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道祖神祭りの幟

2018-05-19 23:37:11 | 民俗学

「昭和の道祖神」の始まりより

 平出一治氏は昭和62年2月14日発行の『遙北通信』28号へ道祖神祭りの幟旗について寄稿いただいた。実は『遙北通信』へ寄稿いただいたのは、この記事が最初であった。

 写真では紹介できなかったが、道祖神の獅子舞⑦で紹介した櫛形町下一之瀬の道祖神祭りにおいても、大きな幟があげられていた。やはり山梨県と諏訪地域、とりわけ同じ流域にあたる富士見町や原村といった地域は同じような道祖神祭りが伝わっているようだ。これほど大きくはなくとも、例えば同じ道祖神の獅子舞⑦で紹介した旧臼田町清川の祭りでも幟があがっている。八ヶ岳山麓周辺には道祖神の祭りに幟をあげるところが多いことがわかる。

 

道祖神のまつりの幟 (『遙北通信』第28号 昭和62年2月14発行) 平出一冶

 

 

 今年も1月14日に、八ヶ岳西麓に展開する富士見町・原村茅野市の道祖神まつり(どんど焼きの準備)を見てあるいたが一昨日の大雪のため、車を思うように駐車できなかったこともあり、満足できるものではなかった。

 昭和56年から自分なりに道祖神まつりの写真を撮っているが、年々新しい事実に接し驚いている。

 当地方における道祖神信仰は、古い形態をそのまま伝承しているとは思えないが、やはり一番身近な神であることには変わりないようで、今年は茅野市大塩で、写真でみるような「道祖神」(昭和61年丙寅年春)・「猿田彦大神」「天細め神」(昭和62年正月)と書かれた新しい幟に出会うことができた。写真以外にも新調された幟が建てられている道祖神場もあり、昨年まで見てきた江戸時代後期に作られた幟が見られなくなったことは残念であったが、新しい幟は、道祖神まつりが末長く続くことを物諮るものであり、うれしいことである。

 

 ※「遙北石造文化同好会」のこと 後編に触れた通り、「平出一治氏のこと」について回想録として掲載している。

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