Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「遊び日の」こと

2022-10-19 23:36:34 | ひとから学ぶ

 生きづらい時代である、ということは社会問題からも歴然としている。何より社会はよい「回り方」をしていないことは、言うまでもない。その最たるものは少子化だろう。子どもを産み、育てるという環境に不安や戸惑いもあって、あるいは結婚という敷居の高さのためなのか子どもは減る一方。人口減少は、まさに生産性を拒んでいるかのようだ。しかし、社会を築いている年金問題にしても、税収にしても、少子化の先の将来は危ういと誰にも思わせる。加えて世界の情勢も不安定だ。確かに今は自由で、誰もが自分の世界を優先できる。日本には徴兵制もない。平和ボケと言うが、不戦の誓いをしたかのような日本憲法のもと、世界からは理想の国と捉えられるかもしれない。しかし現実はそううまくはいかないし、世界には怪しい雰囲気も十分漂っている。

 かつては「子だくさん」だったが、その昔は成人するまでに亡くなる子どもあったため、子だくさんでなければ家が絶えてしまうなどという考えがあったともいうが、果たしてそうだっのかどうか。むしろ少子化の進むこの世は、先細りの不幸な雰囲気を醸し出す。わたしたちが自由と交換に不幸な世を手に入れた、とは思わないが、「生産性」という点で見れば、確かに不幸さが漂うことは事実だ。そしてそれが不幸だとは、多くの人々は思っていない。例えば昔は「苦労ばかりだった」などという年寄りの言葉に騙されて、今は「幸せ」と思っている人ほど不幸なのかもしれない。

 福澤昭司氏は『岩波講座天皇と王権を考える』(2003年 岩波書店)の中で「民俗社会と天皇制」について触れている。その中で「遊び日」を扱った古川貞雄『村の遊び日』(1986年 平凡社)を引用し、安曇郡成相村新田村の遊び日について触れている。一覧によれば遊び日は30日数えられ、このほか「願い遊び日」というものもあって、江戸時代後半に向かってそれら遊びは増加していくと述べられている。

 古川貞雄氏は後に増補版として同名の書籍を農村漁村文化協会より刊行されている(2003年)。その補論「村の休日研究のその後」において、「日本の近世農民も「遊び日」(祭礼日)、「休み日」(休養日)に労働不能日を加えると、やはり一〇〇日ほどになった」と述べている。もちろんそれは時代差もあれば地域差もあったようだが、けして休みがなかったというわけではない。同書の解説において結城登美雄氏は「恥ずかしいことだが今までの私は、日本の農村は貧しいと思い込んでいた。まして封建体制下の村、「生かさず殺さず」の農民政策。重い年貢。取り立て厳しい為政者。米を生産しながら食べられず、いつも凶作や飢饉の犠牲になり、日々あえぎながら生きなければならなかった江戸時代の村々。そしてその延長上に東北の過疎の問題をとらえてしまっていた。加えて、権力と民衆、富める者と貧しき者。その対立の図式からの解放こそが社会的テーマであるとのイデオロギーと史観にからめとられていたかもしれない。」と述べ東北をそう捉えていたというのだ。しかし東北の村々を訪ね歩くとともに、古川氏の「村の遊び日」に出会い、その捉え方が間違っていたことに気づいた。仙台藩は全国でも一、二を争うほど「遊び日」が多かったという。藩公認の休み日だけでも年間80日もあったという。そして餅を食べる日が多かったとも。それらは祭りの遊び日に食べたのだという。

 現代は昼間だけではない、夜も働いている人たちが大勢いる。にもかかわらず、生産性という面で捉えると低下しているようにも映る。本当にこの世は平和で幸せが満ち溢れているか、冷静に自己内省する必要がありそうだ。


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