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明科塩川原の自然石

2024-05-04 23:29:34 | 民俗学

 

 「寒念仏について」で紹介した安曇野市明科塩川原のお堂の裏に石碑と並んで自然石が祀られている。「置かれている」ではなく「祀られている」とあえて表現したのは、台石にモルタルで固定されているものがあるからだ。写真の中には大小の石が12個写っている。この中で文字が刻まれていない「石碑」と考えられるものが、左端の石祠から数えて5体目と7体目のもの。このうち7体目のものは表面が滑らかで、もしかしたら元々は浅く文字が刻まれていたのか、とも思わせるがはっきりしない。5体目について注目すべき石と捉える。そのほかモルタル固定されていない3体目と右側前面に置かれている4つの石である。これらすべてが祭祀物なのかどうかははっきりせず、特に前面の石ころとも思われる4つについては、ただ置かれているだけかもしれないが、いずにしても祭祀空間に収まっていることは確かである。前述した注目すべき左端から5体目の石であるが、ごつごつした石と言うよりは火山岩らしき無数の穴が開いた石。繰り返すが固定されていることから相応の信仰対象物と考えられる。

 塩川原で話を聞いた昭和19年生まれの男性によると、道祖神の在り処について強い認識をもたられていなかった。その背景には「かつて行われたという“カゼノカミ”」で触れたように、事故によって三九郎に制限がかかったことにより、実体験としての道祖神とのかかわりが希薄だったことによるものと考えられる。長野県民俗の会がまとめた『長野県道祖神碑一覧』によると、塩川原には道祖神が4基確認されている。双体像2基、自然石2基である。双体像2基は写真のものと思われるが、この記録を確認したうえで現地を訪れなかったため、銘文をはっきり確認してこなかった。記録と照らし合わせると大きな双体像が嘉永7年銘のもので、小さい双体像が明治2年銘のもの、と思われるが、どう見ても小さい双体像の方が古そうだ。そのことはともかくとして、この双体像2基のほかに2基の自然石道祖神がある。それは3枚目と4枚目の写真のもので、塩川原の集落から下段の水田地帯に下る道沿い、段丘崖のようなところに祀られている。どちらの石も表面に無数の穴が開いたもので、前述したお堂の裏に固定して祀られている石と同質のものである。このような石を祭祀対象として選択したというところから推定すると、お堂の裏に祀られているものも道祖神なのかどうなのか、もちろん話をうかがった男性の口からもその答えは聞けなかった。そもそも前述したように、「道祖神はどこにありますか」と聞いてもはっきりしなかったのが現実である。自然石2基については、屋根をオヤスで葺いてあることから道祖神とわかるが、そうでなければ「ただの石」と捉えられても不思議ではない。

 さて、お堂の裏の自然石のことである。固定されたもの以外の置かれているものも、自然石道祖神として祀られたものかどうか、もう少し検討しなければならない物でることに間違いはない。


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