Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ゼロから始まる、日

2019-05-01 23:15:12 | つぶやき

 奇しくも、昨日「ゼロに戻る、日」を記した。当初はまったく意識していなかったが、田口ランディさんの60歳という節目に差し掛かった衰えと、この後の人生の再生感のようなものに目が留まって記したものだ。ところがよく考えてみれば、平成はほぼ30年だったわけで、60年の半分。なるほど自分が間もなく還暦という年を考えれば、大雑把に30年は「昭和」、もう30年を「平成」に生きたことになる。おそらく「令和」で30年とは行かないが、それほど多くの元号を渡り抜くことはできないと思えば、まさに元号の始まりは、ゼロから始まりなのである。意識もせず、昨日「ゼロに戻る」を意識し、また記したが、たまたま今日はそのゼロに戻って、始まりなのである。

 ちまたでは新年のカウントダウン以上に大きな節目と捉えた人もいたようだが、意外にそれに気づいていた人は少なかったのではないだろうか。それは1月1日ではなかったことにもある。これがもし、元旦に元号が変わっていたら、もっと大騒ぎだったに違いない。そう考えると、今もって元旦という節目は大きいとも言える。

 本来なら元号が変わるのは、昭和天皇崩御のような例で迎えるから、こういう大晦日から元旦へという、いわゆる1年のゼロからの始まりと同じような雰囲気にはならないものなのだが、天皇が退位されたがための、今生きられている人たちすべてが初めて経験した時間だ。60年周期があるという節もあれば、30年周期という節もある。そして事実わたしの歩んできた道は、今更ながらにその周期になんとなくハマった。そしてもはや、周期から捉えれば、最終の周期に入った。何も残す必要もないが、足あとを残すとすれば、いつしか連続し、いつしか連関してきた日記を、少しずつまとめあげることだろうか。

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