湯西川日記

fbやツイッターで一年サボりましたが、やっぱりブログです。2016年から復活します。ツイッターの長い版みたいな感じです。

地震13

2011-03-31 22:38:37 | 学習

今日、サルコジ大統領が中国へ行くついでに日本へ寄ってくれている。フランスは原子力開発の超先進国だとかで、原発問題収束に向けて全面的に協力することを約してくれたらしい。非常に心強いことだ。すでにアメリカが各種支援をしてくれている。

原子力エネルギーの見直しが今後、世界レベルでフクシマを契機に行われることは間違いないだろうが、水力、火力に比べると、原子力エネルギーのほうが格段に効率が良い。各国の行政としても原子力エネルギーをできれば積極的に活用したいと考えている。

フランスでいえば、電力資源の70%以上を原子力に頼っている現状、イメージの悪化を防ぐ意味でも事故の早期収束は思惑が一致する。アメリカにとっても同様である。要するに福島の問題は世界レベルで解決しなければならない問題だと認識されている。

日本としてもこれを利用して、言い換えれば、甘えれるところは思いっきり甘えて支援を受け入れることである。原発事故は一刻も早く、最優先で解決を図らなければならない。復興財源、責任問題や賠償問題はその後でよい。過去の歴史や面子などにこだわって万が一にも解決が遅れるようなことのないようにしなければならない。


地震12

2011-03-30 21:24:18 | 学習

今回の地震で一番がっかりさせられたのはテレビ、新聞の連中である。がっかりを通り越して怒りに変わっている。地震関連では変わり映えのしない同じような内容の報道を延々と流して、原発の問題では恐怖をあおるのような報道の連続。高校野球が始まったら被災地からの出場校の過剰なまでの取り上げ。

とくに、あの東電や原子力保安院や枝野長官の記者会見のときの質問のくだらないこと。別に彼らをかばうわけではないが、この非常事態において手続き的にやむをえない点はあるし、そのことを追及することにいったい何の意味があるのだろうか。

連絡が硬直的でうまくいっていないのはどうしてだとか、初期動作に遅れたのではないかとか、まだ解決していないことを、たなざらしにして後ろ向きで役に立たない質問ばかりである。よくよく聞いてみると、勉強不足で、自信を持って質問できるのがそういった愚にもつかない質問しかないようである。

くだらない質問の連続で、いままさに対処を迫られている原発事故という重大な危機に対して、万に一つでも政府や官庁、東電の判断がゆがめられるとしたら、メディアの犯す罪はあまりにも重すぎる。原発関連の記者会見はある程度のレベル以上の記者に質問を限定すべきであろう。場合によっては池上彰氏に毎日代表質問させてもよい。


地震11

2011-03-29 22:39:35 | 学習

石神井川の桜。一部開花している。春はもうすぐなのに。気が晴れない。地震による被災地のこともさることながら、重くのしかかるのは原発である。チェルノブイリみたいにずさんな管理の結果の事故と同じにみなされるのが国辱といってよい。いくら旧ソ連とちがうといっても結果の重大性は同じだ。

一部の報道では石棺化の話が出ているようだ。そんなことになれば、狭い日本の国土の一部に立ち入り禁止区域ができることになる。行ったこともないけど、美しい南東北の太平洋岸にタブーのような土地が生じるなんて、日本人としてあり得ない話である。なんとか食い止めてほしいと思うばかりだ。

それにしても、今となれば遅いが、原子力エネルギーの必要性についてもっと真剣に議論すべきであっただろう。想定外の事故が起きた、というだけで済む話ではない。いくら火力や水力に比してコストが安いからといっても、いったん今回のような事故が起きれば、どれほどのコストが将来にわたって発生するのか見当もつかないであろう。いったん事故が起きれば、原子力はクリーンだなどということがただの神話であったことがわかる。

もう遅いが、日本には、ほかにも原子力発電所がいくつもある。その多くは70s vintage nuclear plantである。安全性をもう一度見直すこと。日本だけではなく、世界中の武力、非武力にかかわらず、いったん原子力で重大な事故が起きたら、取り返しがつかないほどたいへんなことになるということをもう一度考えなければならない。それがFukushimaの教訓にならなければ嘘である。。


地震10

2011-03-28 22:33:17 | 学習

いったいどれほどの災害だったのか。何となく、実はぼやけている。大変な災害であったことは、未曽有という言葉の通りなのだが。原発の問題が片付いていないということで余計にぼやけてしまっている。2万人を超えるほどの人たちが命を奪われたというのに。あまり実感として把握できない。そのことにものすごく危機感を抱いている。

