Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「速度」と「車間」と

2022-09-09 23:39:19 | ひとから学ぶ

 久しぶりの「運転」の話。

 ずいぶん日が短くなったこのごろ、帰宅時それほど遅いわけではないのにすでに暗がり。既にライトを点灯する時間帯だから、前方の車は遥か向こうだがはっきり目に入る。わたしもスピードをそこそこ出していたので、次第に前の車に近づきつつある。前を走る車の前に車はいない。100メートルほどに近づいたところで、それ以上は車間を詰めない。これはわたしの中でのルールだ。もちろん車間を維持することにより、後続車が近づいてくるのは致し方ない。どれほど後続車に接近されようと、そこそこの高速運転をしている以上、それ以上は近づかない。その際の時速は60キロ超。ようは制限速度を超えること10キロから20キロ。とりわけ70キロ前後の速度ならば、短くても50メートル以内には近づかない。なぜかといえば、自分が後続車に接近されて高速運転をするとしたらどうか、と想像してほしい。そこそこのスピードを出しているのに接近してくる後続の車は、さらに速度を上げてもしっかり接近してくる。すると自ら危険性を認識するから「減速」することになる。単独で走っていれば70キロ、あるいは一般道でも80キロ程度出すのに、後ろに接近されることで「減速」する。ようは後続車は、「減速」されずに気分よく走りたいのなら、前車に「接近」しないことだ。「接近」するから前の車は「減速」する。速度計と車間を見ながら、「減速」は嫌がられていると悟ること。こんな単純な意識を無視して「接近」する馬鹿は、本当に大馬鹿者だ。「速度」と「車間」は明らかに関係性がある。気分よく走りたいのなら、車間は詰めないことだ。

 したがってわたしは高速時なら100メートル、時速50~60キロ程度なら50メートル。さらに速度が落ちれば30メートル。どれほど速度が落ちても30メートル以内には近づかない。そしてうんざりするほど、後続車は近づく。なぜこんな単純な心理がわからないのか、と思うものの、同じことを繰り返すバカは減らない。


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