Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ご朱印

2006-02-13 08:22:18 | ひとから学ぶ
 会社での雑談で京都の話をした。長野県の南部にとっては京都はそれほど遠いところではないが、長野あたりからみればずいぶん遠いイメージがある。若い女の子でも今までに行ったことは、と聞くと、修学旅行ぐらいしか経験がない。なかなか遠い地ということなのだ。息子が今年は修学旅行に京都へ行く。家族旅行で何度も訪れているから、真新しさはないが、もともと京都が気に入って行っていたものだから、息子にとっては何度行っても楽しみだろう。その京都での行動は班行動ということで、5,6人の班で行きたいところを選択する。クラスに6班ほどあるが、それぞれの行き先が一覧になって配られた。北野天満宮とか銀閣寺、清水寺、三十三間堂といったメジャーなところを中心に組まれているが、中には何それ?・・・というようなところもある。何度も行っている妻もよくわからない「だるま寺」。「えっ、どこにあるの」とは妻の言葉で、わたしも知らない。京都駅ビルに行くのを楽しみにしている妻の友人の娘は、そこでプリクラを撮ってくるのが一番の楽しみだという。

 さて、雑談で京都の話をしながら「朱印」の話をした。「何それ?」という話になったが、実は息子の大切なもののひとつに朱印帳がある。どんなものかといえば、写真のようなものである。B6判程度の大きさで蛇腹式の帳面を売っていて、その一面に寺ごとに朱印を書いてもらうのである。帳面のない場合は、同じくらいの和紙に書いてくれる。全国すべて共通かどうか知らないが、ご朱印一枚で300円である。息子がはじめてご朱印をもらったのは、平成13年9月9日の鎌倉長谷寺のものだった。それまでにも寺はたくさん訪れていたが、なぜか長谷寺で目にとまったご朱印所にひかれて始まったのである。その日はすでに何か寺か訪れていたのだか、「もっと早く朱印に気がつけばよかった」と息子は残念がっていた。それ以来、ご朱印のある寺を訪れると、ご朱印をいただくというのが楽しみになった。

 朱印を集めるようになって、また別の発見もあった。本来朱印というものは「ご納経」といい、写経を納めることが始まりだったという。それが簡略化して、参詣の証としての印のようなものになったわけである。朱印に気もかけなかったころは気がつかなかったが、見ていると、参拝もろくにせずに朱印だけもらっていくという人も確かに存在する。朱印コレクターともいえるが、そうなってはいけないよね、といって息子には教えた。息子が自分で欲しくてもらっているものだから、寺に行くと自分でご朱印所に行ってお願いしている。なかには朱印をしてくださる方といろいろ話しているようで、口下手な息子にとってはそれも経験だと思うようになった。上田の安楽寺に何年か前に訪れた際、朱印のもらい方が良いと誉められた。息子に言わせると、どこかの寺で朱印のもらい方を教えてくれたという。いきなり袋に入った、あるいは帯のかけてあるまま朱印帳を出す人がいるが、いただくという気持ちなのだから、帯などははずすのはあたりまえで、書いていただく面を開けてお願いするものだ、と教えられたという。知らない間にそんなことを教わっていた。また、はじめて間もないころには、落としたりあるいは朱印をお願いしたときに大勢いたりすると、誰のものかわからなくなってしまうということもあるので、必ず名前を入れておくようにと教えられた。
 朱印が趣味なんていうと年寄じみているが、つながって記されていくから、思い出すにはわかりやすい記録である。息子がはじめたことで、わたしが一人で訪れたときには、自分の朱印帳にもらうようになった。めったにもらうことはないが、息子の真似をしているのである。

 写真は息子の朱印帳から、六波羅蜜寺の朱印である。この寺は京都東山区にある小さな寺である。もっとも印象深いのは空也上人立像で、口から六体の弥陀が現れた姿を現した像は、写実的で忘れられない姿である。近くには六道珍皇寺があるが、息子のクラスでこの寺を訪れる班がある。家族中が「今行っても何もないのに誰が行くって言ったんだろう」とびっくりしてしまった。そういうわたしも家族で行ったが、京都に詳しい妻もそれまで訪れたことはなかった。六道参りで有名な寺で、普段はほとんど訪れる人はいない。
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