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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

道祖神の獅子舞⑦

2018-05-13 19:39:26 | 民俗学

道祖神の獅子舞⑥より

 

 昭和63年2月7日に発行した『遙北通信』54号の「近況」にわたしは次のようなことを記した。

 小正月14日には山梨県中巨摩郡櫛形町と東山梨郡牧丘町を訪れ、道祖神の祭りを見学した。牧丘町は昨年に続き2度目であった。午後3時ころ塩平で当屋の家よりの獅子練りが始まる。今年は山梨文化財研究所の道祖神祭日ソシンポジウムの団体がバス3台ではいり、あまりの賑わいで祭りどころではなかった。鼓川一帯で行なわれる「やまたて」の中では最も手のこんだ飾りがされているのが、塩平のものである。前述の大文字の中で「きんちゃく」と称する財布を象ったものを、ここでは「とんぷくろ」と称している。練りの後、やまのたつ道祖神の前では獅子舞いが行なわれる。

 櫛形町では下市之瀬の道祖神祭りを中心に見学した。ここの獅子舞いは享保年間に始まるといわれ、町内では曲輪田(まぐわだ)にも道祖神の祭りに獅子舞いが奉納されている。下市之瀬のものは「八百屋お七」「梅川忠兵衛」などの演芸が獅子によって行なわれるという珍しいもので、長野県でも9月5日に木曽郡上松町若宮八幡社で行なわれる、芸ざらいで女形を獅子が舞うなど同様のものが見られるが、道祖神の祭りで見ることができるとは思ってもみなかった。

以上、櫛形町下市之瀬(昭和63年1月14日撮影)

 

 この近況から始まった「道祖神の獅子舞」の一連の記事だが、次号56号に平出一治氏は次のような報告をしてくださった。

 

原村柳沢の道祖神祭りどんど焼き (『遙北通信』第56号 昭和63年3月6日発行) 平出一冶

 諏訪郡原村では、昭和63年も道祖神祭りどんど焼きが、区単位で1月14日と15日の夜に行なわれた。この14日と15日の違いについては、古老たちは「昔は14日から16日の3日間行っていたものを、1日にしたとき、大久保・柳沢・八ッ手・柏木・菖蒲沢・室内・払択区は初日の14日に、中新田区だけが中日の15日にどんど焼きをするようになった。」と、話してくれた。

 なお、戦後に開拓された判の木・南原・上里の3地区、団地として誕生したやつがね区、また、観光開発の一環として誕生したペンション区は14日に行なわれた。

 3日間続けたどんど焼きを1日にしたこともあり、だるまやしめ飾りを山にして焼く古い形態のどんど焼きが伝承している地区もあり、他市町村のように円錐形の飾り付けをする地区はまだ少ないようである。

 さて、柳沢区のどんど焼きは、以前は道祖神場で行われていたが、南を流れる弓振川の川岸工事と道路拡張工事によって、道祖神場が狭められてからは、公民館の広場で行なわれるようになった。数年前から円錐形の飾り付けが作られているが、これといった呼び名はないようである。

 14日の夜7時前には子供達が集りはじめ、どんど焼きに火が付けられた。風のない静かな夜で、火と煙は真っ直ぐに上っていった。「パチ パチ」と、松葉の燃える音が、どんど焼きのムードを盛り上げていた。どんど焼きの火によって真っ赤に染められた子供たちの顔には興奮がみられた。

 火が一段落すると、手にした赤・白・青の繭玉を火にかざし繭玉焼きが行なわれた。どんど焼きの火で焼いた繭玉を食べると、1年間病気をしないといわれている。原村では養蚕農家がなくなってしまったが、豊量を願った繭玉が依然として作られている。これは信仰に違いが生じていることになろうか。

 どんど焼きのクライマックスは厄払いで、厄年の男女が広場にとめたトラックの荷台から、みかんや福銭などを投げた。それを追う子供たちの歓声でにぎわっていた。

 年々その方法に若干の違いはみられるが、道祖神祭りどんど焼きは受けつがれている。伝統の良さ、尊さを末長く続けてもらいたいものである。

 


 また、同じ56号にわたしは、次の報告を行っている。

 

正月の道祖神獅子舞 (「遙北通信」第56号 昭和63年3月6日発行) HP管理者

 正月に獅子舞いがやってくることは、昔はあったようで、舞うことにより御祝儀を乞う旅の者がいたという。

 現在、伊那谷で正月に獅子舞いが行なわれるのは、湯立神楽の中で舞われるものを除くと、伊那市羽広の獅子舞いぐらいで、特に獅子舞いといえば正月というイメージもない。

 ところが「遙北通信」46号で平出一治氏が、原村菖蒲沢の道祖神祭りに獅子舞いが行なわれていると報告があった。今まで「遙北」で八ヶ岳北麓の獅子舞いを紹介しているように、この辺りでは獅子舞いというと正月に訪れるものという感覚がある。村祭りに獅子舞いが舞われるかというとそうでもない。佐久から上田方面にかけての道祖神の祭りでは、そのほとんどが子供達による獅子舞いであった。

 長野県から山梨県に目を移すと、長野県八ヶ岳北麓ほどの獅子舞い分布はないが、各所に道祖神祭りの獅子舞いが行なわれている。東山梨那牧丘町に分布する獅子舞いは著名なものであり、また中巨摩那櫛形町下市之瀬や曲輪田などの獅子舞いも知られている。ただ山梨の方では大人が舞う場合がおおく、長野県でいう子供組習俗の行事とは異なっている。

 長野・山梨近辺の祭りを更に見学していく予定であるが、道祖神の祭りには種々様々なものがあり、各地にその特色を現わしたものが残っている。いずれにせよ、獅子舞いを道祖神の祭りに取り入れているのは、八ヶ岳から秩父山地にかけた周辺に多いといえる。

以上、旧臼田町清川(昭和63年1月1日撮影)

 


 『遙北通信』56号に平出氏は「会員通信」として次のような近況を寄せている。

 小正月の道祖神まつり、低迷状態の時であり、思うような調査ができませんでした。1月14日の午前中は、原村・菖蒲沢の患魔払い。夜は柳沢と南原のどんど焼を見学。15日の午後はPTA役員のため富士見町・葛窪のどんど焼準備、夜はどんど焼に参加しました。16日午前1時10分から富士見町歴史民俗資料館の道祖神御魂入れ祭に参列し、17日の午後は原村・中新田のきんちゃきりを見学しました。自分なりに感じたことを書いてみたいと思っていますので、よろしくお願いします。

 

というものだ。近況にある平出氏地元の菖蒲沢の悪魔払いは、道祖神の獅子舞②で紹介したように平出氏によって報告されており、また、富士見町歴史民俗資料館の道祖神御魂入れ祭についても富士見町御射山神戸の双体道祖神に記したように平出氏によって報告されている。


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