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民俗地図への「始まり」

2022-09-10 23:43:26 | 民俗学

 8月に行われた長野県民俗の会第231回例会のことは先に触れたが、「二つの発表」のうち午後にあった小原稔さんによる「民俗学でGISソフトを使ってみる」についてはまだ記してなかった。発表後に参加された仲間に感想を聞くと「さっぱりわからなかった」という言葉も耳にした。当然だろう、GISソフトを使って仕事をしているわたしでも、今のウェブ上にあるフリーソフトの機能についてはまったく無知だった。発表はGISはなんぞやというところに時間をかけて行われたが、知らない人には専門用語がたくさん出てきて、かじっている人、単語だけ耳にしている人、全く知らない人、が聞いているのだから前述の感想も当然ともいえる。

 当日は長野県史民俗編で収集されたデータを利用すれば、「長野県という範囲を超えた民俗の論理を導き出せる」と提唱する安室知さんも遠路参加された。長野県史データによる民俗地図の作成を試みるべく、県内の民俗学の仲間に声を掛けられたわけだ。手始めはGISによる分布図化を行うためのデータ化であるが、そもそもGISを使ってそれぞれが分布図を作成できるところまで習得しないと、楽しさというかやりがいが見えてこない。とはいえ今回の発表に「さっぱり」という感想が漏れるように、簡単ではない。繰り返すがパソコンは普及したものの、階層の深いソフトを扱うとなると、覚えなくてはならないことが多い。その中で素人でも図化できるところまで短時間に習得するには、いかに単純化したマニュアルを作成するか、ということになる。応用面はそれぞれが後から蓄積してもらうように、とりあえず最短で図化できる基本データを整理する、あるいはマニュアル化する、といったあたりを検討する打ち合わせ会が、発表された小原氏を中心に本日行われた。会場は我が家だった。今回の取り組みについて安室さんに協力されている福澤昭司さんによる民俗地図の概念について確認がされた。以前から認識していたことだが、長野県史にも民俗地図は利用されており、それらは倉石忠彦先生による「民俗地図方法論」が共有されていた。ようはデータを分布図として落とし、そこへ別の情報を与えて分布図を面で捉えたりもしかしたら立体的に捉えたりして読み取っていく。そのうえに作成されたものを「民俗地図」と称す、というのが倉石先生の考え方だった。したがって手作業で行うのは容易ではなく、そもそもデータを分布図化するのも簡単ではなかった。本日記でもいくつも分布図を示してきた。エクセルのマクロを利用して記号を落としていく手法は、長野県史のデータを分布図化したいというなかで自らつくりあげたものだった。しかし、マイクロソフト側のバージョン更新によって意図通り図化できなくなり、他人が利用するにはとてもお勧めできないものになってしまっていた。そうした中、小原さんが現在主流となりつつあるフリーソフトを応用する方法を考えてくれたわけである。

 さて、とりあえず分布図(わたしの中では図化されて人前に示すからには、これも「地図」であることに限りはなく、「民俗地図」と称して良いのでは、という思いはある)を作成するわけだが、長野県史の全調査項目ごと分布図化を目指している。その数は大量なものとなるわけで、分担しなければとても難しい。繰り返すが誰もが図にしてイメージしてみないと楽しくないわけだから、そこまで習得する最短の道を導く。打合せを始めた当初は「無理感」が漂ったが、何とか先が見えるイメージまでたどり着いた。基本データ作成を行い、再度手伝ってもらえる人たちに説明する。始まったばかりだが、おそらく楽しさも覚えてもらえればやりがいも出るだろう。新たな試みの「始まり」である。


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