Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

気がつけば見られなくなる

2021-05-10 23:37:37 | つぶやき

令和3年4月22日撮影(伊那市高遠町で)

 

 気がつけば「そういえば」と思うような変化に気づく。例えばかつての地方によく見られたバイク。ようは原付レベルのものだが、車の免許を持っていない人がまだ世間にそこそこいた時代には、地方ではバイクに乗る年配の方たちが多かった。亡くなった母もよく口にしたのは、「車の免許をとれば良かった」というもの。行動範囲が原付バイクとはだいぶ異なる。そのあたりが、母にそう言わしめたところだと、今は思う。そうした原付バイクが道を走っていて、「邪魔だなー」と思うことはよくあったものだ。ところが今の農村に、原付バイクが走っていることは、皆無ではないが珍しくなった。高齢者のほとんどが車の免許を取得した世代になったことで、バイクが世間から消えた、ということなのだろう。

 ふだんわたしが草刈をしている妻の実家の耕作空間には、いまだにトラクターではなく耕耘機で水田の代掻きを行っている方がいる。水田が不正形で小さいということもあって、トラクターより耕耘機の方がやりやすいかもしれないが、条件不利地にしか耕地を所有していないため、もともとトラクターを購入するつもりはなかったのかもしれない。原付バイクと同様で、代掻きのような作業に耕耘機を使う人も、今ではかなり珍しくなった。もっといえば、かつては耕運機が今で言う軽トラックだったが、いまや耕耘機の後ろにテーラーをつけて、それに乗って耕作地まで行く人はほぼ皆無である。繰り返すが、もう90歳代の人たちでも車の免許を所有した世代。免許を返納していない限り、耕作地に行くのには、もはや軽トラックなのだ。

 さて、先日もそこそこの広さの畑を耕耘機で耕している方がいた。この手の耕耘機を利用されている方は、代掻きももしかしたら耕耘機かもしれない。この後、そう見られなくなる光景のひとつである。


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