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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

魔除け(3)

2018-05-18 23:49:24 | 民俗学

魔除け(2)より

 平成4年8月1日発行の『遙北通信』122号に引き続き、9月1日発行同通信123号へ、わたしは「魔除け(3)」と題した文を掲載した。平成4年4月25日から6月7日にかけて開催された、群馬県立歴史博物館の第41回企画展であった「魔除けーまじないの民俗」を訪れた際の図録を参考にして、「魔除け(3)」を綴ったものである。

 

魔除け(3) (「遙北通信」第123号 平成4年9月1日) HP管理者

 ②『おくる』
 ふせぐの反対の意味を持ちながら深い関係もあり、前回述べたボーの神送りのようにおくりとふせぎがセットになっている事例も多い。またふせぎと同様に家単位の送りからムラ単位の送りといった具合にさまざまである。

 人形 ふせぎの中にも藁人形があったが、おくる場合も人形が使われる。群馬県群馬郡榛名町上里見では、新暦7月27日に疫病にかからないよう無病息災を願ってオミソギ(夏越の大祓)の行事を行っている。事前に春日神社の総代と各区の年番を通じて、各家に榛名神社の出す人形(ひとがた)とお札が配られると、人形でそれぞれの体を撫でて祭りの前日までに集める。当日、神社で拝んでもらった後に、人形を川に流している。この大祓の行事は各地の神社で行われており、おおむね同様の内容をもっており、人形に託してけがれや痛みが流されるわけである。またこの行事には茅の輪をくぐる所作が加わっている場合が多い。

 オンマ流し 神奈川県横浜市中区本牧町の本牧神社では、夏の神事として、オンマ流しが旧暦6月15日(現在は8月上旬)に行われているが、これも人形流しと同様の意味を持っているといえよう。地元の羽島家が茅で首が馬で、胴体が亀のオンマをつくり、祭日前日に羽島家から神社にオンマを移す「お馬迎え」が行われる。当日、オンマはお馬板と呼ばれる扇形の木の板に載せられ、氏子の頭から頭へ送られながら神社から出て本牧の域内を巡る。オンマを頭上に戴くことで、厄除けが果たされるというもので、港へ着くとオンマは神船に載せられ、沖合に流される。

 同じように船に載せられ押合に流されるものとして同市鶴見区生麦のジャモカモがある。6月6日に生麦と本宮町と原町のそれぞれの神社の境内で、青少年が萱で蛇を作る。角は木の枝、尾は木剣である。蛇を担いで「蛇も蚊も出たかよ、日和の雨だよ、ワッショィ、ワッショイ」と唱えながら町内を回り、各家の門口に蛇の頭を差し入れる。町内巡りが終わると沖合に流されている。

 鹿嶋人形 前述の例と同様であるが、鹿嶋人形送りもよく知られている。特に秋田県の雄物川流域を中心に行われている平鹿郡雄物川町深井では、7月16日に2メートル余りある大きな鹿嶋様と屋形舟が年番の手によって作られ、各家では鹿嶋人形を作る。鹿嶋人形は頭部を稲の首で作り、「鹿嶋大明神」ののぼりを立て、腰には刀を差し、槍を持たせ、背にはツトに入れた餅を背負わせる。神棚の下において拝んだ後、鹿嶋様とともに屋形舟に載せられ、ムラを巡行し、終わると各家の鹿嶋人形を流し舟に移し雄物川に流されている。この場合、家々で作られた鹿嶋人形がムラ共同で作られた鹿嶋様と一緒に送られておリ、家単位の送りとムラ単位の送りがセットで行われている事例といえる。

 ムシオイ 虫送りの行事も全国的なものである。青森県三戸郡田子町細野では、旧6月24日に男根と女陰をそれぞれつけた男女一対の藁人形を作り、ムラ境の沢へ送り出しているここではムシポイと呼ばれているが、人々の病める部分を紙に書いて藁人形につけて、藁人形を持って踊りながら、最後に男女の人形を和合させ、谷底へ捨てて送り出している。虫送りとともに病除けの意味を持っており、悪霊退散・五穀豊穣も祈るという。最後に男女の人形を和合させるという所作を、はっきり行っているところが他の神送りにあまり見られない点である。虫送りについては稲虫送りとか実盛様などと呼ばれることが多。

 広島県山県郡大朝町新庄では、田植えが終わると順次虫送りの行事が行われた。まず神社で神官によって除虫の神事が行われた後、虫送り踊りをしてムラ中を回った。そのときに藁で作った馬に実盛(さねもり)人形を乗せ、これに2本の竹の棒をつけて2人で担いで、踊り子とともに回った。最後にはムラ境の川に行き、実盛人形をずたずたに切って川へ流し、三反大のぼりを洗って、稲虫を川下の隣ムラヘ送りつけた。このように隣ムラヘ送りつけるということから、隣村との争いが起きることもあったようである。諏訪市中洲神宮寺では、ムラ境で○○(隣村の名前)の田んぼへオークリナーと叫んだため、昔はしばしば隣ムラとけんかになり、時には道具の取り合いをすることもあったという。家単位の神送りがムラ単位の神送りに発展していった過程に、このような争いがかかわっていたと私は考えており、後述したい。

