛かる。六方石には高校生のグループがへこたれていた、次男の方がよっぽどしっかりしてる。
鋸岳側がすっぱり切れ落ちているヤセ尾根を終えると、六方石に着く。ここを直登するルートは岩場の登りだが、巻き道の方が人が多そうなので直登のルートを採ることにする。子供たちも岩場のあるコースの方が変化があって楽しいという、岩場は西上州で経験を積んでいるからね。花崗岩は滑らないから登りやすい、岩を乗り越えていくのは初めの方だけで、直ぐにざくざくした砂礫のジグザグ登りになった。頂上部はガスがまとわりついて隠れたり見えたり、残念ながら登り着いても展望は無さそうだ。
摩利支天が下に見えるまで登ると、そこが頂上だった。次男は少し遅れたが、でもへとへとではなかった。やはり酸素を何度か吸ったということだ。そうすると楽になるんだと。頂上は祠や山頂名板や石仏などが沢山あった、宗教登山が盛んだった名残だ。
もう、1時を過ぎているので登ってくる人も少なかったし、頂上には何人かの人が休んでいたが、降りていく人の方が多かったから、意外に静かだった。残念ながら周囲は真っ白い雲の幕に包まれている感じで展望は無かった。しかし、その雲の外は晴れているから明るくて、少し暑かった。ここには20数年前に登ったのだが、まったく山頂の記憶がない、明日登る予定の仙丈ヶ岳も頂上の記憶が無かった。あの頃、クラブで登った山はみなほとんどはっきりした山の印象が無いのだった。
おかしや残りのおむすび等を食べて、頂上でゆっくりした。子どもは花崗岩の岩頭に登っていた。帰りに摩利支天に寄っていこうと思ったが、ルートが不明で引き返したが、もっと巻き道の下からルートがあったようだ。
大分遅くなってしまったので、急ぎ気味に下った。駒津峰で小休止し、仙水峠への転がり落ちるような下りを半分くらい降りたところで、仙丈ヶ岳方面から黒い雲が流れてきて雷の音が始まった。間もなく雨が降り出した。しかしカッパを着ると小降りになり、やがて止んでしまった。雷の音は忘れたくらい間が空いて時々するが、まだ近くはないようだ。山梨県側の平地には陽が当っているのが見える、山の上だけ雷雲ができている。登りを頑張った分下りではひざがわらいだした。次男はひざがわらって力が入らないから早く降りられないといい、少し遅れ気味だ。
どうにか仙水峠まで下った。後続の人たちが降りてくる、まだ後続がいたのか。仙水峠で休んでいるときも、仙丈の方の黒い雲は甲斐駒に繋がる尾根沿いに這い伝わってきていて、時折遠くで雷鳴がするが、雨は一応止んだ。栗沢の頭やアサヨ峰方面は雲が取れて姿を現していた。
子供たちは仙水小屋の冷たい水で「冷やしレモンネード」を作って飲むんだと、それだけを楽しみにしている。帰りは双児山を経由する直登尾根を下ろうといっていたが、仙水小屋の冷たい水が飲みたいが為に、双児山を登らない方を選んだのだ。
仙水峠を下りだしたら、また雷鳴がした。次男は落ちたらどうしよう、長男はもう近くに来てるんじゃない?、と心配そうだ。先月末、あちこちの山で落雷事故があったのを聞いていたので余計に心配しているのだ。昔、パパが山で雷に遭って死ぬかと思った話しをしていたから尚更だろう。もちろん、山の雷を嘗めてはいけない、樹林帯に入れば少しは安心?だから、早く樹林帯までと思いながら岩ゴロの道を下っていくのだが、次男は疲労で遅れ気味、「まってー」という哀しい声が後ろからするのだった。待っていますよ。
どうにか、仙水小屋にたどり着いて、念願のレモネードを飲んだ。冷たくて最高だ。仙水小屋は夕飯の時間になっていて、外のテーブルに食事が並べられ、宿泊客がテーブルにつこうという所だった。ああ、もうこんな時間だ。それにしても時間が遅くなってしまって、腹ぺこになった。仙水小屋から沢沿いの道を下り始めたら、雨がまた降り出した、今度は本降りだ。再びカッパを着て、滑り易くなった道を北沢長衛小屋のテン場まで急ぐ。次男はかなり悲壮感の漂う顔つきで遅れ気味に付いて来る。雷鳴はしなくなり、雷の心配は取りあえず大丈夫のようだ。子供たちも雨は仕方ないとしても、雷にはかなりナーバスになっているようだった。
