Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

情報に対しての住民の義務

2006-02-28 08:13:46 | ひとから学ぶ
 もう何年も前のことである。ある宴会である役場の方と言い争ったことがあった。公的な情報がいろいろ流れているが、一般の住民には情報をつぶさに読んで認識する余裕はないし、とくにどういう制度があるかなどということはなかなか公的文書を読んでも理解できないじゃないか、とわたしが言ったことに対して始まった争いであった。そして、わたしはわかったとしても、ほとんどの住民はわからないんでは、ということに対して、「そんなことはない」といい、「住民にはそうした情報を受ける権利もあるし、そうした機会がある以上、住民もそうした努力をしなければならない」という。わたしにはどうしてもこの言葉には、理解が示せなかったし、ではそうした情報に熟知している公務員は得をしているじゃないか、とまでは言えなかったわけである。

 長野養護学校を長野市に移管するという話を、長野県会で突然田中知事が切り出して、問題ありということを2/26付信濃毎日新聞社説で述べている。長野市出身者が8割以上である実情から市への移管を切り出したようだが、つまるところ、県に金がないなかで何を切っていくか、という短絡的な発言に聞こえてならない。社説でも述べているが、それなら県が行なっている18ある障害を持つ子どもたちの学ぶ施設全体の課題を詰めてからのことではないか、という記事は正しい。もっというなら、ならば長野県が公的に何を行なっていかなくてはならないか、というところを精査してからのことではないかと思う。いっぽうで話題となっている高校再編問題も考えてみれば同様であり、つきつめれば、高校は県立でなければならないのか、ということにもつながる。いったい公営とは何か、ということである。

 さて、松本市で指定管理者制度で運営しているある施設が、当初予定より赤字が大きく、松本市が補填するという記事がちかごろみえたが、この指定管理者制度による運営というものがこのごろ多くなっている。地方自治法で同制度が導入されたのが平成15年であるから真新しい制度であることはわかる。民間でも運営可能な公営施設を、民間の能力を活用しつつ、住民サービスの向上を図るとともに、経費の削減等を図ることを目指している、ということである。小泉改革のひとつなのだろう。しかし、地方にあっては、補助金でたくさん作った利用度の低い施設を、民間に手放してなんと経費節減しようというのが狙いになっていることは確実である。いずれはそうした施設以外の部分も指定管理者制度に移行されていくようで、いってみれば住民サービス低下につながる、なんていうことも自治労のHPなどには掲載されている。やはりケースバイケースであって、良い面もあれば悪い面もあるのだろう。いずれにしても、どうみても必要だと思ったもののそれほど利用価値がない施設を作っておいて、「管理は頼むな」的な放り出し運営がこのごろ多くはないだろうか。いっぽうでは、前述の養護学校のように必要な施設がたらいまわしにされる。いや、たらいまわしと当事者は思っていないだろうが、公な部分で論議されるべきものなのだろうが、銭がないといって運営主体を切り離そうとしているのだから、同じようなものだというわたしの判断である。そして、役所は放り出すだけ出しておいて、口だけ出しているのならこんな楽なことはない。

 冒頭の話に戻るが、どう考えても役所の人たちは公的情報の先端にいる。それを特権として認識していないとしたら、認識不足である。どんな種類の仕事をしていても、自分のやっている仕事に対しての情報はたくさん持っている。だから役所の人たちには役所の人たち特有の情報があってあたりまえで、加えてそれは地方とか国とかが何を目指しているかという面においては、新聞などの報道以上に詳しいはずなのである。まあ、それを認識してないとしたら、そういう役所の人はベルトコンベア―の上を流れている文書に押印しているだけの人だろうが。

 なお、情報の告知ということについては、「全国民に告知する方法」でも触れた。
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