たいして、親らしいことは言わなかった父だが、小さいころはよく遊んでくれた。とくに野球はよくやった。道でキャッチボールするのだが、田舎だからボールをはじくと、水田に入ってしまう。田植えのように拾いに行くのが面倒で、狭い庭でやるのだが、ワシがでかくなってくると狭いからいよいよできなくなった。
ひと工夫して、軟式野球ボールを卓球のピンポンに替えて野球をしたが、これに熱中した。小学校の3~4年くらいだろうか。当時の文集に、「お父さんとピンポン野球をした」などと書いてある。女先生が「ピンポン野球って何?」なんて赤字で書いてあったりする。
ピンポンで投げると、変化球がすごい。グーンと曲がったり落ちたり。曲がるかと思えば直球だったり。狭くても十分楽しめた。すっかり忘れたが、ヒットやアウトのルールを決めて二人で、それこそ、夏など、ばんめし食った後も夜9時過ぎまでやったものである。父は熱中のあまり、庭に大きな電燈を備え付けた。あほである。
FC東京の阿久根社長は、早実、早大の名選手だったが、少年野球の指導で小さいボールを取り入れてミート力を高めさせたそうである。はからずもワシは自然と父とのピンポン野球でそれをやっていた。小さい球だから、大リーグ養成ギブスをつけているようなもので、ふつうのボールだと楽に打てる。曲りなりに大学まで野球できたのは父のおかげである。