へとへとになってテントに戻ってきた。ほとんどの人たちは夕飯の仕度か片付けをしている、まだ雨は降り続いているが、お腹が空いたので、濡れたカッパを脱ぎ捨てると、テントに入ってすぐ夕食の仕度をした。テントは大人2人用だから当然狭いが、
子供たちは狭い中でかえって楽しそうだ。第1日目の夕飯は簡単に出来るものとしていたから、レトルトのカレーと御飯を温めて終りだ。後は焼き鳥の缶詰を開けた。テント帰着後30分ぐらいで食べることができた。こんな食事でも、その上テントの中でコンロを使ったから暑いのなんのだったが、こんなうまいカレーは食べたことがない、旨い旨いと大騒ぎだった。(何を食べても美味しかったろうな)
食事を終り、後かたづけも終り、テントの中で明日の用意をすると、もう何もすることもない。次男はトランプとか言っていたが、結局しないで歯磨きをして眠った。
雨は止んだので、また明日は晴れると思う。明日は4時起床で、4時半には出発することにする。子供たちは直ぐに眠ってしまった。よほど疲れたのだろう。
ナカナカ寝付けなかった、いつもとはまったく違う時間帯に眠るのだから当たり前だけど、結構遅くまで若者のテントは賑やかだったし、それよりも狭いテントで体を動かせずにいたことも原因だったようだ。
9日(月)
4時前に周囲の話し声で目が覚めた。夜中に何度も目が覚めたが、でも、結構時間にしたら寝た方だろう。子どもを起こして用意をさせる。テントの外に顔を出したら素晴らしい快晴、雲一つ無い高みに小仙丈がくっきり見えていた。昨日登った甲斐駒の摩利支天もきれいに見えている。
仕度をすませ、5時には出発。もう既にかなり早い時間に登っていった人たちも居るようだ。スーパー林道に出て、直ぐに「仙丈岳→」の指導標のある道に入る。中高年のグループと後になり先になりして登っていく。まだ子供たちはすっきり目が覚めてないようだが、ペースは順調だ。三合目を過ぎて、きつくなってくる樹林帯をひたすらジグザグに上に向かう。でも、仙丈の方が傾斜がきつくない感じで、昨日の甲斐駒より随分楽だ。一応10時には山頂に到着できると予測した。
樹林の隙間から朝日でシルエットになった甲斐駒や鋸岳が聳えて見えた。特に甲斐駒はピラミッド型で見事だ。栗沢の頭やアサヨ峰、早川尾根の向こうに鳳凰三山もシルエットになっていた、地蔵岳のオベリスクもハッキリ見える。
三合目で朝食にした。次男は相変わらず朝は苦手で、ほとんど食べない。でも調子は悪くないといった。
三合目からもジグザグ登りは続き、五合目の大滝の頭に着いた。ここで今回初めて北岳がくっきりと姿を現した。去年はまったく晴れなくて見えなかったこれらの山々は、今回は素晴らしい展望をほしいままだ。でも、早くも鋸岳や鳳凰三山方面には雲が湧き始めている、昼までにはガスに覆われてしまうだろう。この先も余り変化のない登りが続くが、特にきつくなることもなく森林限界を飛び出した。森林限界まで来ると、上のすぐそこ手が届きそうなところに小仙丈が見えるが、これがなかなか近づかない、去年登った御嶽山みたいだ。
ふーふーいいながら、どうにか小仙丈に着いた。予定の時間より少し早い、この分だと10時前に山頂に立てそうだ。次々と人が登ってくる、頂上からも次々と人が降りてくる、狭い小仙丈の頂上は既に人で一杯だ。ここからは仙丈ヶ岳が大きく姿を現した。白峰三山の北岳・間ノ岳が大きく望まれる、塩見岳から南アルプス南部の山々までずらりと眺め渡せる。しかし、ここから先に登っていくとだんだんガスが多くなり、頂上にたどり着いたらほぼ白峰三山方面や甲斐駒方面の展望は無くなった。思ったより早く、9時半に山頂にたどり着いた。
子供たちによれば、昨日の甲斐駒よりズット楽だということだ。傾斜がきつくないこと、足場が悪くないことで、より簡単に登れたのだろう。次々に山頂に登り着く人たちはいたが、思いのほか人は少なかった。周りの山々はガスに遮られて見えなくなったが、大仙丈と直ぐ下の藪沢カール底にある仙丈小屋くらいはよく見えた。基本的には快晴なので陽射しは暑く、気温も高めで膚がじりじり日焼けしていくのが判るほどだ。昨日、甲斐駒の下りで濡らして、そのまましまい込んだカッパをハイマツの上に広げて乾かした。気持ちの良いのんびりした雰囲気の山頂だった。ラーメンを食べたり、次男は絵を描いたり、少しばかり昼寝をしたりしてゆっくりとできた。登り着いたのが早かったおかげだ。今日は次男も酸素を使うほどではなかったと言った。三千㍍峰なのにね…。