 鳥追い 栃木県塩谷郡栗山村では、1月14日の夕方、子供たちがノデポウ(ヌルデ)という木で、男は木刀、女は手杵を作って、鳥追い唄を歌いながらムラ中の地面を叩いて歩いている。このような鳥追いの行事も、かつての農村地帯には一般的な小正月の行事であった。
 風邪の神送り 群馬県利根郡水上町藤原では、風邪を引くと、大豆の煎ったものを半紙に包み、それに息を吹きかけて棒につるし、三本辻に送り出した。ある人が戯れに「風邪の神様、三本辻に出されてかわいそうに。おれについてまいれ」といったところ、本当に風邪を引いて弱ったということがあったようである。病送りの中でも、風邪の神送りや疱瘡送りは全国的に行われていたものである。

 新田郡薮塚本町台では、12月の未になると、風邪をひかないように風の神送りをした各組から1人ずつサシ番が出て道具を作る。桟俵の中央を立ててそこに幣束を立て、下に竹を2本入れて前後2人で持つようにする。「風の神」あるいは「風の神送り」と書いた旗も2、3本作る。薬師堂あたりから鉦をたたきながら回りだしムラ中歩いた。各家ではオサゴを半紙で包んで、それで家族の体を撫でて待っており、鉦の音が聞こえてくると、オサゴの包みを持って出てきて、桟俵の上に載せた。回り終わると川へ行って篠の生えた土手に桟俵を置いてきたという。

 桟俵に似たようなものを藁で作り、神輿風にして担いで回る神送りの形は多く、写真で紹介した長野県下伊那郡喬木村大和知の事神送りでも同じような神輿をを作っている。ここでは事神(ことがみ)を送っているが、事神の意味について風邪の神ともいっている。

 

【下伊那郡喬木村大和知の事神送り】

各家から出された旗

神輿

遠くに見えるのは風越山である

ムラ境へ事神を送る

以上平成4年3月11日撮影

 

 疱瘡送り 群馬県富岡市後箇では、疱瘡(ほうそう)にかかると、オガラ(麻の芯)で座敷に疱瘡棚を作った。その上に赤い幣束を立て、棚の下に藁の疱瘡馬を置いた。疱瘡棚には、朝夕供え物をした。疱瘡が無事にすむと、棚の御幣を藁馬に載せて赤飯を詰めた俵を振り分けにつけ、川で清めたり、道祖神様の石塔の所へ供えたりして送り出した。疱瘡送りも全国的にあるもので、現在では行われなくなった神送りである。馬に載せて送るという点は、他の神送りにもよく見られるもので、祖霊や神の乗る馬、という意識からきているものであろう。また、疱瘡送りには、よく桟俵が用いられる。先に紹介した風邪の神送りに、やはり桟俵が使われたり、3月の雛祭りにおいても人形を桟俵に載せ川に送る風習が、かつては各地に分布していたようで、神送りの一形態であったようである。

 以上のようにおくる魔除けというものは、各地にさまざまな形で伝承されていた。特に厄神の来訪を避けるために行われた防ぎと送りの行事は道祖神の祭りに顕著に示されている。この点については後述したい。

 次ページ(下)の写真は、長野県東筑摩郡明科町清水で3月21日に行われている百万遍のものである。ここでは藁で作られた数珠を回し、南無阿弥陀仏を唱和しているが、その輪の中に刀を脇に差した藁人形が、各家から持ち寄られている。これはそれぞれの家人の身代わりとして、厄を流してくれる人形とされているわけである。百万遍を唱えた後、村はずれの崖へ投げ捨てることで厄を払っているもので、念仏と神送りがセットで行われている事例である。念仏も魔除けの方法として行われたわけである。

 ③『まつる』
 疱瘡神様 前号で紹介した神奈川県の疱瘡神の石塔は、個人の屋敷内に祀ってあったものである。この他に疱瘡神の奉納旗を神社に祀る場合もある。

 駒形牛頭天王の獅子頭 前橋市駒形町では、加賀前田家のものを牛頭天王の神輿として譲り受けたと伝えられる雌雄一対の獅子頭がある。毎年6月14日の例祭日には、駒形宿の下から上へ神輿が巡行して韮川に投げこまれ、下流で拾い上げるということを何回も繰り返したという。この頭を現在は7月下旬の祇園祭りのシンボルとして祀られている。


 以上前号からふせぐ・おくる・まつるといった事例について群馬県立歴史博物館の第41回企画展を通して、私の注釈を入れながら紹介してきた。次回からはそれぞれの特徴や、石神とのかかわりなどを述べていきたい。

 

【東筑摩郡明科町清水 百万遍】

人形を囲み数珠を回す

人形を送る

以上、平成2年3月21日撮影

 

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