Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

田中康夫県政その②

2006-02-12 00:13:02 | つぶやき
 BLsさんにコメントをいただいて、思いついた第2段です。

 田中知事の登場は、あきらかにチャンスだったと思う。それは何か変化を求めたためでもあるし、当時長野県は自民党よりも民主党が強かった。それほど違う空気が流れ始めていた(本当は民主党が強かったのは、それまでの自民党にいた議員がたくさん民主党に鞍替えしたためになったもので、本質は変わっていなかったともいえる)。ある意味、田中康夫という人でなくてもよかったわけだ。しかし、現実となった田中知事は、明らかにわたしに言わせると「よそもの」だった。その後の行動で良識ある県民は、「この人は長野県に骨を埋める人ではないからパフォーマンスが多い」と気付いたはずだ。加えてお気に入りの人しか回りにおかず、そうでない人はどんどん遠くへ飛ばした。ようは意識改革できた人は身近において、変えられない人は「もういいよ」というのならまだいいのだが、メールで針を刺すような人を盛んに大事にした。県職員の関係がうまくいかなくなったのはそうした人間関係の始まりである。同じようなことが議員との間でもあったから、議会と知事が対立するようになるのも必然であった。と、ちょっと県に近いところにいると、そのくらいの知識はある。

 さて、話は変わる。
 会社のまだ20代前半の女の子とこんな話をした。

 わたし「田中康夫ってどう」
 彼 女「『しなやか』でいいじゃないですか」
 わたし「??????? 『しなやか』って何、どういう意味なの」
 彼 女「???????」

 田中康夫の後援会に「しなやか会」というものがある。当選当初、さかんにこの「しなやか」という言葉を使った。ようは柔軟性のある県政を目指すという意味もあっただろう。わたしはそう認識している。ところが彼女が「しなやか」でよい、というので、ではその「しなやか」とはどういう意味なのだ、と質問したのである。彼女は考えた末に「やわらかい」ところ、という。「田中康夫の何がやわらかいの」と聞くと、またしばらく考えたが、具体的にはいえない。思わずわたしが「やわらかいって身体がやわらかそうっていうことかな。確かに体型からみるとナヨッとしている感じで柔らかそうだよね」というが、いまいちよく彼女のイメージと一致しない。「しなやかな県政っていうけど、どういう意味」とまたまた質問するが、まったくイメージがわかないようだ。
 実は田中康夫になってから、口から意味不明な言葉がたくさん出てきた。とくにいけないのはカタカナ文字で、意味を説明されても爺ちゃん婆ちゃんにはこの彼女同様にイメージはわかなかったはずだ。知識豊富な人は理解できたかもしれないが、県民の多くはわからなかったはずだ。知識のない、あるいは学歴のないものを馬鹿にしたような「騙し」としかわたしには思えなかった。

 彼女にいろいろ県内のこと、国内のことと聞いてみたが、新聞を読んでいないから情勢はほとんど認識していない。「少しは勉強したほうがいいよ」と思わず言葉が出たが、わたしの本音である。そして「そんな何にも認識していない人に選挙権があっていいのかなー」というと、「ほんとですね」という。これは珍しい話ではなく、もしかしたら、多くの選挙権を持つ人のかなりの確率で似たような人が存在しているのかもしれない。だからこそ、この夏に控える県知事選挙の対抗馬を、なかなか出せない各界の関係者の悩みが見え隠れする。どんなに田中支持率が下がっても、いざ選挙になると結果はわからないぞ、という不安が大きいからだ。
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