帰りは藪沢を下ることにした。仙丈小屋はきれいな小屋だったが、なんだか只の売店の様だ。ここも、金を使わない人はどうでもいい人、そばに寄るなという雰囲気があって早々に立ち去った。この辺り、今は観光地化したのか?昔の不便だった南アルプスとは随分変ってしまったようだ。この直ぐ下に冷たい水が流れている源頭の水場があった。下調べが充分ではなかったので、乏しい水をけちけち使おうなんて言っていた矢先に冷たくておいしい水が手に入ったのでるんるんだ。
この下はだんだん霧の中という感じになり、馬の背から一くだりで藪沢ヒュッテ(木造の真新しいログハウス風の山小屋で感じがいい)に出てダケカンバの樹林帯から沢を2,3渡り、ますます霧が濃くなったトラヴァース道をだらだら下ると、樹林に囲まれた藪沢小屋はボロ小屋だった。シラビソの大木に周囲の樹木が替わって、五合目大滝の頭まで戻ってきた。戻ってくる人たちもいるが、これから上に向かっていく人たちもいる。ほとんどは中高年で、夫婦連れが多いようだ。ここからまた更に下り始めたが、またもや昨日に続いてここで雨が降り出した。しかし、今日のは雲の塊が降らせたにわか雨で、カッパを着るまでもなかった。3合目あたりから、膝に疲れが出てきて嗤いだし、次男はまた少し遅れ気味だった。どうにか2合目を下り、北沢峠に下り着くと、また陽が差してきて青空が広がっていた。山の上は雲の塊が移動して隠し気味だ。
テントに戻ってきて、スパゲッティをゆでレトルトミートソースをかけて食べた。何を食べても旨い、子供たちは最高だと言った。昨日は甲斐駒、今日は仙丈と運良く2山登頂できた。天気予報は行っている間中、悪いことを言っていたので、どうにか仙丈だけでもと思っていたが、こうして両方登頂できて本当に良かった。子供たちも満足だったようだ。
次男は疲れたのか、テントの中で昼寝をした。周囲のテントも昨日より少なくなって、川原の一番下のテン場には2張りくらいしか見えなかった。おそらく明日くらいからお盆休みの混雑になるのだろうと思う。
夕立もないようで、夕飯の仕度まで二人とも直ぐ側の川で遊んだりしていた。夕飯は釜飯だったが少し量が多くて、残してしまった。みんな腹一杯食べた。摩利支天がくっきり見えていた。その晩もぐっすり眠った。
10日(火)
翌朝、もう帰る日になってしまった。今日は帰るだけなので、ゆっくり起きてのんびりしていた。山に登る人たちはもちろん早朝に出発していったが、このテン場はどちらかというと、今日帰る人たちが多いようで、周りのテントの人たちもゆっくり起き出す方が多い、今日当たりからお盆休みのハイピークになって、入山する人の入れ替えがありそうだ。子供たちはゆっくり帰ろうといって、また側の川で遊んでいた。天気は上々で、全く天気に恵まれて良かった。
テントを撤収し、10時のバスに乗るために北沢峠のバス停に向かう。バスを待つ人たちが結構いた。定刻より若干早く2台のバスがでた。広河原から乗り継ぎの人もいるので多いわけだ。白峰三山というより北岳からの人たちのようだが、最近は三山縦走は少なくて、北岳のみの方が主流らしい。
バスは目がくらむような渓谷の縁を縦貫している。帰りのバスの運転手はサービスの良かった行きの運転手と違って何も話をしなかった。無事、仙流荘まで戻ってきて、そこの風呂に入ってから帰った。長谷村から茅野に出るまで30㌔ほどコンビニもスーパーもなかった。腹ぺこになって、ようやく茅野でほか弁を食べた。下界はすごい暑さだった。麦草峠を越えて帰路に就いた。
8日(日)
前夜8時過ぎに出発し、午前2時近くに戸台口・仙流荘バス停の駐車場に着いた。夜間とはいえ、一般道を200㌔以上も走ってきたので、さすがに走りがいがある。長野県長谷村と言うところだ。
