Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「近親者のみ」という告知の不思議

2021-05-09 23:18:16 | 地域から学ぶ

 先日妻のおばさんが亡くなった。その葬儀について、新聞の告知欄にはこう記されていた。

「告別式は神式で○日午後1時、飯田市○○。葬儀は近親者のみで行う。」

これを見てわたしは妻に「近親者のみで行うんだ」と言うと、妻は「葬儀は」という意味であって、会葬者は通常通りだという。昨年の今ごろと変わりないと思っていたが、言われてようやくわかった。昨年の今ごろと表記はそう変わらないような気がするのだが、確かに「葬儀は近親者のみ」とあえて書いてある。そもそも告別式と葬儀を別々に記載するのは下伊那独特のもので、県内の他地域にはない。「告別式」なるものがいったい何なのか、他の地域の人にはわからないかもしれない。いわゆる会葬する式をもってそう述べている。したがって例えば北信では、葬儀には事前に告知された方しか参加しないので、下伊那方式でいえば、会葬者は葬儀に行くのではなく、告別式に行く、となるが、北信における告知は「葬儀は○○」となっていて、下伊那でいうところの告別式が=「葬儀」にあたる。ようは下伊那の現在の告知の様は、北信の葬儀の通常と変わらない。したがってコロナ禍である今だから記載されている部分は葬儀は「近親者のみで」という部分になる。下伊那の場合、会葬者が葬儀に出席することは当たり前にコロナ禍以前にはあったこと。したがって北信の方がこの告知を見れば、あえて「近親者のみ」と記載されていると、葬儀=告別式だから葬儀全体が「近親者のみ」と思われても不思議ではない。そもそも新聞の同一面に記載されていることなのに、地域によって表記が異なるあたりが、「おくやみ」欄の不思議なところなのである。

 ということで、下伊那以外の現在の告知状況を見てみると、昨年の今ごろとは違う表記が見られる。「弔問受付は」というもので、下伊那でいう「告別式」=「弔問受付」であり、弔問受付は従来どおりだが、「葬儀は近親者のみで行う」という言い回しなのである。さすがに北信にはこうした記載はほとんどなく、東信と中信、さらに下伊那を除く南信にそうした記載が見られる。「おくやみ」欄からの広がりなのか、それとも葬儀屋からの展開なのかはわからないが、かなり全県的にこの記載方法が今は浸透している。コロナ禍ということもあって「近親者」という単語がおくやみ欄に賑わっているものの、葬儀の賑わいは従来型にほぼ戻っているといってよいのだろう。もちろん「家族葬」で行うという表記も見られるが、昨年とはだいぶ様子が違っている。「近親者」という表記がかなりいい加減なものなのだ、と久しぶりに身近に葬儀があって気がついた次第である。


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