Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

自殺の背景

2008-09-16 12:48:41 | つぶやき
 9月10日の世界自殺予防デーに因んで、毎年、9月10日からの一週間を自殺予防週間とされている。その最後の日が今日である。自殺については今までにも何度か触れた。自ら日記を検索してみると次のようなものが記録してあった。

 長寿「長野」とは言うけれど
 自殺のはなし

 厚生労働省大臣官房統計情報部人口動態・保健統計課のデータを伺ってみた。公のものだから転載させていただいても問題ないだろう。よく言われているように、最近は年間3万人以上の自殺者数を数えるという。交通事故死者数より遥かに多いことなどからも、国が自殺予防週間を設けて意識を高めようというのも解らないでもない。しかし、自殺に関してはなかなか簡単なものではない。交通事故におけるクレーム問題にしたって、公の機関はほとんど役には立たない。ましてや警察などというものは、ヤクザに脅されようとそれほど期待はできない。そんな経験もあるわたしは、公の機関はあくまでも癒し程度のものであって、本当に困っている際には行かないほうが良い、と思っている。余計なことを述べてしまった。いずれにしても自殺は身近にいるものにとっても解らない世界のものだろう。悩みは深い。








 若いころ「死んでやる」という言葉を何度も使ったことがある。けして自殺しようとしたわけではないが、それほどこの社会に対して思うところがあった。若い人たちがみなそうであるとは思わないが、まず親に対して、そして社会に対して反抗心を燃やすときが少なからずあっても不思議ではない。それを純真などという言葉で形容するのも正しくはないと思う。けして昔は自殺者が少なかったとは思わない。今以上に苦しい生活の人たちも少なくなかったはずだ。ところが最近身近で若い人たちが亡くなっている。それだけではない。もう少し長いスパンで見ても、わたしの周辺で若い人たちが次々と亡くなっていっている。原因はなぜか、解りはしないが、そんな現実を見る限り若い人たちに自殺が増えているのかなどという印象すら持つ。ところが自殺死亡率の対10万人当たりの死亡率を見る限り、近年若い人たちが自殺に走っているという傾向は見られない。とするとわたしの身の回りでの現象は何なのだろう、などと考えてしまう。各県別の自殺者数データは公表されているが、果たして自治体別のデータというものはあるのだろうか。

 高年齢層において男性の自殺者数が増えているという。生活苦が理由の最たるものと言われるが、わたしの印象では若い人たちの方が目に付く。全国的なことだからこの地域がどうなのかといえば異なるのかもしれない。ただ、そんな印象では何も言えないが、自らの息子を見ていても思うが、世間に対していかに対抗していくかという時に、難しい面が今の若い人たちにあることは言うまでもない。かつてのようにおおらかな社会性はない。数字で求められるのは学校ばかりではない。学校は数字が出なければそれなりに目標を下げれば良いだろうが、社会はそうはいかない。そうした弱さが、現代の若者の就業状況を招いている。それをわたしたちは若者のわがままとは言えない。それほど社会からおおらかな心が消えているということである。逃避することで自殺が抑制されているとしたら、これほど悲しいことはない。生活苦のようなものはその理由がはっきりとする。しかし、若者の突然の死の背景は霞んでいる。そう思う。だからこそ、何よりも若者の自殺に対して、社会はもっと重要視するべきである。
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