高遠町の少し先で美和湖というダム湖の先を左折して間もなく、長谷村営バスの発着所のある仙流荘は長谷村の保養施設だ。この先に駐車場があり、かなりの車が停まっている。しかし、思ったほどではない。駐車場は2段になっているが、下の河原の広い方には余り車が停まっていなかった。バス停から遠くない仮眠所プレハブ建物の並びに隙間を見つけて駐車する。今日は日曜日だから、もう既に入山していて空っぽの車も多いだろう。バスの始発は6時30分だが、乗客が多い場合は少し早く増発をするらしいので、一応携帯のアラームを5時半に合わせて仮眠する。
気がつくと外が明るくなっている、もう周囲では仕度をする人たちのざわめきがしているが、まだ5時にもなっていない。5時過ぎに子どもを起こした。朝食のパンを食べるが、子供たちはまだいいという、少し後で長男だけ食べた。のろのろと仕度を始める、今回天気だけが心配の種だった。何しろ今回のアルプス登山はテント泊だ。
ここのところ不安定な天気で晴れることもあまり無く、曇りがちで雷が一番の心配だった。麦草峠で星空が見えたが、果たして晴れてくれるかどうかは何とも言えない。昨日は特に天候が不安定で昼過ぎて直ぐに雷が何回もきたのだから、出発の際も気分は乗らない…わざわざ出かけてロクでもない天気になったのではがっかりだから。
ところがこうして目覚めてみると、雲一つ見あたらない素晴らしいお天気だ。ラッキー!これから向かう山間の彼方に甲斐駒前衛の鋸岳や駒津峰などがくっきりとスカイラインを作っていた。
結局6時前にバス停に並んだが、6時10分過ぎに3台の臨時バスが出ることになった。乗客はやはりそれ程多くない、全部で100人もいないようだ。意外に空いている感じだ、日曜とはいえお盆休みに入っている所はまだ少ないらしい、このところの天候不安定も人が少ない原因かも…。
難なく2台目のバスに乗り込む。ところが、昔は大きな荷物を担いだ登山者が一杯だった南アルプスの登山者を乗せたバスは、当然のことながら荷物は別に後部座席に山積みしたものだ…しかし、スーパー林道が繋いでいる今の甲斐駒や仙丈はハイキングの山になっていたのだ。今日は自分の身体と同じくらいの大荷物なのに、これを自分の座席に一緒に乗せるしかないようだ。大きな荷物に対する特別の配慮は最初から無かった。おかげ様で首と肩をおかしくした。(この方面久しぶりだもんで…事情がこれ程変わっていたとは)
バスに乗っている大方はもちろん中高年、というより年輩者が多い。でもさすがにアルプスと名が付くところなので若者も少しはいるし、子ども連れも幾組か見かけた。
首も回せないような状態でバスは快晴の林道を進む、こんなだから景色を見ることもままならない。しばらく川沿いに進んだが、一般車進入禁止の看板からはジグザグの登りになり、ぐんぐん高度を稼いで、目もくらむような渓谷の上部をトラヴァースする道になる。でも道は完全舗装で快適な乗り心地だ(前の座席との間に胸を圧迫するほどのザックさえなければ…)どこかのバス会社を定年で辞めた再就職と思われる超ベテランの運転手がこの長谷村営バスを運転している。ネットで読んでいたが、運転手は景色をいちいち説明してくれる、ガイド付きのバスというわけだ。途中の峠からは中央アルプスが見えた、こんなによく見えるのはとても珍しいといっていた。ラッキーだな。
目もくらむ道を結構スピードを上げてぐんぐん進む。滝が見えたり、このルートには一カ所しかないシャクナゲの群落の説明を聞いて、対岸に聳える鋸岳に目を奪われた。つい先日この稜線で一人遭難死したそうだ。登ってみたい山だ。
向かう彼方に始め仙丈が見えていたが直ぐに姿を前山に隠した、峠でもう一度姿を現したが後は見えなかった。甲斐駒は駒津峰や双児山がじゃまをしてよく見えない。50分程で北沢峠に着いた。ここは鬱蒼としたシラビソの深い樹林の中で、峠には北沢小屋と南アルプス市営バス(広河原行き)の待合所があった。ここで乗り換えて白峰三山方面に向かう人もいるようだ。
バスを降りた人たちはあちらこちらに散らばっていった。仙丈に向かう人、甲斐駒に向かう人、小屋に入る人など。次男は一人で一人掛け座席に座っていたが、気持ち悪くなって吐きそうになったといった。バスを降りてから吐きそうだったが、出る物がないので収まったそうだ。朝ご飯を食べなくて良かった。