20年~30年くらい前であれば、もう少し実感があったと思う。当時は生々しい写真が平気で報道されていた。いま、こうして災害の実感がわかないのは、ずばり、遺体が映されないからだろう。遺体がないから、人の死が実感できない。押し流される家々や建物、自動車。そういうものしかうつされない。がれきや残骸、市道に乗り上げた漁船など。たいへんなことはわかるが、人の死が伝わらない。想像するほかない。

半数近くの児童が犠牲になった、130人くらいの小学校。わが子をがれきに探す、若いお母さん。遺体を確認すべく棺を開けて回る遺族の方々。悲しみが想像でしかわからない。数少ない、身内の死の体験を思い起こすしかない。でもそれでは、彼らの悲しみはわからないだろう。

悲しみがないのに、復興だのチャリティだの。なんだか申し訳ない気になる。被災地にいない人間は被災地の皆さんの悲しみを想像するほかない。そのことが、いらだたしい。


赤羽月例

2011-03-27 10:23:20 | 学習

赤羽月例終了。タイム取り忘れた。最悪。たぶん47分前半。まずまず。天気がよくて、走れば肌寒さも忘れる。来週くらいには堤防の桜も咲き始めるだろう。こんなに気分良く走れるのは久しぶりだ。

赤羽月例マラソンは、先月が青梅で欠席し、2か月ぶりだった。思えば、1月のときは、上の娘の推薦入試の発表日で心配しながら走ったものである。下の娘も受験前で気が気でなかった。そんな時にマラソン走るなよ、という声もある。

2か月たった今月、娘たちの受験も終わっていてすっきり走れた。1か月2か月たてば、いろんなことも状況は好転しているものである。自分の努力が及ぶことであろうとなかろうと。無責任であるが、時間が解決してくれることもある。

来月、再来月、赤羽を走るときには原発問題も好転してくれていればよいのだが。


地震9

2011-03-26 22:27:17 | 学習

現金寄付はぼちぼちと千円単位で続けている。それでも気がおさまらず、おむつをひとパック、近所のドラッグストアで購入して、お茶の水のサッカーミュージアムに持って行った。サッカーファンの有志団体がとりまとめて仙台に運んでくれることになっていた。

行ってみて驚いたのは、もうあふれんばかりに若い人が集まって、集配や分類を手伝っていることであった。どうみても、人が余っているみたいで、駅や順天堂病院の角に道案内に立っているほどであった。おそらくは、作業への人の割り当てが十分になっても、それでも何か手伝わせてほしいという人たちが残って手伝っているのだろう。

みんな何か、役に立ちたいと思う気持ちがあるのだろう。とはいえ、直接被災地に行ってお手伝いをすることは難しい。被災地ボランティアなどといいうと、なかなか難しい面もある。かえって、被災者の人に迷惑になってしまったりする可能性もある。ワシも、節電して、買い占めやめて、おカネさえ寄付できればよいと考えていたが、理屈でわかっていても気が収まらない。

この点、直接的に人命救助や復興の仕事ができる技能のある方々はすばらしい。お医者さんや自衛隊や電設、建設関係のお仕事の技能のある方々だが、仮に自分が、そういう仕事に就いていて技能があっても、被災地で足手まといにならずにやっていけるかというと、やはり自分には難しいと思う。体力や気力の面で到底及ばない。

ボランティアの話はさておき、掘り下げて考えてみれば、現状自分ができることをできる環境で仕事をさせてもらっているわけで、適材適所的にいるということもいえる。立ち戻って考えれば、できることをしっかりやること。それしかない。ときどき募金や物資寄付を続けて、困っている人たちのことを思いながら。


地震8

2011-03-25 19:12:34 | 学習

ちまたで、節電、節約についての誤解が散見される。某武蔵野市議(さえ)も間違っていた。ワシ自身も間違っているかもしれないが、以下、整理しておく。本来は、教え子のシンタロウ君に向けて書いたつもりだが、彼はたぶん読まないだろう。また、間違っていたら、何卒ご指導願いたい。

①深夜に節電しても意味がない。

この際、夜間のコンビニや24時間営業をやめさせたら節電効果あるのではないかという人がいるが、これは意味がない。

節電の目的は、東京電力のプレリリースによると、「予見性ないまま大規模な停電に陥いることを防ぐため」とのことである。福島第一原発が稼働しないことにより、供給能力が落ちたためである。

http://www.tepco.co.jp/cc/press/11031404-j.html

したがって、電力需要の落ちる深夜に、さらに需要を落としても意味がない。

②関東で節電したらといって、被災地域に電力が回せるわけではない。

福島県、宮城県、岩手県の電力は、東北電力が供給している。したがって、東京電力の電力需給がどうあっても、被災地の電力とは何らの関係もない。 計画停電は被災地に電力を優先的に供給する目的で行われているものではない。あくまでも、上記のとおり、関東地域での「ブレーカーが落ちる」のを防ぐためだ。

