Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

耳かき店

2006-02-26 12:17:41 | つぶやき
 ビックコミックオリジナルを家族中で読みまわしている。全員が全編を読むわけではなく、それぞれが読む記事があってまわし読んでいる。妻が最近号を読んでいて、「山本耳かき店」を読んだか、と聞く。なにしろ耳かきに関してはうるさいわたしである。認識していなかったが呼んでみて、なかなか笑える。耳かきをすると確かに気持ちが良い。だから辞められない。そんな気持ちを不思議とかきたててくれる読み物である。ここに登場する女の子は、耳かきをしすぎて内耳でかさぶたになっているようだ。医者に耳をかかないようにと止められてはいるものの、どうしてもかきたくなる。そこで、耳かき専門店に行くわけだ。妻に「そんな店世の中にあるの」と聞くと、「あるってよ、飯田にも」という。「へー」と、またまた屁をこいてしまった。

 妻に「いいかげんにしな」といわれるくらい耳かきが趣味である。この漫画に登場する女の子ほどではないかもしれないが、ときおり強くかきすぎて血がにじむことがある。「まずい」と思いながらも、そのままかきつづけてしまうこともある。幸いにも内耳にかさぶたができるほどかいたことはないが、かきすぎのためだろうか、耳の中が「ぼわーん」としているときがある。居間には耳かきが常に何本かある。以前は妻がその耳かきを隠したりしたが、最近はあきらめている。耳かきもそこらの店で売っているものではいまいちなのであるが、道具まで凝るほどまでは達していない。

 今年になって事件があった。実はこのところわたしの愛用の耳かきは、「ののじ」という鉄製の柄に鉄線のループが3本張ってあるものだった。わたしが買ったわけではなく、妻がどこからか手に入れてきた。この耳かきがわたしには最もあっていた。鉄線のループが強くかこうとしても弾力があって曲がってくれるから、内耳に傷をつけることはない。そして、その弾力のある感触がとても気持ちよいのである。ところが、やはりというか強くかき込むため、ループを支えている部分が劣化して切断してしまうのである。支えているふたつの支点が同時に切れるということはないのだが(そんなことがあったら大変だ。耳の中に鉄線が残ってしまって、医者にでも行かなければ取り出せないだろう。)、片方切れてしまえば切れた鉄線がじゃまになるので、もう片方も切断して使う。3本が2本になって、だいぶ気持ちよさが減退してきたころ、事件は起きたのである。残った2本の鉄線が再び切れてふらついていた状態で、やめればよいのに「浅いところならだいじょうぶ」と思ってそのまま耳かきを始めてしまったのだ。鉄線の太さは零点何ミリという世界だから、内耳にそんなものを突っ込んで引っかかれば自分の肉に刺さってしまう。まさにそれが起きたのである。その日は妻が不在で息子がそばにいたので、耳の中をのぞいてどこに引っかかっているか見えないか、と頼むのだが、そんな事態が起きることそのものが想像できないから、どこをどう見ればよいかがわからない。しばらくしてなんとか刺さっていた鉄線は抜けたが、妻が帰ってきて「それみたことか」状態に、自ら反省。とはいうものの、その耳かきの鉄線を1本にしてしばらくまた使った。今はその1本も切れてしまって愛用品は葬られたが、その耳かきでかいたときのイメージは、今でも覚えている。

 わたしはのべつ耳かきをしているから、耳かき店では満足できないが(耳かき店を出られなくなってしまう)、人にかいてもらったらどうなんだろう、なんて思ったりする。確かに子どものころは、耳かきをしようと子どもがものを耳に突っ込むなんていことは危険だったから、耳を掻いてもらうというのが普通だったが、必ず母の役だった。母のひざの上で耳をかいてもらう、なんていう縁側に猫を抱いた婆さんが鎮座しているような風景が懐かしい。
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