北沢峠から北沢長衛小屋に向かう。見事なシラビソの原生林の中、林道を山梨方向に下る。山梨側は未舗装だが、路面はフラットで歩きやすい、昨日は早い時間から雷雨になったようで、大きな水たまりがあちこちにあった。笹の下生えの分岐を左に下ると、直ぐに色とりどりのテントが張ってある北沢長衛小屋のテン場を下に見て小屋に着いた。
今日は甲斐駒まで行くつもりだ。もちろん、子供たちの体調次第で、無理はしないが、最悪でも駒津峰ぐらいまでは行けるか?直ぐに荷物を下ろし、テントを張る場所を決めて小屋に幕営の申し込みをする(3000円だった!)。テントを張って甲斐駒往復の軽装備に替えて出発。ここのテン場は給水施設やきれいなトイレもあって、子供たちも満足なようだ。南アルプスのテント場もここまでアメニティーに配慮されるようになったのだな。ここに着いたのが7時半ごろ、テントを張り終えて出発したのが8時少し過ぎだから、かなり速攻だった。
子供たちは天気も上々だし、リタイヤ寸前の次男も体調は戻って「登る気マンマン」だ。小屋から沢沿いを上流に進む。堰堤や丸太橋を渡り、程なく深いシラビソの森の中の仙水小屋に着く。仙水小屋は静かだった、小屋に入れない様にロープなんか張ってある、いたずらされるからかもしれないが、金を払わない人間は用のない奴という雰囲気がみえみえでちょっと感じが悪い。中高年登山ブームからか、山でも金さえ出せばいいんです、といった風潮が近頃当たり前の様になっている。 「仙水小屋は本日予約のある方しか泊まれません」と、ここまでの道の途中いくつも看板がぶら下がっていた。大体予約が無ければ泊まれない山小屋なんて昔じゃ考えられなかった。ホテルや旅館じゃあるまいし、宿泊拒否された人が遭難したらどうするのだろう?
仙水小屋の前の給水施設で冷たい水を補給、手が切れるほどの冷たさだ。尚も、樹林の中を登るようになると、間もなく視界が開けた。岩がゴロゴロした恐ろしく広いゴーロ状の源頭部だ。長男は天狗の投げ石だとか言っている、ここのものは大きめなので投げ石という感じはしない。次男は歩きにくいとか言いながら、けっこう頑張っている。振り返ると仙丈ガ岳が大きく見えるようになった。今のところまだ晴れているが、おそらく昼前には雲に覆われるだろう、それまでになるべく高いところまで頑張りたい。少しの登りで仙水峠に着いた。
ここまできたら初めて甲斐駒が姿を現した。正確に言えば甲斐駒の頂上部はここからは見えない、摩利支天が首が痛くなるほど高くのしかかるようだ。白い花崗岩は雪のようにも見える。中年のカメラ(写真)マニア?のオジサングループが追いついた。次男は朝食をほとんど食べない、食べたくないと言う、でもおかしはいくらか食べていた。ほんの少しかじったパンをザックにしまい込んだ。(このパンは食べることを忘れて、家に帰ってからママがザックの一番下につぶれているのを見つけたらしい)
ここからがいよいよ本当の登りだ。仙水峠から駒津峰までは標高差500㍍、甲斐駒の登りの核心部は、実はこの駒津峰の登りだ。急な上に暑くて汗だくになる、当然次男はヘコヘコになっている。向かいの栗沢の頭やアサヨ峰がまだまだ高く見えているうちは登り着かない。
雲が大分湧いてくるが、すぐに雷の心配はなさそうだ。次男は高度障害など、高山病の不安があるようだ。高い山に登ると気圧のせいか調子が悪くなる、でも今回は秘密兵器があるから少し安心というより頼みの綱にしている、携帯酸素を買って持ってきたからだ。この登りで苦しくなって早速使った。使ったら楽になったといった?気のものかもしれないが、これのおかげで今回は不安が無いようだった。しかし、駒津峰の登りは手強かった。暑くていつまでも続く急峻な登りにうんざりするころ、森林限界を完全に出て、ようやく駒津峰の頂上に着いた。
駒津峰の頂上にはもう甲斐駒から下ってきた人、双児山の直登ルートを登ってきてこれから頂上に向かう人などでにぎわっていた。甲斐駒はここから見上げると白いピラミッドだ、しかし残念ながらガスってきてその山体を隠し始めていた。この時間だと降りてくる人の方が多いようだ、時間は既に11時を回っていて早朝に下を出た人たちは、もう下る時間になっている。
