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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

芝宮神社祇園 前編

2024-07-13 23:26:50 | 民俗学

 京都の祇園山鉾巡行も間もなくである。このあたりの地方での祇園といえば津島神社にまつわるものが多い。宮田村の祇園祭が行われるのも津島神社である。伊那谷では阿南町深見の祇園が知られるが、それもまた津島社の祭りである(諏訪神社境内社)。夏の流行り病が発生するころ、それを鎮めるために行われたものだが、今は夏祭り的に捉えられている。

飯島町七久保芝宮神社祇園祭宵祭り「祇園囃子」

 

 飯島町七久保の芝宮神社においても祇園祭が行われた。飯田下伊那に限らず、上伊那南部でも囃子屋台を祭典に引くところが多い。それらは祇園囃子の影響と思われるが、いっぽう高遠囃子の影響も考えられ、祭典で行われているものは、祇園とは関係ないものもあるのだろうが、囃子屋台については意識的に捉えてこなかったため、未見のものも多く、はっきりしたことは言えない。とりわけ囃子屋台だけ演じられているものもあれば、獅子舞とセットのように演じられているものもあって、後者のものは獅子舞の陰に隠れてしまっている印象が強い。なお、このあたりの囃子屋台とは、いわゆる山車風のものではなく、小型の屋台であり、とりわけ飯田下伊那に多い屋台獅子(練り獅子と最近は言われる)の胴にあたる部分に利用する屋台と規模的には同じくらいのものである。

 囃子は祇園祭のみで行われるもので、かつては屋台が引かれたというが、現在は屋台を引かない。いつ頃から引かなくなったと聞くと、ずいぶん前からだという。1995年に長野県教育委員会が発行した『長野県の民俗芸能 : 長野県民俗芸能緊急調査報告書』における悉皆調査の中には、囃子屋台は項目としてはあげられていない。ようは「芝宮神社獅子舞」の中に「別に囃子屋台が出」と付記されているにとどまる。こうした例は同報告書の中に夥しくあり、民俗芸能の捉え方が不統一な問題がここにある。「殿野入春日神社獅子舞」もそうであったが、獅子舞と囃子屋台(この場合囃子屋台とはいえ山車の屋台である)、そして「とりさし」、と複数の芸能が一緒に演じられていると、代表的、あるいは捉える側が主たるもの、と捉えた芸能の配下にほかの芸能が隠されてしまうケースは多い。したがって捉える側が複数のものとして取り上げれば、別の芸能としてあげることもあり得るわけである。

 さて、囃子屋台に先立って演じられる獅子舞のことは後で触れるとして、囃子屋台の様子は写真のとおりである。獅子舞の曲も含めて17曲あるという囃子の曲は以下のとおりである。

練り
数え歌
大摩
御岳山
程ヶ谷
狐券
道中囃
馬鹿囃
数え唄
俊道囃
野毛山
新囃
菊水
揚屋
篭丸
宮返し
浮舟

これらは、保存会の持っている資料に記載されている文字で示しており、漢字はあくまでもその資料による。このうち練り、大摩、数え歌は獅子舞の曲という。囃子屋台には花踊りが付属しており、現在は屋台はないが、踊りは小学生の女の子たちによって演じられており、今年は14名が踊った。相対して7名ずつ、男女で対となっていたが、本来は女の子が担ったという。この日は氏子集落内を回って上演するが、御嶽山と程ヶ谷、そして狐券の3曲を各所2曲ずつ演じて回った。獅子舞のさいの獅子招きも女の子が担ったと言われ、男の子は屋台を引くのがかつては役割だったという。

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