Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

カワムツのこと

2011-10-06 12:44:50 | 自然から学ぶ

 大原均氏は『伊那谷自然友の会報』157号において「もうすぐカワムツが天竜川水系を制圧する?」という報告をしている。冒頭の見出し文にはこう書かれている。「最近、飯田市久米川の天竜川から1kmほど上流の淵で投網を打つと、一度に100匹ほどの魚が入ります。あまりたくさんの魚が入ってびっくりしますが、実はもっと驚かされることがあるのです。それは、すべてが「カワムツ」という今まであまり耳にしたことがない魚ばかりで、他の種類の魚が一匹も入っていないことです」と。大原氏はカワムツの生息区域は濃尾平野から能登半島を結ぶ線より西側だったという。それがしだいに東日本に広まってきたわけで、下伊那地方の天竜川流域でも1990年以降確認されるようになったという。広まった理由について大原氏は天竜川で放流されるアユに関わっているとし、琵琶湖産のアユが放流されることからそのアユに混入してきて放流されたとみている。

 カワムツはコイ科の淡水魚でオイカワやアブラハヤ、ウグイといったものが仲間である。大原氏によると「1996年ごろから飯田市周辺の天竜川や久米川をはじめ毛賀沢川・富田沢川・小川川などの支流で生息が確認されるようになりました。しかし、南大島川(高森町)、小渋川(松川町)、早木戸川(天龍村)、遠山川(当時南信濃村)など飯田市から離れた地域の川はもちろんのこと、飯田市の中心地である飯田松川や土曽川でさえも生息確認はできませんでした」という。「ところが2003年以降、飯田松川を始め飯田下伊那地方の天竜川とほとんどの支流で採捕されるようにな」ったというのだ。掲載されている「主な河川におけるカワムツの採捕記録」の表では、2003年から「調査でカワムツを採捕」されている様子がはっきりと解るのである。ただ調査そのものがそれまであまりされていなかったということは言えはいないだろうか、とわたしは思ったりする。なぜかというと、大原氏が2003年に行った調査の多くにわたしが関わっているからだ。国の機関から委託された業務において、専門家に依頼をして調査をしたわけであるが、同行して採捕の現場に立ち会っている。大原氏が「2003年に天竜川との合流点附近(上溝橋周辺)で初めてカワムツを確認」したと述べている調査にも同行している。当時大原氏はカワムツを発見すると目が輝いていたように記憶する。大原氏はその調査をカワムツのデータ化に取り組む第一歩にされていたのではないだろうか。グラフは2003年6月22日に飯田松川上溝橋附近で投網10回、タモ網20分間で採捕された魚類の割合を示したものである。当時カワムツは全体の8パーセントほどであった。ところが大原氏によれば2008年には7割以上カワムツが占有していたという。大原氏の報告のタイトルにもある「天竜川水系を制圧する」のかといえば大原氏はいずれそういう時がくるかもしれないが、必ずしもそれが続くかは解らないという。それは「かつて放流されて急激に分布域を広げたオイカワが、最近個体数が減ってきている」という報告からの推定である。いずれにしてもアユそのものがよそから持ち込まれているものである以上、魚類の生態系はかなり人為的な趣が強い。川と言う大きな自然界ではあるが、さまざまな点で人が制圧しているとも言えるのである。ただ、いかに種が生息域を変えていくか、という視点では大きな舞台を背景に、専門家にとっては研究舞台になっていると言えるのだろうか。


コメント    この記事についてブログを書く
« 被災に対する郷土史の取り組み | トップ | 老人の民俗誌⑦ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

自然から学ぶ」カテゴリの最新記事