しばしの休憩の後、駒津峰を後に甲斐駒に向かう。子供たちは二人とも、「ここまででいいよ」とは言わなかった、当然登るものだという様子で甲斐駒に登る気マンマンだ。ここから六方石までは上り下りの尾根歩き、足場の悪いところもあって、下ってくる団体とすれ違うのでよけたり、巻いたり時間が余計に掛かる。六方石には高校生のグループがへこたれていた、次男の方がよっぽどしっかりしてる。
鋸岳側がすっぱり切れ落ちているヤセ尾根を終えると、六方石に着く。ここを直登するルートは岩場の登りだが、巻き道の方が人が多そうなので直登のルートを採ることにする。子供たちも岩場のあるコースの方が変化があって楽しいという、岩場は西上州で経験を積んでいるからね。花崗岩は滑らないから登りやすい、岩を乗り越えていくのは初めの方だけで、直ぐにざくざくした砂礫のジグザグ登りになった。頂上部はガスがまとわりついて隠れたり見えたり、残念ながら登り着いても展望は無さそうだ。
摩利支天が下に見えるまで登ると、そこが頂上だった。次男は少し遅れたが、でもへとへとではなかった。やはり酸素を何度か吸ったということだ。そうすると楽になるんだと。頂上は祠や山頂名板や石仏などが沢山あった、宗教登山が盛んだった名残だ。
もう、1時を過ぎているので登ってくる人も少なかったし、頂上には何人かの人が休んでいたが、降りていく人の方が多かったから、意外に静かだった。残念ながら周囲は真っ白い雲の幕に包まれている感じで展望は無かった。しかし、その雲の外は晴れているから明るくて、少し暑かった。ここには20数年前に登ったのだが、まったく山頂の記憶がない、明日登る予定の仙丈ヶ岳も頂上の記憶が無かった。あの頃、クラブで登った山はみなほとんどはっきりした山の印象が無いのだった。
おかしや残りのおむすび等を食べて、頂上でゆっくりした。子どもは花崗岩の岩頭に登っていた。帰りに摩利支天に寄っていこうと思ったが、ルートが不明で引き返したが、もっと巻き道の下からルートがあったようだ。
大分遅くなってしまったので、急ぎ気味に下った。駒津峰で小休止し、仙水峠への転がり落ちるような下りを半分くらい降りたところで、仙丈ヶ岳方面から黒い雲が流れてきて雷の音が始まった。間もなく雨が降り出した。しかしカッパを着ると小降りになり、やがて止んでしまった。雷の音は忘れたくらい間が空いて時々するが、まだ近くはないようだ。山梨県側の平地には陽が当っているのが見える、山の上だけ雷雲ができている。登りを頑張った分下りではひざがわらいだした。次男はひざがわらって力が入らないから早く降りられないといい、少し遅れ気味だ。
どうにか仙水峠まで下った。後続の人たちが降りてくる、まだ後続がいたのか。仙水峠で休んでいるときも、仙丈の方の黒い雲は甲斐駒に繋がる尾根沿いに這い伝わってきていて、時折遠くで雷鳴がするが、雨は一応止んだ。栗沢の頭やアサヨ峰方面は雲が取れて姿を現していた。
子供たちは仙水小屋の冷たい水で「冷やしレモンネード」を作って飲むんだと、それだけを楽しみにしている。帰りは双児山を経由する直登尾根を下ろうといっていたが、仙水小屋の冷たい水が飲みたいが為に、双児山を登らない方を選んだのだ。
仙水峠を下りだしたら、また雷鳴がした。次男は落ちたらどうしよう、長男はもう近くに来てるんじゃない?、と心配そうだ。先月末、あちこちの山で落雷事故があったのを聞いていたので余計に心配しているのだ。昔、パパが山で雷に遭って死ぬかと思った話しをしていたから尚更だろう。もちろん、山の雷を嘗めてはいけない、樹林帯に入れば少しは安心?だから、早く樹林帯までと思いながら岩ゴロの道を下っていくのだが、次男は疲労で遅れ気味、「まってー」という哀しい声が後ろからするのだった。待っていますよ。
どうにか、仙水小屋にたどり着いて、念願のレモネードを飲んだ。冷たくて最高だ。仙水小屋は夕飯の時間になっていて、外のテーブルに食事が並べられ、宿泊客がテーブルにつこうという所だった。ああ、もうこんな時間だ。それにしても時間が遅くなってしまって、腹ぺこになった。仙水小屋から沢沿いの道を下り始めたら、雨がまた降り出した、今度は本降りだ。再びカッパを着て、滑り易くなった道を北沢長衛小屋のテン場まで急ぐ。次男はかなり悲壮感の漂う顔つきで遅れ気味に付いて来る。雷鳴はしなくなり、雷の心配は取りあえず大丈夫のようだ。子供たちも雨は仕方ないとしても、雷にはかなりナーバスになっているようだった。
