Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

平出一治氏のこと

2018-03-03 23:07:01 | つぶやき

 遙北石造文化同好会のことを振り返っていたせいではないだろうが、哀しい知らせがあった。長野県民俗の会を退会したいという連絡だった。退会の申し出とともに亡くなられたという知らせは奥様からであった。驚いたのは言うまでもない、それほど高齢ではないはずたとすぐに頭には浮かんだからだ。長野県民俗の会との関わりはそれほどないが、あえて言うなら石仏の本を会で出版するという話があった20年近く前、南信の担当者に集まっていただいた際に顔を出していただいたと記憶する。結果的に原稿を提出していただくまで至らなかったが、石仏の本が紆余曲折していた時代に、仕事上でいろいろ苦労されているような話はうかがった。

 亡くなられた平出一治氏(奥様からお名前を聞くまで、ずっと「かずはる」と読むのだと思っていたが、実は「いちじ」と読むという)は、むしろ考古学の世界でよく知られている方である。原村教育委員会において、長年発掘調査に携わって来られ、とりわけ阿久遺跡などにも携わられたという。退職後にも考古学分野の催しで講師となって話された機会が多かったようだ。しかし、わたしはむしろ石仏の世界で平出氏にはいろいろ情報提供いただいた。昨日も触れたように遙北石造文化同好会の初期の時代には会員ではなかったが、平成以降はたくさんの報文をいただいた。当初はB5版のガリ版刷りの紙をふたつ折した1枚の会報だったが、後にページ数を増やして行くと、ひと月に2号など発行できなくなり、会報ではなく頻繁に発行できるスタイルのものとして「通信」なるものを発行するようになったが、平成以降の通信に平出氏はなくてはならない存在となっていった。会報には結果的にいまだ最新号である第76号(平成元年4月1日発行)へ2編の記事を投稿いただいたのみだが、通信には一時は毎号のように情報的記事を投稿いただいた。唯一の会報『遙北』第76号の記事は「原村菖蒲沢の悪魔払い」と「富士見町境葛窪のどんど火」であった。後者は平出氏自らの地元のもの。石仏そのもののことはもちろんたが、民俗的な記事もたくさん寄せていただいた。そしてそれまで諏訪のことはほとんど知らなかったのに、平出氏のおかげで、たとえば道祖神行事の展開が面白くなったものだ。また、道祖神碑そのものにも多様な姿があることも報告していただいた。

 ご冥福をお祈りいたします。合掌


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