Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ゼロに戻る、日

2019-04-30 23:26:55 | ひとから学ぶ

 田口ランディさんが、『生活と自治』4号(生活クラブ事業連合生活協同組合連合会)に「ゼロに戻る」という記事を書いている。現在59歳という田口さんは、「今年、還暦を迎える」と書き出す。「50になったときの私は、心も身体もまだ40代だった。だが、50代後半に入ると急に60の気分を先取りし始めた。今はなんと、事あるごとに「ワタシももうおばあちゃんだから」と口走ってい。」を読んで、思わず「わたしと同じだ」、そう思った。これまでも節々で日記に記してきたことだが、高卒で就職したわたしは、周囲に同い年はおろか、年の近い人がいなかった。周囲、みなが皆「年上」という感じで5年ほど暮らした。そのイメージはいつまで経っても拭えず、しばらくは年下がいない世界で働き尽くした。だから、会社が傾き精算を始めたころには、「いつまで経っても一番若い」彼らに同情したものだ。いつまで経っても下働きは続く。しだいに周囲の人が少なくなっていったから、この年でも、年下と仕事をした経験はそれほど長くない。その上、我が社の仕事は、個人請負的なところが強く、独り世界で仕事が進む。他人にそれほどとやかく言われる常日ごろではないのである。だからだろうか、若い頃のイメージが拭えず、いつまでも「わたしは若い」というイメージで働きづくめだった。

 ところが気がつけば「自分が一番年上」になった。もちろん今では再雇用の方たちの力が大きいから、現実的には年上の方たちと同居しているが、組織としては一番上の年齢に達している。しかし、若い頃の癖で、下働き、ちょっと違うかもしれないが実務にこだわる人間になってしまっている。田口さんはこんなことも書いている。「私は体が小さく若作りなので、年寄り扱いをされることはない。若さと元気をウリにしてきたが、もうそろそろ若い人と一緒に働くのはしんどくなってきた。(このまま若いフリをしているとどんどんこき使われる)と、空恐ろしくなり、「あのね、実は私も、今年還暦なのよ」と告白すると、「いやー、見えませんよ」「まだまだお若いですよ」と返って来る。…」と。さすがにこんなふうにわたしは言われないが、それは今どきの還暦など、それほど境界域ではなくなっているからだろうか。もはや、還暦で「終わり」ではない。もちろん田口さんが言うように「ゼロに戻る」に違いはないのだが…。

 一応わたしも還暦をもって定年である。田口さんよりはほんの少し間があるが、人生の半分はとうに過ぎているが、再スタートであることに間違いはない。歴史上では60年周期説が言われる。考えてみれば十干十二支の理論から、60年で一回りする。昭和55年にあった「庚申」年が、そう遠くないところまでやってきていると、以前触れた通り、わたしは二度目の年回りにもうじき入るわけだ。目標は、もう一度「庚申」年を迎えるまでは元気でいたい、だろうか。

 もちろん今日で、「平成」も終わりであり、節目であることに違いはない。

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