へとへとになってテントに戻ってきた。ほとんどの人たちは夕飯の仕度か片付けをしている、まだ雨は降り続いているが、お腹が空いたので、濡れたカッパを脱ぎ捨てると、テントに入ってすぐ夕食の仕度をした。テントは大人2人用だから当然狭いが、
子供たちは狭い中でかえって楽しそうだ。第1日目の夕飯は簡単に出来るものとしていたから、レトルトのカレーと御飯を温めて終りだ。後は焼き鳥の缶詰を開けた。テント帰着後30分ぐらいで食べることができた。こんな食事でも、その上テントの中でコンロを使ったから暑いのなんのだったが、こんなうまいカレーは食べたことがない、旨い旨いと大騒ぎだった。(何を食べても美味しかったろうな)
食事を終り、後かたづけも終り、テントの中で明日の用意をすると、もう何もすることもない。次男はトランプとか言っていたが、結局しないで歯磨きをして眠った。
雨は止んだので、また明日は晴れると思う。明日は4時起床で、4時半には出発することにする。子供たちは直ぐに眠ってしまった。よほど疲れたのだろう。
ナカナカ寝付けなかった、いつもとはまったく違う時間帯に眠るのだから当たり前だけど、結構遅くまで若者のテントは賑やかだったし、それよりも狭いテントで体を動かせずにいたことも原因だったようだ。
9日(月)
4時前に周囲の話し声で目が覚めた。夜中に何度も目が覚めたが、でも、結構時間にしたら寝た方だろう。子どもを起こして用意をさせる。テントの外に顔を出したら素晴らしい快晴、雲一つ無い高みに小仙丈がくっきり見えていた。昨日登った甲斐駒の摩利支天もきれいに見えている。
仕度をすませ、5時には出発。もう既にかなり早い時間に登っていった人たちも居るようだ。スーパー林道に出て、直ぐに「仙丈岳→」の指導標のある道に入る。中高年のグループと後になり先になりして登っていく。まだ子供たちはすっきり目が覚めてないようだが、ペースは順調だ。三合目を過ぎて、きつくなってくる樹林帯をひたすらジグザグに上に向かう。でも、仙丈の方が傾斜がきつくない感じで、昨日の甲斐駒より随分楽だ。一応10時には山頂に到着できると予測した。
樹林の隙間から朝日でシルエットになった甲斐駒や鋸岳が聳えて見えた。特に甲斐駒はピラミッド型で見事だ。栗沢の頭やアサヨ峰、早川尾根の向こうに鳳凰三山もシルエットになっていた、地蔵岳のオベリスクもハッキリ見える。
三合目で朝食にした。次男は相変わらず朝は苦手で、ほとんど食べない。でも調子は悪くないといった。
三合目からもジグザグ登りは続き、五合目の大滝の頭に着いた。ここで今回初めて北岳がくっきりと姿を現した。去年はまったく晴れなくて見えなかったこれらの山々は、今回は素晴らしい展望をほしいままだ。でも、早くも鋸岳や鳳凰三山方面には雲が湧き始めている、昼までにはガスに覆われてしまうだろう。この先も余り変化のない登りが続くが、特にきつくなることもなく森林限界を飛び出した。森林限界まで来ると、上のすぐそこ手が届きそうなところに小仙丈が見えるが、これがなかなか近づかない、去年登った御嶽山みたいだ。
ふーふーいいながら、どうにか小仙丈に着いた。予定の時間より少し早い、この分だと10時前に山頂に立てそうだ。次々と人が登ってくる、頂上からも次々と人が降りてくる、狭い小仙丈の頂上は既に人で一杯だ。ここからは仙丈ヶ岳が大きく姿を現した。白峰三山の北岳・間ノ岳が大きく望まれる、塩見岳から南アルプス南部の山々までずらりと眺め渡せる。しかし、ここから先に登っていくとだんだんガスが多くなり、頂上にたどり着いたらほぼ白峰三山方面や甲斐駒方面の展望は無くなった。思ったより早く、9時半に山頂にたどり着いた。
