夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(37)

2005-10-01 | tale

 彼だけを追いかけていると、どうも碌なことがないので、三姉妹間の紛争に戻ろう。さあ、9月になってしまった。菫の結婚式の10月10日までもう1か月しかない。鳥海家から招待状は全部発送した(返事も来始めている)、羽部家を除いては。どうしよう、どうしたらいいのか、夏の間、なんとなく先のことだと先送りしていたのが、9月になったとたんに薫も光子も焦ってしまい、何がなんだかわからなくなってしまった。達子に相談しても一緒になっておろおろするばかりで、なんの役にも立たない。ほとほと困ってしまい、ただでさえ式の準備の雑事で神経質になっている菫に話を持ち込み、「いい加減にしてよ」と泣かれてしまう有り様である。

 親の権威台無し、面目丸つぶれといったところであるが、そんなことに気付くような夫婦ではないのが救いと言えようか。その様子を見ていた童が夏休みが終わって下宿に帰る際に、菫に何やら入れ知恵した。「だって、そんなんじゃ」、「いや、だからそれでいいんだ。大丈夫」などと二言三言、やり取りをしたあと、菫も納得したらしい。
 ちょうどひと月前になって、まだ両親が解決できないのを見て、夕食後、菫は次のように両親に言い渡した。

「結婚式はあたしと彼の結婚式よ。当たり前だけど。両家のなんて言わないでね。あたしがいなけりゃ、あっちだってうちと関係なんてないんだから。……だから、あたしは栄子伯母さんと伯父さんに来てほしいんだから、二人を呼ぶわ。パパとママがいやだって言うなら、その分あたしの友だちを減らせばいいでしょ? じゃあ今から伯母さんちに電話するから、いいわね?」
 この娘の宣言にパパとママはあっけに取られるとともに、光子は希望の光のようにも思った。
「まあ、待て、落ち着け。おまえの気持ちはよくわかった。あとはおとなに任せておけ。明日おれから電話する。……」
「明日じゃ、絶対ダメ。あたしが今電話する」
「何を興奮しているんだ。今一体何時だと……」
「まだ8時半よ。興奮しているのはどっちよ」
 ここ何日かあまり寝ておらず、早くも目を泣き腫らした光子が叫ぶように言った。
「わかった、わかったから、もうやめて。ママが電話するから」
 受話器に取り付いた光子がぶるぶる震える指で、1、2回間違いながらダイアルした。薫は妻の様子を渋面を作って見ていた。その表情とはうらはらに、自分が気恥ずかしいことをしなくてすんだことで内心では安堵していたのだが。菫は、あいつさすがにあたしの弟だけのことはあるわと思っている。

 それからはいつもの仲直りの図である。お互い電話を待ちに待っていたのである。まあ、日本語を喋っていなくてもいいくらいなんである。電話口の両方で、わあわあ泣いて、それでわかり合えるのだ、人の親だから、姉妹だから(同じ理由で仲違いしたのだが)。もちろん席は用意されているのだ、輪子の分まで。おまけに光子が達子に電話して(涙まじりの照れ笑いといった会話である)、3家族で仲直りの食事会までがセットされた。結婚式まであと3週間だというのに。忙しい菫や下宿から2時間かけて出て来いと言われた童などは、いい迷惑である。「あんたが蒔いたタネなんだから」と姉に言われてしまい、童もそういう考え方もあるのかと思い、渋々ながら出席した。

 そういう意味では、宇八もとばっちりを食った口である。自覚というものがない連中と付き合うのはこれだから疲れると思いながらも、うまいものが食えるならと我慢していたのだが、なぜかインド料理店でということになっていた。これも神の配剤だとしたら、どの方面の神の業であろうか。たぶん、式はフランス料理だからと思っていたところに、輪子が「カレーが食べたい」と言ったとか、そういった程度の話であろう。

