Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

事念仏

2006-02-07 08:18:07 | 民俗学
 まもなくこと八日である。こと八日周辺には行事が多い。妻の実家のある集落では、いつごろから始められたかわからないが「事念仏」と称される行事が毎年2月9日の晩に行われている。宿の家が定められていて、家並の順に隣の家へと毎年引き継がれてていく。地区内には120戸ほどあるから、120年に一度宿が回ってくるという勘定になる。午後7時ころ各家から子どもや大人が集まってきて、宿の主人のあいさつで事念仏が始まる。襖をとり払った二間続きの部屋には十メートル以上もの数珠がおかれ、輪の内外二重に身体を寄せ合いながら子どもからお年寄りまで入り乱れて座る。そして円陣の内側に鉦をたたく音頭とりがはいる。これは組長が務めるという。この音頭とりの合図で「南無阿弥陀仏」の大合唱が始まる。数殊は麻縄に丸い珠をたくさんつないでこしらえてある。数は数えきれないほどたくさんで珠の径は二センチぐらいである。「南無阿弥陀仏」の音頭に合わせ数珠を右回りに少しずつ回していくが、この中に二つ少し大きめの珠があって手繰りで回すうちにこの大きな珠が回ってくる。この大数珠がまわってくると額にあて、一年間の無事を祈る。子どもたちの中には大数珠を離そうとせずにふざける者もいて綱引きを始めようとする子どもが出てくる。「大きな声でやらんと風の神がでてかんに」という当屋の主人の声がかかるとそれに応えるように人々の声が揚がる。
 数珠の回す回数や念仏を唱える回数も決まっていないようで、音頭とりがころ合いを見計らって15分程すると合図をして終る。終ると宿の家で用意された料理を肴に大人たちはお酒をくみかわし、子どもたちにはお菓子が配られて御札をもらって帰途につく。御札には「奉唱大念仏百万遍」と書かれている。これら一切の費用は宿の家が負担している。地区内の戸数からいけば、一生のうちに一度回ってくるかこないかということになる。だからこそ、回ってくればご馳走をして振舞う。
 翌朝各戸ごと「御事送りの神」「御悪事送り」などの文字と、家族の数の「馬」の文字が書かれた半紙を竹笹につけたもので家の中をお祓いする。お祓いは「風の神出ていけ」などと唱えられて家中をまわる。そして各戸から捨てられた竹笹は道端に立てられる。これらの竹笹は、10日の午後、当番の者が上の地区から集めてきて飯田市下久堅境へ捨てられる。
 以上が行事のおおよその流れである。10年ほど前に念仏をあげる会場を訪れたことが何度かあったが、子どもたちが主な参加者で、ほかに当番の宿の周辺の年寄や常会の大人が集まる。昔は地域の子どもたちの数も多かったため、数珠の内と外に並んで座るが、数珠を握ることがやっとだったという。大勢の人が集まるということで、床が抜けては大変と、宿が回ってくると、床下の支えを増やして抜けないようにしたという。今でも宿がくることがわかると、家を改修したり、場合によっては建て直すなんていうこともするようだ。
 さて、今年の宿の家では隣接して集会所があるということで、自宅ではなく集会所を会場にするという。今までそんなことはなかったという。確かに大変な行事ではあるが、ずっと引き継がれていたのに変な前例を作ってしまうこととなる。一生に一度回ってくるかこないかという宿なのだから、自宅でやってほしいという願いもあるが、果たしてこれからどう変化していくのだろうか。
 こと八日の行事について扱ったページを参考にされたい。
 ■歳時記
 ■松本市入山辺のこと八日行事
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