子供たちによれば、昨日の甲斐駒よりズット楽だということだ。傾斜がきつくないこと、足場が悪くないことで、より簡単に登れたのだろう。次々に山頂に登り着く人たちはいたが、思いのほか人は少なかった。周りの山々はガスに遮られて見えなくなったが、大仙丈と直ぐ下の藪沢カール底にある仙丈小屋くらいはよく見えた。基本的には快晴なので陽射しは暑く、気温も高めで膚がじりじり日焼けしていくのが判るほどだ。昨日、甲斐駒の下りで濡らして、そのまましまい込んだカッパをハイマツの上に広げて乾かした。気持ちの良いのんびりした雰囲気の山頂だった。ラーメンを食べたり、次男は絵を描いたり、少しばかり昼寝をしたりしてゆっくりとできた。登り着いたのが早かったおかげだ。今日は次男も酸素を使うほどではなかったと言った。三千㍍峰なのにね…。
帰りは藪沢を下ることにした。仙丈小屋はきれいな小屋だったが、なんだか只の売店の様だ。ここも、金を使わない人はどうでもいい人、そばに寄るなという雰囲気があって早々に立ち去った。この辺り、今は観光地化したのか?昔の不便だった南アルプスとは随分変ってしまったようだ。この直ぐ下に冷たい水が流れている源頭の水場があった。下調べが充分ではなかったので、乏しい水をけちけち使おうなんて言っていた矢先に冷たくておいしい水が手に入ったのでるんるんだ。
この下はだんだん霧の中という感じになり、馬の背から一くだりで藪沢ヒュッテ(木造の真新しいログハウス風の山小屋で感じがいい)に出てダケカンバの樹林帯から沢を2,3渡り、ますます霧が濃くなったトラヴァース道をだらだら下ると、樹林に囲まれた藪沢小屋はボロ小屋だった。シラビソの大木に周囲の樹木が替わって、五合目大滝の頭まで戻ってきた。戻ってくる人たちもいるが、これから上に向かっていく人たちもいる。ほとんどは中高年で、夫婦連れが多いようだ。ここからまた更に下り始めたが、またもや昨日に続いてここで雨が降り出した。しかし、今日のは雲の塊が降らせたにわか雨で、カッパを着るまでもなかった。3合目あたりから、膝に疲れが出てきて嗤いだし、次男はまた少し遅れ気味だった。どうにか2合目を下り、北沢峠に下り着くと、また陽が差してきて青空が広がっていた。山の上は雲の塊が移動して隠し気味だ。
テントに戻ってきて、スパゲッティをゆでレトルトミートソースをかけて食べた。何を食べても旨い、子供たちは最高だと言った。昨日は甲斐駒、今日は仙丈と運良く2山登頂できた。天気予報は行っている間中、悪いことを言っていたので、どうにか仙丈だけでもと思っていたが、こうして両方登頂できて本当に良かった。子供たちも満足だったようだ。
次男は疲れたのか、テントの中で昼寝をした。周囲のテントも昨日より少なくなって、川原の一番下のテン場には2張りくらいしか見えなかった。おそらく明日くらいからお盆休みの混雑になるのだろうと思う。
夕立もないようで、夕飯の仕度まで二人とも直ぐ側の川で遊んだりしていた。夕飯は釜飯だったが少し量が多くて、残してしまった。みんな腹一杯食べた。摩利支天がくっきり見えていた。その晩もぐっすり眠った。
10日(火)
翌朝、もう帰る日になってしまった。今日は帰るだけなので、ゆっくり起きてのんびりしていた。山に登る人たちはもちろん早朝に出発していったが、このテン場はどちらかというと、今日帰る人たちが多いようで、周りのテントの人たちもゆっくり起き出す方が多い、今日当たりからお盆休みのハイピークになって、入山する人の入れ替えがありそうだ。子供たちはゆっくり帰ろうといって、また側の川で遊んでいた。天気は上々で、全く天気に恵まれて良かった。
テントを撤収し、10時のバスに乗るために北沢峠のバス停に向かう。バスを待つ人たちが結構いた。定刻より若干早く2台のバスがでた。広河原から乗り継ぎの人もいるので多いわけだ。白峰三山というより北岳からの人たちのようだが、最近は三山縦走は少なくて、北岳のみの方が主流らしい。
バスは目がくらむような渓谷の縁を縦貫している。帰りのバスの運転手はサービスの良かった行きの運転手と違って何も話をしなかった。無事、仙流荘まで戻ってきて、そこの風呂に入ってから帰った。長谷村から茅野に出るまで30㌔ほどコンビニもスーパーもなかった。腹ぺこになって、ようやく茅野でほか弁を食べた。下界はすごい暑さだった。麦草峠を越えて帰路に就いた。
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