 まあそういうわけで、3家族、総勢10人(片山家の二人の娘は既に嫁いでいるから、さすがに参加しなかった)が妙なるシタールの流れる店に集合した。これは幸いであった、少なくとも宇八にとっては。どうせ三姉妹と薫、攻治がああだ、こうだと再びこじれない程度に済んだ話をほじくってみせるのである。達子の夫の幸三は、無口なタチで、せいぜい独り言でぶつぶつ言うくらいであり、稀によくわからない理由で激昂したりすることはあるが、みんな飲みすぎたんだろうですませてしまう。

 真の原因と真の解決要因は全く言及されない、ムダ話である。そういうことが本能的にわかっている鳥海家の姉弟は曖昧な顔をして、タンドリー・チキンを食っている。ところが、無限に続くシタールと強烈なスパイスの香りと赤や金のきらびやかな装飾のお蔭で、おしゃべりな三姉妹と二人の男たちの調子が出ないのである。直接の原因が自分にあると反省している輪子は、いつにもまして黙っている。そういう雰囲気の中で、他人のことならわりと見えても、自分というものをはっきりととらえられずに要領よくやるということができない童は、次のような場違いな、いつもながらの質問を伯父に投げかけてしまった。

「伯父さん、カフカ好き? 最近また読んでるんだけど、なかなか進まなくて」
「相変わらず、小むずかしいことを考えているんだな。……あいにくおれにはカフカの長編は読めないんだ。短編とかはものすごくおもしろいし、ものの本を読むと長編でどえらいことをやらかしたってことはわかるんだが、どうにも読み始めるとすぐに眠っちまうんだ。いくら寝だめして、気合を入れても、読み始めると目の前に茶色っぽいもやがかかったようになって」
 大きめにちぎったナンをコルマ・カレーに突っ込みながら言葉を続ける。
「……だから、これは向こう側の問題だと思うことにしたんだ。おれに言わせると小説ってのは、自分に起こった悲劇を喜劇化する作業なんだが、そういうのとカフカの長編は違う。それで、惜しくもあるが、もう読まないんだ。どうせ本人が焼いてくれって言ったもんだしさ。他人が読んじゃいけないんだ」
 そう一方的に宇八がまくし立てるように言って、口を閉ざしてしまうと、言われた童も周りのみんなもきょとんとしてしまう。宇八としてはこれ以上言うべきことは全くないのだが、そんなことは分からないし、言うべきことはなくても続けるのが会話というものである。童ちゃんが小むずかしい話題を持ち出すから、宇八伯父さんの機嫌が悪くなったんだろうと思い、そんな目配せをし合う。……

 こういうふうに何か盛り上がらず、少しぎくしゃくした感じを残したまま、口の中がヒリヒリした10人の男女はそれぞれの家に帰って行った。……まあ、その方がいいのである。この三姉妹は適正な距離を保つというのが不得手であり、近づき過ぎると反発してしまうのだから。他の時ならともかく結婚式は間近なのだから。

 菫の結婚式当日は、いつも通りだった。宴たけなわの頃、正一がまた酔っ払って、新婦に向かって大きな声で、「あんなことがあっても、立派に結婚できて……」とかなんとか言ったが。いや、大したことはない。晃や稔や昭三があわてて抑えにかかり、新婦の片頬がややひきつり、両親が下を向き、(自分のことは忘れたらしい)攻治がにやにや周りを見回しただけだった。新郎側にはそんなことがあったことを記憶に留めた者はいなかった。


   SANCTUS
 Sanctus, Sanctus, Sanctus Dominus Deus Sabaoth.
 Pleni sunt coeli et terra gloria tua.
 Hosanna in excelsis.
 Benedictus qui venit in nomine Domini.
 Hosanna in excelsis.

    サンクトゥス
 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな主、万軍の王。
 主の栄光は天上と地上に満ちあふれる。
 高みの極みにおいて、ホザンナ。
 祝福あれ、主の名前により来られた方よ。
 高みの極みにおいて、ホザンナ。


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1 コメント

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SANCTUS (hippocampi)
2005-10-02 00:12:40
コラムの最後にSANCTUSを持ってこられるところがにくいですねえ。
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