さらに、電気は石油のように貯めておくことができない。いくら節電しても、その分を被災地域に回すことはできない。

③九州や関西、四国で節電しても、被災地域に電力が回せるわけではない。

上記のとおり、被災地域3県の電力供給は東北電力が行っている。したがって、九州電力、関西電力、中国電力、四国電力、中部電力で節電、すなわち需要を落として供給過多になったとしても、東北電力とは関係がない。九州や中国地方で節電を促すチェーンメールが流れたらしいが、デマであることは明らかである。

エコの観点からいえば、人のいない部屋の電気を消灯するのはよい。ただし、このことは震災と何らの関係もない。

④何でもかんでも節約すればよいわけではない。

買いだめはよくない。被災地域で需要のある生活物資が無意味な買いだめで市場から少なくなって、いますぐ必要な地域に物資が回らないことが問題である。しかしながら、それ以外の物資や商品の買い控えが生じると経済が沈滞する。そうなると、海外からの投資が入ってこなくなる。ますますGDPが低下する。GDPが低下すると財源がなくなる。今後、復興に向けて必要な資金が調達できなくなる。このことは非常に重要なことである。

要するに、ミネラルウォーターの買いだめは断じてやめねばならないが、自動車や住宅の買いだめはウェルカムである。そんなやつはいないだろうが。

「今いらないものは買うな」とACのCMでやっているが、これは必要生活物資の買いだめをやめろといっているのであり、余分だと思っても、ユナイテッドアローズで目についた気に入ったシャツを衝動買いするのは、むしろ良いことなのである。


地震7

2011-03-24 22:51:53 | 学習

福島第一原発が気になって仕方がない。あたりまえだが。今回の地震で、原発の問題がなかったら、ある程度切り替えていけたような気がする。原発が予断を許さないようなことが日々報道されて、放射性物質の汚染が深刻に報道されているような状況で、復興ムードや元気を出してゆこうというムードが盛り上がっていないのが実際だろう。

何とか、1~4号機の冷却機能が復旧して、安定して稼働、もしくは廃炉されてくれる見通しが立ってほしい。安易に楽観することはよくないが、悲観するほどでもないような気がする。停滞をはさみながら、徐々に電源が回復し、安定制御に向かっているし、あとは突発的な爆発やアクシデントがなければ。何もできない立場では祈るしかないが、本当に祈っている。

一方で、放射能について無知であるがゆえに、無意味に恐れていることで過剰に風評被害の規模を大きくしている事のほうが問題だろう。水質、食品、土壌汚染。基準値を超えたからといって、そもそも、それがどういう意味を持つのか、どういう影響があるのか正確に理解できていない。これは怠慢ではなく、情報がはんらんしていて、正しい知識が得られないためである。

ワシが認識しているところは、成人であればほとんど放射性物質の影響はないらしいということである。根拠はよくいわれる、1986年のチェルノブイリの事故後の追跡調査の結果であるが、単細胞な理解ではなはだ恥ずかしいが、実地データの結果なので、その信ぴょう性は高いと思っている。心配なのは乳幼児であるが、ここについては政府の指示に従うしかないのではないかと思う。いずれにせよ、あまり悲観的に考えて精神状態を悪化させるくらいなら、もう割り切って考えたほうがいい。放射性物質より、もっと体に悪いものはこの世の中にはいくらでもあるのだから。


自分で考えること

2011-03-23 22:14:40 | 学習

今回の地震でよくわかったことは、テレビ、新聞、雑誌の情報が当てにならないことである。これらのソースの頼らなくても、ネットの情報量で十分すぎる。ネットの情報量で十分すぎて、普通の情報を流しているだけだと存在価値がないから、負けじとメディアが毒々しいまでに恐怖をあおる。

かくして、何が正しいのかよくわからない。何が正しいのかよくわからないが、信頼度はわかる。朝日新聞に書いてあることより、原子力保安院の発表を直接聴くほうが信頼度が高い。アエラを読むより、枝野長官の話を聞くほうが間違いは少ない。もちろん信頼度が高いからといって、うのみにはできない。

とりわけ、福島第一原発の事故については、さらに自分で考えることが必要である。ヨウ素やらセシウムやら、理科系の人間でなくても、化学を学んだことがなくても、この場に及んで一から勉強しなおす必要はない。耳学問で推測しながら仮説を立ててゆくことは可能である。その仮説が正しいか。情報量が増えるにつれて何となくはっきりしてくる。

いま、わからないなりに、自分で考えている。東京にいて安全かどうか。水道水を飲んでよいかどうか。ほうれんそうを食ってよいかどうか。他人に聞いても答えは返ってこない。自分で判断して結論を出すほかないのだ。そうしていかないと何かあった場合に後悔することになる。後悔するのはいやだ。マスコミに流されず自分で考えることが、これからは何よりも大事だと思う。これは何も今回の原発事故に限ったことではない。