Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

“九段の母”

2013-06-27 23:22:17 | つぶやき

上野駅から 九段まで
勝手知らない 焦れったさ
杖を頼りに 一日がかり
倅来たぞや 逢いに来た

 94歳まで歌い続け、平成15年に亡くなった塩まさるの大ヒット曲“九段の母”の冒頭歌詞である。記憶のどこかにある名前だが、世代が異なるためその歌声まではイメージつかない。実は塩まさるの墓地は旧浪合村の堯翁院にある。浪合小中学校の東方にあるこの寺は、山間の寺だけに寺域はそう広くはない。参道の手前に墓地があるが、このごろ拓いたと思われる本堂左手にもいくつか墓碑が立つ。その中に塩まさるの墓があり、この“九段の母”の冒頭が刻まれている。隣の墓誌には次のように書かれている。

 塩まさる 本名 正吉 九十六才
 昭和十二年に「軍国子守唄」で歌手デビューし、「九段の母」を昭和十四年に大ヒットさせ、以後「母子船頭唄」など数々の曲を歌い、軍国歌謡の親と尊敬された。
 九十四才までステージに立ち、テレビ出演や老人ホーム慰問などで懐メロを中心に歌い続けて。
 現役最高齢か主として平成九年に日本レコード大勝功労賞に輝き、人生訓話を交えての朗々たる歌い振りは全国の多くのファンに愛された。
 当院寺澤住職とは二十五年来の親交があり、浪合村へも敬老大会公演などで何度も訪れた。
 平成十一年に堯翁院の大般若会で「塩まさる九十二歳の青春」と題して熱唱し大好評を博したことが縁で、没後はこの寺で眠りたいとの故人の遺志を引き継いだ二十数年来の八城幸吉プロデューサー夫妻の肝煎りで当院の檀家となる
 茲に有志一同墓誌碑を建立して、翁の徳行と業績を偲ぶ。

 塩まさるの墓碑も含め、山間の寺にしては少しばかり今風な墓碑がここには立ち並ぶ。「思いの場所」に眠る。故人にとっては理想の安住の地かもしれない。しばらく空けてしまっているが、「葬儀のこれから」のヒントである。


コメント    この記事についてブログを書く
« ササユリ咲く | トップ | 湿地に咲く花々 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つぶやき」カテゴリの最新記事